原爆慰霊碑の碑文についてネットで検索しまして、リブログをいただいてきました。
 


 


「安らかに眠ってください過ちは繰り返しませぬから」

この言葉に違和感を感じるかどうかが自虐史観から脱却できたかどうかのリトマス試験紙だ

・・・・というご意見があります。



無駄でわかりにくい長文を書きがちなえだまめさんですが、

「わかりやすい文章を書くために、結論を最初と最後に書きましょう」ということで書きます。


誰の過ちか?何が過ちか?どう繰り返さないのか。

わたしの結論・・・それをずっとあれこれ悩み続けましょう。試行錯誤し続けましょう。




では本題。

「安らかに眠ってください過ちは繰り返しませぬから」について、

それは誰の過ちか?何が過ちか?に、解釈がいくつかあります。


日本が戦争を始めたのが過ちである。日本が平和な世界を戦争に巻き込み、その終結のために原爆投下が必要であった。日本の自業自得。・・・・(これが自虐史観。日本を戦犯国家と呼ぶ韓国はこの認識。原爆を正当化し英雄視するアメリカもこれでしょう。)

アメリカが原爆により民間人を殺戮したことが過ちである・・・・・(ジュネーブ条約違反。脱自虐史観)

人類全体が犯した戦争や核兵器使用が過ちである・・・・(ヒロシマの精神)




当時の戦史を語るには知識不足でして、「繰り返さない」ということで現在進行形の例で見て見ます(国際情勢も知識不足には変わりありませんが)。


ウクライナとロシアを現在進行形で見ていますと、それが誰の過ちか、何が過ちかは、

プーチン大統領の野心だ、ネオナチからロシア系住民を守るためにやむを得なかった、バイデン大統領の失言だ、ゼレンスキー大統領の失策だ、クリミア半島侵略を簡単に成功させてしまったからだ、など単純に事後分析されますが、

いったん大規模に戦争が起こってしまうと収拾は非常に難しいのがわかります。

数万、数十万、数百万の兵士の命、投入された兵器、資源、戦費、政策、奪われた領土、破壊されたインフラ、国民の心、国民の命・・・取り戻せないものが多すぎる。おめおめと負けられないんですね。引けない。

戦争の始まり、戦争の途中経過の攻防、戦争終結に向けてのすり合わせ、戦後処理の方向性・・・選択肢のどれもが思い通りにならないことばかりです。

選択することが難しいし、選択しても戦争の相手とは普通に相互理解が得られるものではないので叶えることが難しい。相互理解が得られるくらいならそもそも戦争になってない。

結局、完膚なきまでに敗北して軍門に下り、ウクライナに新ロシア政権が誕生することが究極的な円満解決と言っちゃえばそうなるかなー。

それはチェチェンでも、チベットでも、ウイグルでも、香港でも、言ってみれば戦後から今までの親米日本を見ても、それが円満解決になってしまうんですね悲しいですが。併合、同化、あるいは制圧の上、超親〇政権の維持。これはロシアの戦争目的達成です。

ウクライナの立場では、全領土を回復すること。

その中間の折衷案として、新たな分断国家の成立。つまりウクライナの分断というか南部4州の独立を認める、ロシアとNATO国との間の緩衝地帯のラインの引き直しというわけです。冷酷ですが。


台湾だって、「わたしたち、自ら中国に編入されます!一つの中国万歳!」と言えば血は一滴も流れない。逆にウクライナ方式で戦い続けるには国土が小さすぎる。けれども座して中国に吸収されよとは決して決して言えません。まだコトが起こっていませんので、これからも起こらないようにするのみです。

無血併合。かつて朝鮮がそれをやりましたね。血は流れませんでした。が、今でも恨んでますね。自国の祖先をではなく、日本を。

でも韓国の何が幸せかと言ったら、朝鮮が結局のところ幸せですかね~~。無血で併合、国土開発の上で、日本が力を失って独立した上で、人のせいにした上で、今や日本を超えた!とか言ってて幸せですからね~。それでいて世界で最も残虐な植民地支配を受けた民族だとの被害者意識で道徳的優越感に浸っていられますから。不幸がウリの幸せ者ですね。

