ベテランズデーの祝日で3連休だった週末。
昨日はヘアカットへ。ヘアカットの後はいつも鼎泰豊で思う存分小籠包を食べます。デザートは餡饅頭。美味しかった。
子供達は、小さい頃から子育てを手伝ってもらっているKateおばさんのお家へ泊まりで遊びに行っていたので、今朝は一日のスタートもゆっくり。スティーブンは家で仕事。帰宅した子供達も「家にいて好きな事をしたい」ということだったので、皆で家に籠る一日。
好きな時にコーヒーを飲んだり台所で立ったまま何かしらちょこちょこ食べたりしながら家中のシーツ類を洗濯し、薄暗くなってきた頃飲み物をワインに切り替えた。ブリ―チーズが美味い。トレーダージョーズから買ってきた冷凍海老天があるので、今日の晩御飯は手巻き寿司にしよう。厚焼き玉子も作ろう。
さてさて、先日はこんなこんなことがあったよ、という話。
隣に住む家族。見た目はおそらく日本でこういう人達を見たらおそらく「二度見」される風貌の夫婦。頭にもタトゥーが入っていると言えばイメージしてもらえるかな?あと玉子ぐらいはありそうな大きさのピアスの穴とか。
でも私達が引っ越してきたときからすごく良くしてもらっているし、私も一番上のお嬢さん(高校生)には日本語を教えてあげたり、下のお嬢さんは息子と同級生で仲良し。一番下には昨年養子として迎えた小さなかわいい男の子もいて、私の息子はその子のことを本当の弟みたいにかわいがっている。
見た目は確かにユニークだけれど、それにもすっかり慣れた。生活ぶりはいたって普通。仕事を頑張るミドルクラス。スーパーにも行く。お酒もタバコもやらない。もちろんドラッグもやらない。
見た目より彼らをもっとユニークにしているのが、彼らがものすごい敬虔な福音派クリスチャンだということ。家のガレージを音楽スタジオにしてパンクバンドを結成しているご夫婦ですが、もちろんそれもクリスチャンパンクバンド。週に2回は教会へ行き、週に1回は自宅でバイブル・スタディーを兼ねたポットラックをしている。
今日みたいな祝日には必ずBBQパーティーをやっていて、私達も何度か参加したけれど、必ず最後には火を囲んでバイブル・スタディー、という流れになるので、クリスチャンではない私達は次第にBBQにも足を運ばなくなりました。それでも普通にご近所付き合いは良好。私達も旅行へ行くときはペットにごはんをあげるのを頼んだりしている。
先日、いつものように夕方外で遊んでいた子供達(私の息子と隣人の子供2人)。両家の家の前の庭(柵はないのでつながっている)だけで遊ぶこと、お互いの家の中へ入ったり、庭の外へ出たりはしないこと、というのが約束なので、その日も私は様子を時々伺いながらも、安心して彼らを遊ばせていた。
ところが、突然息子が家に戻り
「ママ、これ読んでもいい?」
と。
「何?」と台所にいた私が見たものは、なんとバイブルでした。
一瞬「え?」と思ったのですが、息子の後ろには一緒に遊んでいた隣の娘さんがニコニコして立っている。
「う、うん。いいよ。」ととりあえず答えた私。
外へまた走って出て行った子供達の様子を家の中から伺っていたら、バイブルは読まずにまた走り回って遊びの続きをしていたので「あれは何だったんだろう?」と思ったけれど、とりあえずそれはそのままに。
ところが、暗くなってきたので子供達にそれぞれの家に入るように促すと、息子がそのバイブルを持ち帰ってきた。しかも
「〇〇のママ(隣のママ)がここを読んだらいいよ、って言ったよ」といって、付箋まで付いていた。
うーん、これはスティーブンにも相談だな、と思い、スティーブンが帰って来てからバイブルを見せて説明すると
「ワッツ!?〇〇ちゃんだけじゃなくて、〇〇ちゃんのママがここを読んだらいい、って言ったの?
They totally crossed the line.(これは行き過ぎでしょう)」
と。確かにねえ。
スティーブンはクリスチャンの家族で育っており(今は違う)、幼い頃はバイブルを読んだり毎週教会へ行ったりしていたので、宗教が人生で一番大事な人もいるというのはよく理解しているし、それを尊重するマナーもある。
問題は私達両親に何の相談もせずに、大人が子供にバイブルを読むように薦めた、というところだったらしい。同感。
その後息子が何やらすごくバイブルを気にしている様子。受け取ったバイブルの「この部分を読まなきゃ」と不自然にソワソワしている。
その様子に私は気持ちがザワついてしまい「どうして?」とたずねるも、なかなか答えてくれない。話題を変えて、また1時間ぐらいしてから聞いてみたら、彼が重い口を開いて言ったこと。
「だって読まないと、死んだら地獄に行くから。」
と。
あああああああ。
スティーブンと私は思わず顔を見合わせた。
スティーブンが、
「大丈夫。読まなくても地獄には行かないよ。」
と落ち着いて話をしてくれたので助かったけれど、私だけだったらかなり焦って色々余計なことまで言っていたと思う。いかんいかん。
子供達がアメリカ人として生きていく上で、宗教のことをしっかり学ぶっていうのはとても大事なことだと思うのに、それを後回しにしていたので、ちゃんとやっていかないといけないね、と息子が寝てから夫婦で話し合いをしました。もちろん子供達には私達の宗教観はちゃんと伝わっていると思うけれど。
我が家の本だなには宗教コーナーもあり、仏教の本もあれば聖書もコーランも、古事記も置いてある。2人とも仕事上必要な知識でもある故。でもどれも子供向けではないので子供向けの本も準備したいなと思った。YouTubeとかもあるけみたいだけれど、宗教ってかなり深いトピックなので、それもちゃんと吟味しないといけないし。
隣のご夫婦は、その後も何もなかったように接してくる(まだ4日前の出来事だけれど)。なぜ息子にバイブルを(大人が)渡したのかっていうことと、私達にOKをもらってからにして欲しかった、ということを伝えたいけれど、まだ言ってない。でも、もし向こうから、「バイブルどうなった?」という話題を振ってきたら、
「ありがとう。でも、まだ私達両親も息子も読んでいないよ。今度、私達が思う宗教観についてもぜひ話をしたいから、一緒に家族同士でごはんでも食べよう。あなた達も大好きな味噌サーモンをまた作るから、食べにおいでよ。その時にはあなた達のお子さんにも、話をぜひ聞いてもらいたいんだけれど、いいかな?子供達が聞きたいことは、お互いなんでも答えてあげようよ。」
と丁寧に提案しようね、とスティーブンと決めた。
なかなかそれにオッケーを出す敬虔な福音派クリスチャンはいないかもしれないんだけれどもねえ…とスティーブンは思うそうですが、それでもとりあえず自分達の立ち位置はちゃんと示しておきたいのだと。
うん。それは私も同感。
お隣さんも私たちの立ち位置は十分知っているはずなんだけれど。お互い好き合っているだけに、すごく心配してくださっているんだろう、というのも分かる。
違いを尊重する、尊敬するってとても大事だと思うし、子供にもそれができる大人になってもらいたいと願っています。