こんにちは。前短距離パート長の小川です。長きに渡って投稿してきた短距離ブログですが、今回で最後になります。人数が人数なので3.4年の一部に絞ってブログを書いてもらいましたが、選手一人一人の陸上に対するありのままの姿勢、想いを知ることが出来て僕自身とても楽しませてもらいました。さて、今回のブログのコンセプトはこれまでの陸上人生及び七大戦の振り返りです。大きく分けて高校以前編、高校編、大学編、七大編に分かれています。めちゃくちゃ長いので。あんま長いの好きじゃないって人は大学編からでも読んで欲しいです。何かに本気で打ち込む、ということが人生にどれ程の影響を与えるのか。日本語はあまり得意ではないですが、僕が感じてきたものを少しでも自分自身と照らし合わせて、参考にしていただけると幸いです。

 



<高校以前編>

 

地獄のダンス生活

いきなり陸上とは関係ない話ですが、僕は4歳からストリートダンスをやっていました。小学生中学2年まではほぼ毎日ダンス漬けの生活、練習時間が頭おかしすぎてあんまり学校にも行けてなかったです(夜10時~明け方とか)。当時のダンスの先生が良くも悪くもヤバいやつだったので、全国大会で優勝したり、イギリスでショーケイスしたり、ドイツのバトル大会のキッズ部門でベスト4に残ったりと、今でも聞こえは良い実績が多いなと思います。

しかし内情は華やかではありませんでした。パワハラ、人格否定、親の権力争い、子供同士のいじめなど、みんなが想像してる以上に想像通りのドロドロとした人間関係の中で小学時代を過ごしました。今のひねくれた性格は恐らくここで根付いたような気もします。当時ダンスが好きだったかどうかと言うと、正直今でも分からないです。好きなダンサーがいて、その人の動画を恐らく1万回は見たんじゃないかと言うぐらい狂ったように見たりしている反面、ダンススタジオに行くまでの車の中ではきょうだい3人共「行きたくない」とずっと言い続けていたり、練習中も意識しているのは常に先生の目線だったり。少なくともスタジオにいる時は自分がダンスを楽しむことなんて頭の片隅にもありませんでした。そしていつからか、自分がダンスを好きかどうかなんてどうでもよくなり、自分はダンスをずっとやり続けなくてはならない、そうゆう使命の元生まれてきたんだろう、と自分に言い聞かせるようになりました。洗脳ってやつです。

 

・好きなことやるって、こうゆうこと

そんな中僕が出会ったのが「パルクール」という競技?スポーツ?です。知らない人の方が多いと思いますが、一時期街の中をアクロバティックに回りながら走り抜けるというのが流行ったアレです。ただカッコイイというのもありますが、より効率の良い移動法を研究するという意味では、当時の僕は死ぬほどハマりました。なんとかダンスも先生と話をつけてやめることができ、とにかく自分の心が赴くままにパルクールの練習をしました。ここで僕は初めて「好きなことをやるって、こうゆうことなんだ。」と実感することができました。

洗脳が溶けた瞬間です。

 



<高校編>

 

・陸上との緩い出会い

時は経ち、高校生1年生の夏。僕はパルクールの活動に飽きと限界を感じていました。練習環境はその辺の公園しかなく、競技としての明確なゴールもありません。(あとシンプルに怖い)

そうして徐々に練習会に行くことも無くなり、とりあえず勉強をする日々を送っていました。そんな中で僕が1つ懸念していたことがあります。それは運動不足です。今の勉強漬けの生活を続けるとさすがにガリガリが過ぎるので僕は何か部活に入ろうと考え始めました。とは言っても、球技は論外だし、武道系もなんかつまんなさそうだし、ダンス部はほぼチア部だし...という事で最終的に残った選択肢が「陸上部」でした。結構なんとなく入部しましたが、これが僕の陸上との出会いです。

 

・脳死で部活に通う日々

入部してからすぐに陸上にどハマリして急成長、という事はなくただ本当に運動不足解消のためだけになんの信念も無く部活に通う日々を過ごしていました。面白いことに、人生に対して明確な目標を持たず無気力に過ごしていた期間というのはあまり記憶に残りません。自分がどのようにして初めての冬季練習を乗り越えたのか、一切覚えてないです。そしてフォームが悪かったからなのか、入部から半年も経たずに腰椎分離症になってしまいます。要するに背骨の疲労骨折です。丁度100の人生初レースを控えていた僕はその試合に出てから療養期間に入ることを決意。めちゃくちゃなフォームで走り切り、タイムは12.12でした。初戦にしては悪くないタイムですが決して良くもありませんね。そしてここから僕は3ヶ月間ひたすらに補強、それが終わればマネージャーのお手伝い。というよく分からない陸上ライフを送ることになりました。そしてこの期間こそ、今僕がこうして陸上に本気で向き合っているきっかけになるとは、当時の僕は想像もしていませんでした。

 

・あれ?陸上ってもしかしておもろい?

