朝コーヒーを淹れ、よっこらしょ、と椅子に座って「さあ飲むぞ…」という瞬間に息子が「ママー」と言って起きてくるというパターンが、息子がまだ赤ちゃんだったころからよくあった。

 

先週末も今週末もそれがあって、「また?」と言ったら、息子ニヤニヤしていたよ。コーヒーの匂いでわかるのかな。「わざとしてないか?」と言って、ぎゅーっとしようとしたら逃げられたけど。

 

子育て系リールで上がってきて「たしかに」と思ってセーブしたもの。

 

 

 

(Chat botの訳コピペ:

いつかあなたの子供たちは気づくでしょう。約束します、彼らは。あなたがどんな親であるか。どんな配偶者であるか。他の人々への接し方。彼らにどれだけの努力を払っているか。彼らはあなたを尊敬する人か、二度となりたくない人かのどちらかになるでしょう。いつも覚えておいてください、彼らは見て吸収しています。)

 

これあるよな、と思った。

 

ただ、親のあれこれに気がついて、こうなりたいとか、ああはなるまいって思ったりするのは、途中過程。大事なのは、親も欠陥とかトラウマを抱える一人の人間だった、というところに気がつくか。親も相当がんばって生きていたな、そんな中でも自分を愛してくれていたな、という感覚があるのなら、それは人の子としてとても幸せなことだと思う。

 

自分の子供もきっといつか、私がどういう母親だったかっていうことを考えるときが来るんだろう。私がこう思ってほしいな、という母親像はきっとそこにはなくて、彼らが自らの目で見てきたもの、感じたこと(こっちの大きい気がする)があるだけなんだろうけれど。

 

 

自宅で老々介護をしていた両親について。

 

母は今入院中。兄夫婦に迷惑がかかるからと、父も母の入院中は介護施設へ行っています。

 

介護施設は、決めてすぐに入れるわけじゃないと思う。先のことを考えて、何かあったらすぐに受け入れてくれる施設を近くに決め、少しずつデイケアや慣らしお泊りなどをさせてもらっていた。だから母が急に入院した時、施設の方は父をすぐに迎えに来てくださった。

 

そこは、母が私が高校生のころにボランティアで行っていた介護施設でもある。私もそこへ時々一緒に連れて行かれて、自分の生きていた楽しい世界とは全く違う介護施設で母と一緒に洗濯物をたたんだりするのは、正直嫌だった。

 

20代〜30代ぐらになってからも時々、当時のことを思い出して、なんか母の底に見える独善的な感じが嫌だったなあと思ったりしたこともあった。

 

だけど、実はそれが全部つながってて、今こうして私と兄に負担をかけることなく、二人が安全なところで生きているというのはある意味すごいことだと思う。尊敬する。

 

でも、母が退院したら、父も家に戻ってきて、また老老介護が始まるんだろうか。

 

兄は職場が実家なので、毎日実家へ行ってはいる。だけど、外国でのんきに暮らしている私なんかより、色々なことがちゃんと見えているだけに、親の面倒は見きれないとはっきり言っているし。

 

どうなるんだろう。