物心ついたころから、ずっと「だめな家族」だと思っていた。

「隠すべき秘密」であり、自分の中のコンプレックスだった。


母が嫌いだった…

というより、隠したかった存在。  


でも、カウセリングをうけ、先生に家族を認めてもらえて、ほっとした。


すると、わずかながら母の記憶が蘇ってきた。

もちろん、さみしい思い出もそこにはあるけれど…


・夕食をつくり、味見をする母。醤油とだしと生姜と砂糖の味。少しだけ味見した私。

・あなたが生まれたとき、可愛くてちゅーをしたよと教えてくれた

・中学の授業参観にきてくれた(嫌だったけど)

・5歳ごろ、お店で未会計のポケットティッシュを一緒に返した思い出

・母が用意してくれた何の具もないゆでうどん

・夏休みごはんに困り、毎日コンビニでお昼を買いに行った日々

・うつ病で、ずっと寝ている母に、帰宅後「ずっと寝てたの?」と私が聞いている記憶

・私が大学で家をでるときに、たぶん「がんばってね」と言われたような気がする

・認知症になり入所し、お見舞いにいくと私の事がわからなくて、悲しくて涙を我慢した記憶

・息子が産まれ、見に行った時に喜んでいた。「私がおばあちゃんなんて、信じられない」認知症だったけど、ちょっとしっかりしてた


確かに、母は…

躁うつ病、統合失調、認知症だけど

娘の私のことは大切に思っていたのかもしれない。

不器用だけど

伝えられる状態じゃなかったけど


私は、お父さんとお母さんに望まれて

この世に産まれてきたのだろう。


私が生きるためには

母は力には、なれなかった

でも、母なりに思っていることはあっただろうし

病気で大切にできなかったけど、大切にしたいという思いはあったのだろう。


「うちな単なる不器用な家族なんです。」

そうなんだね。


教えてくれた先生、ありがとう。