新学期が始まってから(アメリカは夏休み後が新学期)、見ていてなんだか様子がとても気になる感じだった息子について、今年の担任の先生に相談したところ、すごくしっかり話を聞いてくれて、なんとスクールカウンセラーの先生と家で起こる癇癪について話ができるようにアポをとってくれた。

 

そして今日始めてのセッションでした。さすがプロのカウンセラー。目から鱗なアドバイスを沢山聞くことができた。これからこのカウンセリングがどのように進んでいくのかなどを相談。

 

今年の担任の先生。息子の様子をしっかり見ていてくれるだけじゃなくて、的確な判断と行動を素早くとってくれた。ありがたいなあ。先生とのやりとりできる(コミュニケーションがちゃんと取れてる)この感じは幼稚部の時以来です。

 

彼が1年生だった去年は、なんとなく先生との関係ということに関しては、「空白だった」という気がして仕方がない。

 

去年の息子の担任の先生がしっかりきっちりしている先生だったけれど「ことなかれ主義」な雰囲気の先生だったというのはつい最近のブログにも書きました。

 

もう完結していることだし、また彼女が息子の先生になることも可能性は0ではないので(同じ学校にいる限り)あまりどうのこうのとネガティブなことは書きたくないけれど

 

息子のことをちゃんと見ていてくれてるのかな?というのが1年間、ずっと心のどこかにあって。

 

30人ほどいる教室の中で自分の子供だけを見ていて欲しいなんてもちろん言いません。どこか遠くの世界へ意識が遠くなるだけで、周りに迷惑をかけるでもない、騒ぐわけでもない息子に注意を払って根気よく声掛けをするというのが、わかりやすく周りに迷惑をかけるような行為をする子供達もいる中ではとても難しいというのもよくわかるからです。

 

親が教師に不信感を持ってしまった場合、子供にそれを言うのはNGというのはわかっているので、そういう不安を私が息子に言うことはありませんでした。「それはあんまりだろう」ということをされたらもちろん私も夫も黙ってはいないけれど、彼女はいつでもやるべきことはきっちりしていて、そういう面では抜かりはない先生だったし。

 

毎日毎日お世話になっているのは確かなので、毎年どの先生にもするようにclass donation(文房具などの寄付)も定期的に行っていたし、クリスマスやTeacher Appreciation Week(先生に感謝をする週間)などにはサンキューカードも書いてギフトも送ったりしていました。

 

それでも、これはブログにも書いたけれど、お迎えの時にさりげなく「息子は今日どうでしたか?」とたずねるといつも帰ってくる返事は同じ。「He had a good day!(良い1日を過ごすことができていましたよ!)」と。そういわれるとね。「いや。違うんじゃないですか?息子、授業中、なんか上の空なことありませんか?」なんて言えないし。

 

夫も「あの先生、なんか距離があるよね」という感じだったけれど、距離感という面では、彼女は保護者達にボランティアも一切求めていなかったです(小1では珍しいと思う)。すべて自分できっちり。プリント類もきっちり。自分のテリトリーに下手に保護者達に入られるのが嫌だったのか、手伝いをもらうのがかえって面倒くさかったのか。はたまたコントロールフリークだったのか。謎。

 

まあそんな感じで1年過ぎました。

 

息子は小1で達成しなきゃいけない目標も全て達成できていたし(親も家でがんばったけどね)、まあ無事終了して良かったなとホッとしながら最後の日に開けた息子のカバンに入っていたもの。

 

それは「1年生の思い出」という文集みたいなものでした。(クラスで作ってみんなが見るというものではなくて、あくまでも個人の文集です。)

 

中身を見てびっくり。

 

「僕の(私の)先生の思い出」というページ。

 

これです。

 

 

 

 

 

 

 

 

驚いたけれど、色々なことが納得というか。

 

元々絵を描くのが好きではない息子。文章を書くのも得意じゃないけどさ。

 

これ以上は鉛筆が動かなかったんだろうか?

 

さりげなく息子にたずねてみたら

 

あっさりと「時間がなかった」という答え。

 

まあそれも本当なんだろう。でも次のページの「僕の(私の)友達の思い出」のページからは、下手ながらも一生懸命ににこにこ顔の友達の顔を書いた(しかも頭にイニシャルまでついてる)んだろうなというのが伝わってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に時間がなかったとしても、先生に対する感謝とかハッピーな思い出があったら、これはない気がするのです。

 

顔がないって…

 

もしかして息子には先生のことがいつもこんな風に見えてたのかな(考え過ぎかな)。

 

「I like my teacher because 先生が好きな理由は…」に関しては、本当に何も書けなかったんだろう。白紙。

 

先生がこれを見たのかどうかはわからないけれど(最後の日にバタバタと書かせたのかもしれないし)、書けないことを無理に「書きなさい」と言われて、または「何か書かなきゃいけないよな」と思いながら息子がしぶしぶ書かなくてよかった。このままでいい。むしろ適当なことが書けない真っすぐなところが息子の個性だし、長所でもある(もちろん短所にもなり得るけどさ)。

 

 

今年の担任の先生は彼に色々言ってくるらしいです。息子に「今日どうだった?」と聞くと

 

「先生にクリップダウンされちゃったよ(授業の妨害をしたり精一杯課題に取り組んでいなかったり、忘れ物があったりしたら壁に貼ってある彼のクリップが1つづつ下がって行くシステム)」

 

と残念そうな日もある。でもなんでクリップダウンされたのかっていうのは自分でもちゃんとわかっているみたいだし、息子の方を全然みてくれないよりは関心を持ってくれるほうが私は嬉しい。

 

「無視は最大の暴力」っていう言葉もある。例えば私の顔を息子が今書いてくれたらオニババみたいな顔を書くかもしれない(結構こら~!って言っていることが多いから)。でも私はそれでもいい。のっぺらぼうみたいな絵を描かれるよりはずっといい。

 

先生が意図的にか意図的じゃないか知らないけど1年間息子にしていたことを、息子は最後の最後でそっくりそのまま文集の中で返しただけかもしれない。

 

でも「(書く)時間がなかったんだよ」っていうから、それは本当にそうだったのかも。もうそれ以上はあれこれ聞かないけどね。

 

私個人の意見ですが、学校に通うということの利点の1つは色々な人と出会うこと。自分が選んだわけではない人達とかなりの時間を一緒に過ごして、お互いから色々なことを学べることだと思うのです。それは社会に出てからもきっと役に立つ経験だと思う。

 

だから、その中には自分のことを空気のように扱う人がいることも、そりゃあるでしょう(それが先生というのは残念だけど)。そんな中で息子が学んだこともきっと沢山あっただろうと思うのです。