療養期間に突入して1ヶ月ほど経った頃でしょうか、さすがにみんなの走りを見るだけの生活には飽き飽きしていました。そこで僕はこの療養期間に少しでも陸上のいろはを勉強した方がいいのかなあと思うようになり、ネットで陸上の基礎的な動きや力についてちょくちょく調べるようになりました。そこで僕は陸上競技の面白さ、奥深さを知ってしまいました「才能ですべてが決まる競技だと思っていたのに、めちゃくちゃ面白いじゃないか。」と。当時特に目標みたいなものは無かった僕ですが、ここでひとつの疑問が浮かびます。「俺の体って、どれくらい速く走れるんだろう。」シンプルな探究心に駆られた人間から湧き出るエネルギーは計り知れないものです。そこから僕はとにかく走りについて調べ、頭の中で走るイメージを繰り返しました。そして腰椎分離症はようやく治り、2年生の7~8月頃に完全復帰を果たしました。(当時の1年生は僕のことをマネージャーと思っていたらしいです😇)

 

・大覚醒の高2シーズン

やっと走れるようになった僕は、今まで頭の中でイメージしていたことをひたすら動きに落とし込む練習を繰り返しました。理想のフォームと、今の自分のフォームをひたすらに照らし合わせる。両者のギャップをとにかく無くしていく。この時期は本当に陸上が楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。この時の熱量を超えることは今後絶対にないだろうと自信を持って言えるほど、陸上に夢中になっていました。

そうして高2シーズンでは100mで11.10(+2.0)まで記録を伸ばしたり、新人戦の200で決勝に残ったりと、順調に記録を伸ばしていきました。そこで僕は初めて、「高校のうちに10秒台で走る」という明確な目標を持ちました。


・高校最後の試合

当時世界的にパンデミックを起こしたコロナウィルス。高3で絶対に10秒台を出すぞという僕の望みを踏みにじるかのように次々に競技会が中止になり、最終的に県高校総体は中止という結末を迎えてしまいました。どうせ大学でも陸上をするのは自分の中で確定していたのでもうキッパリ引退して受験勉強に専念しようと考えていましたが、顧問が最後に7月に開催される県戦に出ないか、と僕を誘ってくれました。周りの受験生がみな勉強モードに切り替えている中部活に行くのは内心焦りがありましたが、もう少しだけ、高校での競技生活を通して何かを残して終わりたい。そんな気持ちで出場しました。

そして迎えた県選。2、高3のみが出場できる部門にエントリーしました。結果は優勝記録も11.12(-2.2)という好タイム。しかし僕の目標は優勝とかそんなのではなく、10秒台で走りぬけること。ただそれだけでした。目標果たせずかなり悔しい思いをしながら舞台裏で賞状を受け取ったのを強く覚えています。(コロナのせいで表彰式無かった) そうして高校での陸上生活は幕を閉じました。


(県選後。ジュニア400で優勝した後輩と)


陸上と出会い、僕の生活は全て陸上が中心になりました。その過程で自分が本当に好きなことに本気で打ち込むこと。その楽しさ、素晴らしさを身をもって知ることが出来ました。高校の顧問には本当に感謝しています。何も知らない僕に1から陸上を教えてくれ、ここまで導いてくれました。顧問に恩返しをするためにも、大学ではもっと成長しようと強く決意しました。

 



<大学編>

 

・出会い、そして大スランプ

無事に受験を終え、九州大学陸上部に即入部しました。そこには今でも忘れられない光景が広がっていました。まず、絶対にヤバい投擲の先輩だと思っていたらまさかの1年生で短距離だった金髪長髪ズトン、とてもこれから陸上部として活動していくとは思えない体型をしているじゅんや、父兄さんと言われても分からない別府、中学生にも浪人生にも見える中岡。錚々たるメンバーが揃った代でしたが、我々はすぐに仲良くなり、みんなでとても楽しく練習をしていました。本当にこの代でよかったです。

