こんばんは。
先日我が家の金魚が死にました。
3匹いたうちの1匹が横になった状態で浮かんでおり、その後あとを追うようにもう1匹も浮かんできました。
水質の問題なのか?
でも残りの1匹は元気に泳いでおります。
それか寿命だったのか?
いずれにせよ
とてもショックです。
「たかが金魚くらい」と思われるかもしれませんが、我が家にとっては大切な家族。
思えばちょうど3年前の7月、長女まめ子がまだ年中さんだったときに幼稚園の夏祭りでもらってきたのが金魚たちとの出会いでした。
生き物を愛でる心が育ってくれれば....
我々夫婦のそのような願いと共に飼い始めた金魚でしたが、あっという間に3年という月日が経っていたんですね。
嬉しそうに餌をやる当時のまめ子が懐かしいです
3年という月日で
気付けばこんなに大きくなっていましたし。
新居に引っ越してくると毎朝私が餌をあげるのが日課となり、私が現れるとビビるくらい餌を求めて口をパクパクしておりました。なので私の愛着もひとしお。
だって毎朝
こんな感じで迫ってくるんですもん。
最近は末っ子まめ吉(2歳)も
「きんぎょたん!おーい!きんぎょたん!」
と一生懸命金魚たちを可愛がっていたんです。
いつしか我々家族にとってそこにいるのが当たり前的な、そんな存在になっていたんだと思います。
なので金魚の死を知ったとき
特に長女まめ子はショックを受けておりました。
まめ太(4歳)とまめ吉(2歳)は
まだよく理解していない様子
「金魚さんもう戻ってこないの?今年はサンタさんにプレゼントもらわなくていいから、サンタさん金魚さんを元気にしてくれないかなぁ」
そんなことを言っておりました。
ちょっと切なくなりましたよ。
なのでこういう機会なので少し早いとは思いましたが、「命」についてまめ子と話をしたんです。
「生きているものは必ずいつかは死んでしまうんだよ。今元気に泳いでいる金魚さんだけじゃなく、じいじもばあばも、もちろんパパもママも。いつかはあの金魚さんみたいに死んでしまうんだよ。」
「えっ...。そうなの?」
まめ子はその現実に
ショックを受けたようでした。
「そうだよ。いつかはみんな死んじゃう。だから生きているのは、こうして元気にいるのは当たり前なんかじゃないんだよ。実はすごくありがたいことなんだ。だからまめ子も元気でいることに感謝する気持ちを持ってほしいなぁ。」
黙って、しっかり目を見て
私の話しを聞いてくれました。
「残りの1匹の金魚もまめ子がしっかりと可愛がってあげたらすごく嬉しいと思うよ。死んでしまうということを悲しむんじゃなくて、今元気でいることに感謝しながらいろんな思い出を作っていこうな。」
親としての想いをできるだけわかりやすく伝えたつもりでした。まめ子にどのように伝わったのか、どう受け取ったのか、それは私にはわかりません。
でも命についてこうしてしっかりと話すことって、日常生活の中ではなかなかないと思うんです。
命は大事、生きることは尊い
当たり前のことですが、当たり前すぎるが故にきちんとその意味を子どもに教えるってなかなか難しいです。
今回金魚の死という局面に立ち合い、親子でその悲しみを共有したからこそ命の大切さについて深く話合うことができたんだと思います。
何の変哲もない普通の日にこんな話をしても、おそらく子どもの心には刺さらないと思いますし。
翌日2匹の金魚を
自宅の花壇に埋めてあげました。
ハチさんの辺りに
まめ子とまめ太で埋めました。
「金魚さん、さようならだね」
そう言って金魚に別れを告げる娘を見ながら、彼女の中で何かが育まれてくれればこの経験も無駄ではないなと感じました。
彼女にとっては人生のたった1日の出来事に過ぎないかもしれませんが、命についてしっかり考えたこの1日の出来事が今後の彼女の生き方、考え方に少しでも反映されてくれたらと心から願います。
3年という短い間でしたが我々家族に癒しを与えてくれ、そして命の大切さを教えてくれた金魚たち。
子どもたちが大人になっても
「昔金魚を飼っていたよね。かわいかったよね。」
そんな会話を家族でできたらいいなぁ。
少し寂しくなった水槽を見ながら
そんなことを思う今日この頃なのでした。
お読み頂きありがとうございました!
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