韓国は次は戦うつもりでいますよ。侵略者日本をぶっ潰すつもり。

北朝鮮は朝鮮半島の片割れですけれど、そちらは幸せではなさそうですね。


じゃあ何が過ちなのか。自らの国の主権と国土と国民とアイデンティティを守ろうとするのが過ちなのか、放棄するのが過ちなのか。

守るにも放棄するにも戦争という手段が過ちなのか。

徳の統治をするべきで、力の統治が過ちなのか。


 

 

 


平和を願うヒロシマの精神はもちろん素晴らしいです。

平和を願う憲法9条の精神ももちろん素晴らしいものです。



問題は、自分はそう思っていても隣国はそう思っていないこと。日本は、

>平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(憲法前文)

のですが、平和を愛する隣国の公正と信義を信頼してわれらの安全と生存を保持できるような状況では、どうやら、現実、ないようです。

 

隣国ももちろん平和を望んでいますので、軍隊を持たず攻撃用兵器を持たない日本は「隣国の平和」にとっては都合の良いことになってますね。ミサイルバンバン飛ばしてやっても領海を侵犯しても領空を侵犯しても、国土を買い漁っても、遺憾砲しか返ってこない。

 

 

>碑文の中の「過ち」とは、一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用を指しています。(広島市)

この碑文の英訳の主語は "We" だそうですが、実際のところWeの輪は限定的で、戦争はなくなっていない。



世界はヒロシマの精神には至っていない。至れない。

誰もが平和を望みますが現実はほど遠い。



ただ、日本が他国の脅威にはなっていない。これは確か。これは自ら行う平和貢献ですね。

あともうひとつ、ただですね、

プーチンさんがいくら核兵器使用をほのめかしても、中国が日本に対しての核兵器先制使用を宣言しても、北朝鮮が核兵器使用を宣言しても、

今のところヒロシマ・ナガサキ以降、実際の核兵器の使用には至っていません。

アメリカとロシアが核兵器を競っていた冷戦時代も、核戦争は起こらなかった。

これははっきりと、ヒロシマ精神、ナガサキ精神のおかげであると言えます。

世界から戦争はなくならなかったけれども、核兵器使用については一線を守り、節度を持っている。今のところは。




ところで、日本からアクションを起こさなくとも戦争の危機は迫っているとしまして、

では核兵器不使用以上の究極の理想、戦争をしないという理想を現実化するために、


「一個人や一国の行為ではない、主語である人類全体(by広島市)」は何ができるか?




そしてこちらのブログ主様のメッセージは、

「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」の


そこに自分の言葉はあるか?



つまりですが、

「過ちは繰り返しません」の主語はは”We” つまり全人類.。

しかし、このWeにアメリカはどうも入っていないようだけど、もしか日本人も、うっかりと入ってないんじゃないの?


「全人類への号令」だと思っていてはダメで、「戦前との連続性を回復した日本人としての自分」はどう考えるの?


とブログ主様はおっしゃいます。


「おい全人類!あなたたちがやるのよ!」ではなく、「戦わざるを得ない理由がある日本人としての自分がどうするのか気概を見せろ」と。



>日本が悪かったから、広島が軍都だったから原爆を落とされた。当然の報いだ…と思わされたままではないか。戦前の日本が悪かったから戦争が起き、その懲罰として無条件降伏した。そうした戦後の一方的な歴史観、戦勝国にとって都合のよい歴史観に小野田さんは強い違和感を持った。

>日本には戦わざるを得ない理由があり、戦ったこと自体を愧じる必要はない。「日本人よ、気概を取り戻せ」

 

>反省であろうと、主張であろうと、私が最も意識するのは〈そこに自分の「言葉」はあるか〉ということです。そして、このとき「自分」というのは「人類」でも「地球市民」でもなく、「日本人として」の「自分」なのです。

>雑賀教授の訴える「全人類」の前に、日本人として戦前の日本との連続性を回復し自らの言葉を取り戻さない限り、「全人類への号令」だと思っていることが一に自らを縛り、貶め続ける行為となりかねない、それに気づくことが不可欠です。




というわけで、

わたしの結論(もうちょっと砕いたもの)としては、

リブログにあります、小野寺少尉の言葉、これが妥当なんじゃないかなと思うのです。


「過ちは繰り返しません」には、

「ウラの意味があるのか? 負けるような戦争は 二度としないというような……」


そうなんですね~~~!!!


