新型コロナの影響で始まったひきこもり生活も3週目が過ぎようとしています。

 

子供たちの学校は夏休みまで閉鎖するということが決定し、「3月13日があのクラスで会える最後の日だったんだ。クラブ活動でお世話になった先輩たちは高校へ進むので、もう会えないんだな…」とつぶやく娘。大丈夫。生きていればきっとまた会えるよ。

 

外ではアメリカ人がマスクをするようになった。マスクがない人はバンダナを顔に巻いたりして皆さん工夫をしています。こんな光景を見る日が来るとは思わなかったよ。

 

このウイルスの感染がどれだけ生活習慣と関係があるのかは、諸説はあるにしてもまだはっきりとは証明されていない。

 

ただ、日本人として普通に毎日やっていたことを、アメリカで長く暮らし始めてからやらなくなっていたことって色々あるなあと改めて気づかされたりもした今日この頃。アメリカナイズされた、というのか。アメリカナイズ…自虐や驕りの意味も含まれています。

 

例えば日本へ帰省した時。実家の母が、私が外から帰る度

 

「手洗い、うがい、やった?」

 

と言ってくる。

 

「うがいねー。本当に意味あるの?アメリカ人はやらないよ。」

 

と返事をしたことがあった気がする。小さいころから毎日毎日やっていたことなのにね。

 

「お風呂が冷めないうちに、みんなさっさと早くお風呂に入りなさい」

 

と、せかされながらも家族全員がお布団に入る前にちゃんと体を洗って湯舟につかる習慣の中で育った私は、一日のよごれを流さないままベッドに入って「朝起きてシャワーをあびてすっきりと出かける」人と結婚した。習慣の違いに最初のころは違和感もあった気がするけれど、それも時間が過ぎるにつれて変わってしまい、自分もお風呂に入らないでベッドに入っても別に大丈夫になってしまっていたよ。

 

でもこんな状況になると、やっぱりお風呂に入ってからベッドに入る方がいいんだよ、と自分の生まれ育った環境を振り返ってアメリカ人の夫に説明しようと試みたり。「うがい?」と言っていた彼が、今では散歩から帰るとわざわざ塩水でうがいをするようになった風景もなんか不思議。

 

何が正解かはわっきりとはわからないし、通常「良し」とされることが時と場所によっては「あだ」になるっていうこともある。除菌が人の命を救う一方で、核戦争が起きても、たくましく生き延びるのはきったないゴキブリっていうエピソードもあったりするしなあ。

 

 

 

さてさて

 

子供たちは年相応の日々を過ごしているようです。

 

息子。彼の成長のペースからいくと、あとこれが1年遅れていたら、親とフロントヤードで延々バトミントンをしたりすること(道路に面した家の前の庭がなぜかとても広い)をためらっていたんじゃないかな、と思うけれど、今はまだ大丈夫。彼のエネルギーを発散させることは、この暮らしの大きなミッションでもある。

 

娘はTikTokのクッキングチャレンジ?なるものにはまっている。これは泡立てコーヒーを作ったときのもの。




作る過程を録画して編集してアップしていた。

そして先週から前髪を切りたい、と言い始めていたのです。「どうせ学校にも行けないから、失敗しても大丈夫。やりたい髪型にトライしてみよう~」っていうのも流行っているらしい。

 

「一週間考えてみて、それでも切りたかったらやってみたらいいんじゃない」とアドバイスしていたら、一週間待った今日「やっぱり切るわ」と言って切っていた。「前髪の切り方」の動画をみながら丁寧に。すると、あらま。とても似合っていたよ。

 

私は非雇用保険に申請していましたが、来週からそれもストップできそうです。仕事復帰が決定。必要とされるのはありがたいし、今までやったことがなかったことに挑戦できるのは、不安もあるけれど楽しみでもある。

 

活動範囲は非常に狭い日々だけれど、それでも色々変化しています。やれることをせいいっぱいやれることは、本当にありがたいな、と思う。

 

そして、外に出て人と蜜に関わりながら最前線で頑張ってくれている人たちのことを思うと、やっぱり私も感謝の気持ちしか出てきません。






久しぶりに一輪挿しを使ってみた。