そして競技の方はと言うと、最悪です初戦の結果は11.94(+1.5)。いくら衰えがあるとは言ってもさすがに驚きました。まるで自分の体が自分の物でないような。頭の中のイメージと自分の実際の体の状態があまりにかけ離れているのです。ここから僕は陸上競技という森の中をさまよい始めます。走れば走るほど自分が今までどうやって体を前に進めていたのかが分からない。もしかして自分が今まで正しいと思っていたものは奇跡的なバランスの上で成り立っていた偶然に過ぎないのか。そんなことをぐるぐる考えながら、結局大学1年では10レース以上走りました。それにも関わらずSBは11.25(+2.0)。高校の時の自分の丁度膝元に及んだ程度の記録。このシーズンを通して、僕の自分の走りに対する自信は完全にくじかれました。結局たまたま上手くいっていただけで、本当の実力はこんなものだったのかと。しかし、こんな所でうだうだ言っている場合ではありません。筋力もまだ戻ってないし、また走りの技術を一から学び直そうと決心しました。これから更なる苦悩が待っているとも知らずに。

 

・ハイパー暗黒期&初めての肉離れ

大学一年の冬、なんと明け一発目の坂練で思いっきり右ハムを肉離れしました。つった時の痛みとは全く違う、木の棒が太ももに突き刺さったような痛み。肉離れなんてした事がない僕は何が起きたのか分からないまま、その日はみんなの練習をぼーっと見ていました。しばらくして自分の現状を思い知らされます。ただでさえスランプで走りがまとまってないのに、その上怪我で走れないなんて。焦りと情けなさが込み上げてかなり落ち込みました。この時に初めて「陸上おもんないな」と、思ってしまいました。

 

・悲惨な七大戦

それでもある程度の復帰は果たし、なんとか七大戦の100mの枠を獲得。このまま怪我を再発せずに七大でいい結果を残そうと思い、間に合わせるかのように急ピッチで練習を行いました。そうするとまた思いもよらない方向から刺客がやって来ました。腰痛です。あまりにも痛みが強くて練習できたもんではありませんでした。しかしここまで来たらもうやるしかありません。コルセットを常に着用して毎日激痛に耐えながら練習を行っていました。

そして迎えた七大戦当日。結果は11.33(-1.3)もちろん予選落ち。かなり気持ちは入っていましたがこんなコンディションで走れる訳もなく、自分の記憶にも、みんなの記憶にも残ることなく2年の七大戦は終わりました。(記憶に残ったことといえばよっしーと食べたクソうま牛タンぐらい)

 

自分のための陸上

七大戦が終わったあと、しばらく陸上から距離を置きました。体と心を休めてもう一度自分と向き合う時間が必要だと感じたからです。1ヶ月ほど、たまにウェイトするぐらいで、ひたすらに自分と向き合い続けました。今ではこの期間はとても大事だったなーと思います。当時の自分は記録を出すことに必死になりすぎて、みんなから注目されたくて、いつからか陸上競技というものが自分のためではなく、誰かのための陸上になっていました。ダンスの時に似ていますね。陸上競技というものに真摯に向き合うことが出来ていなかった、中途半端な覚悟で、陸上をみんなから認められるための道具として扱っていたんです。この経験を通して僕は、いい意味での諦めみたいなものを学びました。「高校の時の自分は確かに速かったけど、その記録を更新しないといけないなんて誰も決めた訳じゃない。別に誰からも認められる必要もない。ただ今の目の前の課題を一つ一つクリアしていけばいい」と。自分の中で肩の荷が降りたような気がしました。

 

3年越しの自己ベスト

夏休みも終わりかけ。ふら〜っと部活に復帰した僕はようやく自分のペースで陸上を再開させました。そんな中迎えた九州CS。周りは格上ばかりですがそんなことはどうでもいいです。ただ自分は、自分を満足させるために走るのだと。単純に最近の走りで気になっていた所を意識して走りました。結果は11.08(+1.6)。自己ベストです。一気に本当の意味で肩の荷が下りたのを感じました。その後の新人戦では更に記録を伸ばして10.97(+1.1)と遂に10秒台にたどり着きました。高3で出すはずだった記録がまさかこんなに遠かったなんて。高校の時の自分が天狗になっていたとは思いませんが、ここまで過酷な道のりになるとはさすがに予想していませんでした。でも、この過程で学んだことは本当に大事だったと思います。誰のためでもな、自分のための陸上競技。自分のペースで自分の目の前の課題を解決していく。それこそが陸上競技なんだと、競技者として1歩成長したように感じました。

 

・絶好調3年シーズン。しかし...??

