今年の母の日は、花キューピッドのサービスを利用して、日本の母へ花束を贈りました。
Apple Musicで宇多田ヒカルさんの「花束を君に」を最近よく聞いていて、そうだ今年は花束にしよう、とアイディアはそこから。
とても嬉しかったみたいで、写真が送られてきました。
母はもうすぐ75歳。
今の私の年齢の時(42歳)が33年前。ということは、私は8歳だったんだね。
8歳のときの母。
仕事が命で酒癖の悪い夫(私の父)。お姑さんと一緒の生活。毎週末のようにやってくる義姉やその子供達(私は従妹と遊べて楽しかったけど)。
結婚をするまで小学校の教諭をしていた彼女は教育にも熱心だったし、PTAなんかもすごくがんばっていたなあ。私と兄の習い事とかのスケジュール管理とかもしっかりやって、宿題もきっちり見てくれた。
専業主婦とはいっても、家業なので、プライベートとビジネスの境目もない。いつも人が出たり入ったり。イベントがあるときなどは、お手伝いさんも雇って30人分の食事を作ったりなんてことも結構あったし。
今自分が2人の子育てをしながら、自分の生活と母のあの日々を思うと、「あたしゃ、なんて自分ジブン(Full of Myself)なんだ」と思うほどに、とてもじゃないけど、やれと言われても、あんな生活は真似できない。
その上、夜子供達が寝たと思ったら、飲みに出ていく夫。しまいには警察から電話がかかってきて「ご主人がまた道路で寝ていましたよ」なんて言われて迎えに行き、何度も頭を下げたりとかね(父親。お酒をやめて本当によかったよ。)
そんなだから、もちろん眉間にしわが寄っていたり、イライラしていることもあったし、母の態度に対して、そんな理不尽な…と子供ながらに思ったこともあった。
なので(?)私もそれなりに激しい反抗期や、精神的自立ができるまでは、母娘の関係について考えたり心理学の勉強なんかもしてみた時期もあったのだけれど…
ただ、今考えてみると、私にとっては「お母さん」だったけれど、彼女の周りには、自分が望んでもいないのに圧倒されるような特殊な世界があって、たくさんの人達もいて、忙しくて、その中で必死に壊れないようにふんばって生きていたんだと思う。
親になってみてわかったことなのだけれど、子供にとっては、親がしてくれることは「当たり前」。そして子供って、してもらえなかったこととか不満ばかりを覚えていたり口にしたりすることもある。自分がかけた迷惑や心配事はそっちのけでね。
でも、親がしてくれたことを同じように他人がやってくれるかっていうと、そんなことは実はあまりないんだよなあ。
複雑な思いも全てひっくるめて、やっぱり親には一番感謝しています。
人生きれいなことばっかりじゃないよ。
Life is messy, but it's still beautiful.
ということを身をもって教えてくれた母のおかげで今の私があります。