夏過ぎてから、
食がかなり細くなったびいちゃん。
食べるの大好きだから
食べたいもの、食べられるものを
あげていました。
固形物は食べられないから
びいちゃんの好物を ずっと妹が
丁寧に食べやすく工夫してくれてました。
あと、ちゅーるみたいな柔らかいフード、
それでも食欲ないときは、
プリンやカスタードクリームだと、ペロリ。
味噌汁で煮たサトイモや豆腐も好きです。
10月26日に
妹宅で、昼食をとることに。
単身赴任中の
妹の旦那さん(ラタのパパ)も帰っていて、
施設に入所している
おじいちゃん(父)も一緒に
賑やかなお昼を過ごしました。
「何?何?」て顔して、
少しふらつくものの
喜んで動き回るびいちゃん。
近所のスーパーでちょうど
『駅弁フェア』をやっていたので、
みんなで おぎのやの釜飯を食べました。
びいちゃんはいつもの柔らかい
食べやすいものを。
認知症のおじいちゃん、
混乱する回数も増えてきたけど、
たまに冴え冴えな時があり
びいちゃんを見て
「よく長生きしてるわ!」て。
おじいちゃんもね、などとみんな笑った。
この日、
おじいちゃんとの最後の時間となった
びいちゃんでした。
私とチトがおじいちゃんを連れて
妹宅に訪れたとき、
めずらしく お出迎えしにきてくれた。
「みんないるねー
」て言ってるような
」て言ってるようなあの表情を鮮明に思い出せます。
休日に はしゃいじゃうと
週初めの月曜日は
いつもお疲れの様子になるのですが、
翌日のびいちゃんはいつもより ぐったり。
そこから日に日に弱っていきました。
それでも夕方から少し元気になることも。
食べる量もかなり減りました。
日中は ほとんど寝てすごしてました。
4月から、急変に対応できるようにと
妹が仕事で家をあける時は
妹宅に通い
びいちゃんと過ごしていた私。
食事を小分けであげていたので、
私が行くと 「何食べる?」と寄ってきて
離れなかったびいちゃんでしたが
それもなくなりました。
夜中に
ウロウロとトイレから離れなかったり、
嘔吐をしたり、
妹も睡眠がとれず大変でした。
びいちゃんも体力がどんどん落ちていき、
嘔吐が続くのが一番良くないので
妹が病院に連れて行ってくれた時に、
注射も打ってもらい、
もしもの話も聞いてきてくれました。
苦しみが長引くのだけは避けたい。
私たちのその希望は変わらない。
先生は、
あまりに苦しむ時は、
安楽死も考えようと言ってくれました。
万が一そうなったら、
決断を下せるのかと葛藤はありましたが、
覚悟しなくては、と
妹と泣きながら話し合いました。
脳痙攣を抑える効果もある
軽い安定剤を夜に飲ませて、
びいちゃんも
妹やラタも夜寝られるようにと
処方してもらいました。
二日くらいは よかったのかな?
日に日に衰えていくのは
止められなかったけど、
まだ少し食べられたから
口から食べる強さを信じていました。
11月7日金曜日
お腹だけパンパンで、
他の痩せ方が更に目立つようになり
嘔吐の回数も増え
ベトベトの便もではじめ、
尿量も少なくなってきました。
元気はないが顔つきはいい。
ずっと最期は苦しむからと言われていたから
私たちの理想は、
できることなら
朝起きたら冷たくなっていることでした。
どんなかたちであれ、嫌だけど‥‥
この日は 朝から食べてないびいちゃん。
私は前日に作ったおでんをお弁当に持参。
何も食べないびいちゃんに、
おでんの大根をよくすりつぶして
皿を差し出すと、
なんとパクパク食べてくれました!
左の小皿が食べた後です。
歩くとフラフラです。
その後まもなく仕事から帰宅した妹と
一緒にお昼を食べました。
妹はびいちゃんのために
ネギ抜きの豚汁を作り、
以前はその中のサトイモや豆腐などを
よく食べたからあげてみるものの
それは食べられなかったけど、
お汁は おいしそうに飲んだびいちゃん。
私の大根と、妹のお味噌汁。
それが
びいちゃんの最後の食事となりました。
11月9日土曜日
単身赴任の妹の旦那さんが帰宅するのは夜。
びいちゃんは ずっと朝から食べてないし
元気ないと妹から聞く。
チトにも覚悟の準備のはなしなどしたら、
何かを急に作り始めたチト。
どうしても びいちゃんに会いたかった私は
チトを誘いました。
「出来上がってないから明日行く」
と言うチトに
「絶対今日、会っておいた方がいいから」と
強くすすめました。
夕方に、一緒に会いに行きました。
立ち上がることはあっても、
ほぼ横になっているびいちゃん。
目をつむらないから、
今思うと辛かったんだと思います。
私も帰るときは
四月から必ずキスをして
びいちゃんのぬくもりを感じて、
次もまた、
このぬくもりを感じられますように と
願いながらキスしてきました。
この日も同じようにキスしました。
帰宅すると
とても月が綺麗でした。
そして なかなか寝付けない夜でした。
母が亡くなった時の前夜と
同じ感覚。
何も考えないようにしました。
長くなってしまったので、
最期の日のことは、次に書きます。