冬季練寒すぎてモチベの浮き沈みはある程度ありましたが、順調に走り込みとウェイトを積み、万全な状態で3年シーズンを迎えました。このシーズンは本当に調子がよく、初戦で10.90(+1.9)、二戦目で10.72(+1.6)と風にも恵まれ、九大新記録が徐々に見えてくるぐらい、乗りに乗っていました。

そして三戦目、調子的にもこの年はこの日がピークでした。本当にバッチバチでした(?)。しかしここであの時の悪夢が再来します。はい、肉離れですね。最悪です。去年の経験があったのでそんなに落ち込みはしませんでしたが、一ヶ月後には七大戦も控えているのでさすがに焦りました。そうしてまた波乱万丈なシーズンが幕をあげました。

 

・大肉離れ@大井

幸い軽めの肉離れだったため、七大戦に間に合わせるためにしっかり休養をとり、ギリギリの調整で七大戦当日を迎えました。結果はガッツリ再断裂、もちろん予選落ち。当然です。これだけ走りの方は急成長しているにもかかわらず、治りかけの状態で全力ダッシュなど再断裂するに決まっています。ここでもまた競技者としての未熟さがあらわになりました。今後の陸上のキャリアと、たった一回の試合とを、天秤にかけることができなかったのです。物事の優先順位を冷静に考えず、目先の結果を追い求めてしまいました。諦める勇気と、今後の自分に託すという覚悟がなかった。3年の後半シーズンと引き換えにまた新たな学びを得ることができました(皮肉)。

 

・パート長としての責任

七大が終わり、僕はパート長に就任しました。パート長関連について話し始めると一冊本ができてしまいそうなので少しだけ話します。僕はこの一年間、みんなが楽しく、そして真剣に陸上と向き合えるようにパートづくりを心掛けました。どうでしょうか、ここまで読んでくれている人がいるのかどうかは知りませんが、今陸上を楽しめていますでしょうか。モチベの浮き沈みはある程度あっても、陸上に対する姿勢になにか一本の柱みたいなものを持っていたら、僕はうれしいです。みんながそうして競技者として自立するための最大の援助をしてあげる、というのがパート長の責任だと僕は思っています。

そしてパート長になったのもつかの間、地獄の冬季練を乗り越えて、気づけば4年生になっていました。そして僕は4年のシーズンに対する目標として、「九州で決勝に残る」「七大で3位以内での入賞」「九大記録更新」の3つを掲げました。

 

不安なシーズンイン

ついに最後のシーズン。冬季練習もウェイトトレーニングも順調に積むことができ、下準備としてはかなり完璧だったと思います。ですが4年のシーズンインはそんなに順調ではありませんでした。シーズン1戦目、2戦目ともにタイムは11.00。さらに200は22.69。そして春インは100.200ともに全体9番目で決勝を逃すという始末。七大戦に向けて順調に記録を伸ばすどころか、走れば走るほど今年もまた予選落ちで終わってしまうのではないかと、不安ばかりが募っていきました。

しかしシーズン4戦目で転機が訪れました。結果は10.64(+4.7)。爆風とは言え、10.6という体験したことのないスピードを経験できたこと。福大生がごろごろいる中で決勝に残れたこと。自信にもなりましたし、良い感覚を掴むことができました。さらにその感覚を生かし、次の試合では10.65(+2.1)というベストパフォーマンスの走りをすることができました。公認が欲しかったところですが、七大戦の前哨戦としてはいい結果だったと思います。

 

<七大編>

 

・最後の七大戦

ここまで読んでくれている方ならわかると思いますが、僕は七大戦で一度もいい結果を残す事ができていません。そもそも実力が足りなかった1年、全身ボロボロで大敗した2年、大けがをした3年、どれも思い出したくないほど嫌な記憶として残っています。そんな七大戦だからこそ、最後くらい点を取って九大に貢献しようという気持ちは誰よりも強かったという自信があります。とにかく悔いが残らないように、自分が今まで積み上げてきたものに対する答え合わせができるように、すべてを出し切るつもりで挑みました。

