オーディションを受けてきた。

本格的なオーディションは生まれて初めて…だと思う。
内容は作品に即した一人芝居のエチュードと面接。

エチュードに関しては
まるでだめ。全部終わってからああすればよかった、こうすればよかった…という反省しかない。
自意識に負けて役になり切れず、全く表現になっていなかった。
緊張と焦りで、早く終わらせることでいっぱいいっぱい。

何はさておき、演じることを楽しまなくては見ている人も楽しいわけがない。

さらなる反省点としては、対話のパターンや人物像のストックが乏しいということ。
これまでの自分の演技への取り組み方を思い返すと、台本ありき、主宰の説明やダメ出しありき、というものであった。
だから、その場で指定された人物を演じるとなると途方にくれて素なのかお芝居なのかわからない、なんともお粗末な人物しかできないのである。

40年以上生きてきて、それなりの人生経験を踏み、いろいろな人と関わりをもち、また映画やテレビ、舞台だってそれなりに観てきたはずであり、それなりの蓄積はあるはずである。
ところがそれは漫然と受け止めてきただけで、表現のためのストックになっていない。

だから、ある意味ベタな形であろうとも、リアクションや、やりとりを、自分の声と体を使って再現可能な形でストックしておかなくてはならない。
そのストックをいざ必要な時に呼び出して、、必要なアレンジを加え、不適切であれば再度選択しなおす…ことができるように整理しておく。

小西主宰からことあるごとに言われている、「日常生活全て意識的に過ごす」ということは、まさにこのパターンをストックすることだけれども、全くそれを実践できていない。

モノマネも苦手であるけれど、やはりストックを増やすために有効なものだと改めて感じた。

さて、続いての面接は…

とにかく自分という人間を理解してもらおうと拙いながらも、熱意をもって話をした。

どこまで熱意が通じたかは不明であるが、

面接も終盤になって、監督から「いい声をされてるので、チェーホフの舞台に出たら素敵なんでしょうね」というようなことを言っていただいた。

とっさになんと答えたらよいのかわからず、とんちんかんな返事をしてしまい、ちょっと微妙な空気になった。



帰りの地下鉄では反省しきりであった。

もちろん初めてのオーディションで納得がいくようなパフォーマンスができるほど器用じゃない。

いずれにせよ、役者は自分を人前にさらすもの。

人前にさらされれば、評価をくだされるのは当然のこと。

役者なら、それはあまりに当たり前のことだ…だから、評価を恐れるなんて、私はスタートラインにさえ立ててないのかもしれない。

今とりくんでいる芝居に集中して、楽しんで、そしてやり切る。

確たる覚悟をもって、それでいてふわっと、しなやかにいきたいもんだ。