「過ちは繰り返しません」

理想の現実化(ヒロシマ精神の波及)と同時に、現実の理想化(小賢しくとも負けない努力)。

ウラの意味で、負けるような戦争はもうしない決意。


そのための現実のボトムアップの努力は、

すでに常々、なされているのです。



例えば、岸田総理が軍事費を倍増した。また8月8日に麻生元総理が台湾で「戦う覚悟」という言葉による抑止力を発動しました。

戦争にならないために、「戦う覚悟を持つ」と言う。

(現職総理ではない元総理かつ自民党現副総裁である麻生さんの立場だからこそ言えた発言ですし、中国からガチの反応を引き出せたわけです。)


(>麻生氏の講演について、「政府内部を含め、調整をした結果だ」と述べた。相当に配慮したものであることを示唆した。(byどっかの記事))
 

これは韓国のユン大統領も同様の発言をしています。「戦争をしないために戦争の準備をする」と発言して、韓国の左派および左派支持者からの大失笑と大批判を買っています。



左派あるいは穏健派からは大失笑と大批判を買うこのような強硬発言ですが、

結局、左派も右派も保守も革新も、実は戦争はしたくないわけですよ。

(プーチンさんはしたかったからやったし、習近平さんもしたいから機をうかがってますけどね。)

それでもヒロシマアプローチは抑止力に功を奏しているようで、同時に、「戦う覚悟」も抑止力に功を奏しているわけです。

理想の現実化と現実の理想化と、どちらも有効なアプローチであるというわけ。


 

ついでに言えば、麻生さんの強行抑止論発言について沖縄の玉城デニー知事がただちに苦言を言い、ちょうどそのころ公明党は岸田総理に習近平氏への親書をお願いしてる。

もう、誰が何がの功績/功罪ではなくて、政府の人材の連係プレーで織りなす綾というわけです。日本は一枚岩ではなく、ハト派もタカ派もいて、親中も親米もいて、剛柔併せ持っていると両面を見せる。セコイようですが。笑

いろいろな信号弾を上げて観測気球を上げて見て、狼煙も上げてみる。

そういう総合力なんですね。




ウクライナの現実。

現実は総合力勝負

だけど結局は体力勝負

しかし一国の体力以上にお友達勝負でもある

けれども結局、最終的には自国の気力と体力勝負だった

とはいえ、理想も生きてるよだって核兵器を使う使うと脅してもまだ使ってないもん。






誰の過ちか?何が過ちか?

つまり誰の働きで、何の働きで、どう繰り返さないようにするのか。

わたしの結論・・・それをずっとあれこれ悩み続けましょう。試行錯誤し続けましょう。

中国解説ブログを読んでみましょう。台湾ブログを読んでみましょう。国際記事を眺めてみましょう。アメリカの新聞社サイトを見てみましょう。


政治家の努力を認めましょう。なんの情報を持っているのか知りませんが最近動きが活発ですし、批判もして応援もするけれど、一般人にはわからないソースで動いているのだと推察してみます。

こんなわからないあやふやじゃアウトプットもたいしたことできないですけれども、とりあえずアウトプットすることで応援してます。




過ちを繰り返さないために、安らかに眠ってもらうために。

いえいえ、申し訳ありませんが安らかに眠っていていただかなくても、そちらからも助けていただければもっとありがたいですので、英霊の有志を募集します。

それこそ言葉通り「人類全体」になるために、彼岸からもWeを募りますわ!

夏は広島、長崎、平和の記念日でしたし、もうすぐお盆ですし。

 

って、既にずっと助けてくれてたって?今さら言うなって? 


たぶんそうなんでしょうよねーー。

台風7号も近づいていますし。

 

みんなで日本の平和に寄与しましょう!

って、言われなくてもずっと寄与してたって?


そうですよねーー!!


日々働いてくださってて、ありがとうございます。