 

激アツリレー侍

一日目の出場競技は200m予選と四継決勝。異例の暑さで万全とは言えませんでしたが、当日はかなり調子が良かったです。200mは最低でも決勝進出、四継は3位以内は確実にとりたいという気持ちで臨みました。

200m予選は22.29(-1.3)で2着。着順で決勝にコマを進めることができましたが、一本走っただけなのにダメージが相当来ました。元々体調が悪かったのと暑さ対策を怠ったせいで、回復までに余裕で1時間はかかりました。

そうして迎えたリレー決勝。一日目の山場です。走順は海地→小川→山本→大野。各々個人競技の練習時間を犠牲にしてリレーの練習をやってきました。召集を終え、各走者の持ち場につく時間が迫ります。いつも通りニコニコしている海地、かなり緊張している様子のせんたろう、相変わらず肝が据わっている大野。みんな心情はそれぞれあれど勝ちたいという気持ちだけは一緒です。最後に全員でグータッチをしてそれぞれの持ち場につきました。心は熱く、頭は冷静にと自分に言い聞かせ、海地が走ってくるのを待ちました。雷管が鳴り、スタートが切られます。阪大と京大に挟まれている中、海地がいい場所でバトンを持ってきます。海地を信じて思いきり走り出し、1→2のバトンは完璧につながりました。後ろから海地の大きな声援が聞こえてさらに加速しました。京大がかなり追い上げてきましたが、今は確実にバトンをつなぐことに集中。せんたろうが少し早出、ですがもちろん対策はしてあります。すぐさま早出の合図を出し、ほぼ減速することなくバトンを繋ぎました。そして3→4も確実にバトンを繋ぎ、大野が尋常ではない追い上げを見せゴール。後ろから見ていたので順位がすぐにわかりませんでしたが、近くにいた大鷲先輩が嬉しそうに「3位!」と言っており、さらにアナウンスによっても自分たちが三着であったことが告げられました。自分が思っていたより嬉しくて、我慢できずに泣いてしまいました(笑)。このメンバーで最後までバトンをつなげることができて、本当に良かったです。恐らくこのレースは一生の思い出になるでしょう。リレメンのみんな、マジでありがとう。最高でした!

 

・またしても壁

順調な滑り出しで終わった一日目ですが、少しアクシデントがありました。少し体調悪いなあと思っていたのが急に悪化し、熱が出てしまったのです。最悪です。ここにきてコロナなのか何なのか知りませんが、とにかく何としてでも明日には間に合わせなければなりません。さっさとホテルに戻り、飯を食べ、すぐに布団に入りました。体感ではありますが夜になり熱がどんどん上がっていくのを感じました。結局ずっと布団の中にはいましたが一睡もできないまま朝を迎えてしまうことに。相部屋の岡本にはめちゃくちゃ迷惑を掛けました。夜中に寝られない俺の話を聞いてくれて、マジでありがとう。

 

意地で走り抜けた二日目

朝になり、出発の時間になりました。少しはマシになりましたが当然キツイものはキツイです。ですがここで弱気になってしまうと絶対に悪化すると思い、いったん自分が体調不良であることは忘れて出発しました。気合いです。

二日目の出場種目は200決勝、100予選決勝、そしてマイルです。朝の時点では100%無理だと思っていました。ですが後輩二人が僕にロキソニンを渡してくれたため、一時的に胡麻化してレースに出場することになりました。なちこと中島、マジで助かりました。

そして迎えた200決勝。薬は多少効いていましたがそれでもきつかった。結果は21.91(+1.1)で4位でした。あの状態にしてはかなり上出来だったと思います。先日ライルズもコロナ患いながら走っていましたしね。薬も効き始め、200を一本走ったおかげでアドレナリンが出たのか、一気に体調がよくなりました。

