旧正月が終りました。
やはり、コロナ陽性者が増えますね。
陰暦の正月は中国の春節です。
これを英語では、Chinese new yearと言うのですが、Lunar new yearとしようと韓国が提唱しているそうですよ。
こういうポリコレが客観的で妥当な場合はいいですね。
けれども、韓国の場合、ポリコレの皮を着た民族主義であるのが常に透けて見えます。
民族アゲしながら自分アゲするんです。
自分アゲは、自分が上がって上がればいいのに大抵は他者サゲによって行わます。サゲればアガる。
佐渡金山もですね。給与の未払いの清算記録があったりですね。
たちえどんなにきっちり管理されていたとしても、昔の労働は今でいうブラック企業です。まして昔は今ほど管理もされていない。
労働時間は月に208時間を越えないとか週休2日だとか休憩時間とかね、機械化されずに人力でやってるとかね、現代の労働基準や福祉基準で語られたら、
どこでもブラック企業、どこでも奴隷労働でしょうよ。
ましてや佐渡金山は、流刑者が働く所でしたもの。ちょっと想像しただけでも、「労働は刑罰」であった長年の土壌があります。ある程度近代化され労働管理されても快適ではなかったでしょう。それは推測できます。
でも当時は当時であった。
で、韓国は、
遡及法オーケーな感覚があるんです。
法の不遡及の感覚がないです。
逆に遡及してこそ偉い人、正しい人。
これはウリスト教の懺悔と贖罪の感覚かもしれません。過去の罪に対する感覚。
当時の状況はこうだったから、なんて感覚もあまりない。
そして歴史は歴史ではなく現代政治である。
歴史は過去のあの人たちのものではなく、今のわたしのものである。
どういうことかというと、
① 時代と共に倫理道徳は発展する。立場も発展する。
② そしてわたしは常に最新バージョンの倫理道徳の感覚を更新し続ける(ゴールポストを動かし続ける)最先端最高級の政治的に正しい人物であり指導者にふさわしい人物である。過去の低質な倫理道徳のものさしを用いて考えてはいない。昔のあの人たちは声を上げられなかったが、今のわたしは声を上げて糾弾できる。
③ ゆえに現代の政治問題である佐渡金山は奴隷労働を強いたブラック企業であり、ユネスコ登録は現代日本による道徳侵略であり、わたしは過去を糾弾し現代日本を糾弾する。我に続け!ポリコレを掲げよ!
と。ついでに、
④ 当時の現状はどうあれ理想はこうあるべきであり、ウリナラが、私がそうでなかったのは全てそうしてくれなかったお前の責任であって、それは清算されるべきである。
清算= 罰を受ける、謝罪と賠償で和解、懺悔と贖罪...これによって罪を許され救われるという宗教感覚。
という理想絶対主義、責任転嫁主義、宗教感覚や宗教的優越感もある。
また、
朝令暮改でいい。一貫性がなくていい。ルールメーカーである。
わたし法を作る人、あなたは法を守る人。わたしは約束破る人、あなたは約束守る人、それがあなたの大事な目上である証であり、愛される目下である証。(目上でも目下でも約束は破る笑。 泣けば餅をもらえる。)
対韓歴史戦の政府タスクフォースが設置されますね。
理論武装をするそうです。心強い。
ぜひ、
韓国人の大半がこういう思考回路でいる前提でやっていただきたいです。
それは全知全能の創造主が、絶対的集団自己中な韓国人にそうであれと教えているものであって、
そのポリコレをもってポリコレの大潮流が渦巻く世界に積極的にアピールし味方を募っている。
そういう民族主義相手、宗教の神様相手、世界のポリコレ潮流相手、誰かを「悪」としたい世界観相手に、
小さな事実をコツコツ積み上げて石垣を築いて論破しなければならない戦いであると覚悟していただきたいです。
で、わたしたち一般人は、
韓国人はそういう人たちで、そういう考え方で、そういちゃもんつけて来てるんだ、と認識して、
担当者がんばれー、と応援してればいいと思います。
担当者のご苦労に感謝しながら、世論として、サポーターとして、揺るがぬ応援を。
あちらの真実とこちらの真実、
神話 vs 事実、理想vs 現実、集団利己主義 vs 集団利己主義の歴史戦なのです。
ところで韓国では、
現実よりも理想が絶対的な上です。
もちろん、
あるべきファンタジーの方が、事実より絶対的上です。
(現実派、事実派、不遡及派が少数います。)
で、
なんで旧正月というタイトルでこんなことを書いているのかというと、笑
お姑さまと久しぶりにお会いしたからです。笑
もう自分が絶対に絶対だから、聞く耳持ってない。笑
事実より観念。笑
いえ、佐渡金山の話題が出たのではなくて、
人となりが。
こういう「凝縮されたエキス」が身近にいらっしゃいますので、民主化され現代化され希釈され洗練された現代韓国に含まれている成分表を読んでいる感じ。笑
これも記事にしましょうかねえ。笑