人間の能力は次の四つに大別されます。
(1)身体(知覚系も含めて)をコントロールする力
(2)人格をコントロールする力
(3)人間関係を営む力
(4)記号を扱う力
一般に「学力」と呼ばれているのは(4)の「記号を扱う力」です。この能力はペーパーテストや知能テストのように数字で測定し可視化することができるので、「認知スキル」と呼ばれています。
それに対して(1)〜(3)の力は数値化することが難しいので、「非認知スキル」と呼ばれています。
古代中国の科挙に始まり、今日の大学入試や入社試験に至るまで、私たちの社会はあらゆる選抜においてペーパーテストを必須としています。そのため、これまでは「学力=認知スキル」が人間の優秀さの試金石として考えられてきました。
しかし、20世紀後半からアメリカの教育経済学の分野で、社会で成功を収めるのは本当はどういうタイプの子供なのかという問題提起がなされ、長年にわたり追跡調査を行ったところ、実際には認知スキルに優れている子供より、非認知スキルに優れている子供の方がスコアが高いということが分かったのです。
また、さらに研究が進んだ結果、従来は純粋に認知スキルに属すると見なされてきた「学力」も、その形成と運用において非認知スキルが大きな役割を果たしていることも明らかになってきました。
たとえば、暗記が得意だとか、百マス計算が速いというのは間違いなく認知スキルに優れている証拠ですが、それだけでは現代の難解な大学入試に対応することはできません。
大学入試レベルの英語や数学を理解できる学力を獲得するには、どうしても長年にわたる丁寧で辛抱強い訓練が必要です。これには認知スキルではなく「人格をコントロールする力」を要します。
プレッシャーのかかる本番でミスをしないためには、自分の知覚能力を集中させる必要があります。これは「身体をコントロールする力」です。
そこでアカデミアは、学力を最大化するためには、従来の受験教育のように認知スキル学習だけに傾斜するのではなく、非認知スキルも併せて指導することが有効だと考え、それを実践してきました。
しかし、それは新しいものでも難しいことでもありません。
戦後の受験教育が得点効率の名の下に切り捨てて来た、人間として「当たり前の作法」を学習訓練を媒介として身につけさせることです。結局は「急がば回れ」なのです。
約束を守る
時間を守る
忘れ物をしない
失敗や不首尾を他人のせいにしない
自分自身の問題から目を背けない、逃げない、立ち向かう
些細なことでも手を抜かない
他人が見てなくても手を抜かない
単純な基本基礎を我慢強く繰り返す
人生を自分自身の問題として認識する
無駄口を叩かない
自制心を持つ
自己憐憫をしない
自己の怠慢を棚に上げて、無闇に他人を羨まない
井の中の蛙になって、無闇に他人を見下さない
実証的根拠のない偶像を無闇にありがたがらない
壁にぶつかった時、分析と解決策の立案と実行を怠らない
障害に躓いたとき、感情的にならない
他人が評価しなくても努力をやめない
途中経過が思わしくなくても、諦めない、気にしない
いい格好を気取らない
些細なことにいちいち声を上げて反応しない
自分にまつわる、他人から見れば些細なことを一々喧伝しない
頑張ると言っている暇があったら動く
落ち込んでいる暇があったら動く