そして間髪入れずに本命の100m。ここが勝負どころです。予選は余裕をもって着順で決勝進出。明らかに調子がいいのは確認できました。今年の七大の100例年の中でもかなりレベルが高かったと思います。大野も無事決勝に残り、100の決勝に九大が二人も残るというなかなかに激アツな展開になりました。ついに決勝。四度目の正直です。この時の僕は、結構マジで全員蹴散らすことだけを考えていました。何度も勝つイメージを脳内で繰り返し、程よい緊張でスタートラインに立ちました。今まで学んできたもの、培ってきたものすべてを発揮するという勢いでスタートを切りました。恐らく、あの時のスタートは僕の大学史上最速のスタートだったと思います。ですがスピードが出すぎて足さばきが対応できず、後半失速して結局追いつかれてしまいました。ん-、悔しい!かなりの混戦だったため、自分の順位はあまり予想ができませんでしたが、体感5~6位かなあと少しがっかりしかけていました。しかしアナウンスが告げた結果は10.68(+0.8)で三位。PBそして目標達成です!驚きが強くて喜ぶタイミングを逃してしまった感がありましたが、観客席やゴール付近でみんなが喜んでくれているのが見えてとても嬉しかったです。多分、自分がここまでやってこれたのはこの景色が見たかったからなんだろう、と思いました。

その後、ここまできたら最後までやるしかないと思いマイルに出場させてもらいました。結果はズタボロ、今考えると当たり前だろと思いますが、それでも僕の出場を許してくれたマイルメンバーには本当に感謝しています。あそこで走らないという選択をしていたら一生後悔していたことでしょう。そうして意地で走り抜けた僕の七大戦は幕を閉じました。


(短距離最強!!)


 

陸上を通して

現役としての競技生活は、最高の仲間たちと最高の結果で終えることができました。本当に、陸上と関わることができてよかった。何の目標もなかったただの高校生を、陸上競技、そして関わってきたすべての人がこんなに遠いところまで導いてくれた。みんなと練習できた日々がどれも最高の思い出で、一日一日が本当に幸せだった。そう断言できるほど、僕はサイコーの仲間たちに囲まれていたんだと、これまでの陸上人生を振り返って改めて思いました。もちろんいいことばかりじゃなかったし、絶望のどん底にいるみたいな期間もありました。それでもみんながいたからまだ前に進もうって思えたし、みんなが僕の人生を豊かにしてくれました。だからこそ、最後までみんなが僕についてきてくれたこと、そしてみんなの楽しそうな顔、幸せそうな顔を見ることができて、僕は本当にうれしかったです。ありがとう。

これから陸上を続けて行く中で、いろんな困難が待っているかもしれない。いや、ほぼ確実に待っているでしょう。現実というのは思っている以上に残酷です。それでも最後まで突き進んだ人にしか見ることのできない景色というものがあります。僕ももちろんすべてを見ているわけじゃありませんし、決してその景色が良いものであるとも限りません。だからこそ、陸上への熱が尽きない限りは全力でやり続けようと思います。ここまで読んでくれている人、陸上関係者でなくてもいいです。自分が今好きなこと、熱中していることがあるなら自分を信じて最後まで好き放題やり切ってみましょう。きっと、世の中の人の大半が感じること、見ることのできない景色が待っているはずです。それこそが、僕が陸上競技を通して得た1番大切ものだと思います。結論がだいぶぼんやりしてしまいましたが、このブログを通して何か突き動かされるものがあったなら幸いです。伝えたいことはまだまだありますが、ここまでにしておこうと思います。


 

<みんなへ>

 

1年生

入部してもうすぐ半年が経つけど、陸上部の雰囲気にはもう慣れたかな?初めは結構バラバラな感じがあって不安だったけど、最近はだいぶ仲良くなってきて、以前より笑顔が多くみられるようになった!まだまだ1年生には時間もあるし、新しく経験することが多いとは思うけど、とにかく楽しく陸上ができたらいいなと思います!先輩たちを倒す勢いで、がんばれ1年ズ!

 

2年生

今の1年生が入部してきたとき、本当に先輩としてやっていけるかこちらも不安は多かったけど、なんだかんだうまくやってて頼もしくなってきたと思う!れいじも言ってたけど、PB的にもこの学年はポテンシャルがとても高いと僕は思っています。2年生と言えば怪我が多い(気がする)年だと思うので、怪我に気を付けてポテンシャル以上の記録をガンガン出してほしい!困ったときは新妻先輩が何とかしてくれる!みんなで切磋琢磨してがんばれ~!

 

3年

中島 

俺の中で中島は後輩というよりはライバルだったな~。最後の100の直接対決が負けっぱなしなのは許せんから、また一緒に走ろうな。中島の1番の強みはウェイトでも体力でもなくその闘争心(ウェイトも体力もヤバいけど)。常に自分の目標の突き進む姿は一選手としてとても尊敬してる!その闘争心の強さを生かして400で九大記録出してくれ!

 

海地

(自称)クールキャラのうみちくん。西カレと七大はさすがにクールだった。いつでもニコニコしてるかいちに、メンタル的に支えられていたことがかなり多かったその明るい性格はほかの人にはない魅力だと思うから、その明るさを生かして短距離、いや、陸上部を引っ張ってくれ!全カレ切り待ってるぞ~

 

岩永

最近やっと調子上がってきたな。大学入ってから挫折することの方が多かったと思うけど、俺のブログが少しでもモチベに繋がってくれたらうれしいな~とか、思ったりする。パート長であっても最優先事項は自分の競技!それだけは忘れずに頑張ってほしい!PB更新するところ絶対に見届ける!

 

田村

皆のアイドル田村。下関でPB出して、100のタイムも上がってきてこれから楽しみだな。そのクセの強さでこれからもみんなを笑顔にしてくれたまえ。最後の一年間田村らしく突っ走ってくれ!七大の対校選手で400走っている姿、期待してるぜ。

 

前田

お勤めご苦労様です()学連もひと段落ついて、自分のタイミングでウェイトしたり部活にも少し顔を出してるそうで少し安心!これからちょっとずつ走れるようになったらいいなと、個人的に思っている。大変だと思うけど頑張ってくれ~

 

春本

最近あまり顔が見れてないけど、いろいろ楽しんでるようでよかった!もちろん学連も大変だとは思うけど、気が向いた時でいいからたまには部活にも顔を出してくれると嬉しい!

 

加藤

学業との折り合いをつけながら自分のペースで練習する姿、とてもたくましく見えます!来年の七大で今年の雪辱を晴らそう。無理のない範囲で体調に気を付けながら頑張ってほしい!

 

4年(3年+5年)

 

れいじ

めちゃくちゃお世話になった。この一言に尽きる。それと、誰よりも周りの人の走りとか調子をよく見ていて、すごく頼りがいのある存在だった。院で100のUB更新してくれ。さすがに。

 

別府

今でも謎に満ちた存在、というわけでもなくなってきた気がする。他人に流されずに我が道を行く姿は今でも見習うことが多い。あと何度も腹筋を破壊されかけたな。これからも笑わせてくれ。バリオスと復縁できるといいね。

 

せんたろう

なんだかんだ一番優しい。優しいというか人情味があるというか、俺の愚痴とか不満とかを聞いてくれてありがとう。リレーの後ろ姿まじでかっこよかったよ。最後に10秒台出そう!向かい風の中で出したらもっとかっこいいぞ(?)

 

中岡

不名誉だけどお互いひねくれていて話がとても合った気がする色々腹割って話したのは中岡が最初だったよなー。話題一つ一つが知的で面白くて、いっぱい楽しませてもらった。これからも夜飯食おう

 

こうしろう

怪我さえしていなければ、と考えるのは野暮かもしれんが、1年の時に練習でバチバチだったのは今でも覚えている。純粋に楽しかった。あとこれから来年の4月まで夏休み(?)なの羨ましい(笑)

 

りょうだい

りょうだいを見ているとなぜか落ち着く。君にはそういう才能があるのかもしれないな。世の中の人がりょうだいの魅力に気づく前にいっぱい可愛がっとかないと。留年だけはするなよ!

 

藤井さん

短距離の裏ボス(?)的な存在として陸部を支えてくれた。この男女比でモチベを保ちつつ、記録を順調に伸ばしていく姿、めちゃくちゃかっこよかったよ。CSまで頑張ろう

 

もえちゃん

もっと早く仲良くなっておけば非常に後悔している。短距離のママ兼娘として、いっぱい笑わせてくれて、みんなを盛り上げてくれた。今年こそはちゃんと卒業しようね。

 

とまあ、こんなところです。果たしてここまで読んでくれている人は何人いるかわかりませんが、最後まで読んでくださりありがとうございました。これで短距離による七大戦、陸上人生振り返りブログはおしまいです。また機会があればよろしくお願いします。ありがとうございました!!!