皆さん、こんにちは!短距離4年の山本です。なんか別府からケチだとか言われていましたね。ひどいもんです。まあたしかに3年生たちからアイスじゃんけんでお金巻き上げてはいるけどこれは負ける方が悪いしね、岩永くん!

話がそれてしまいましたが4年生は七大の振り返り兼陸上人生の振り返りを書いてくれとのことなので長くなりすぎないようにさっくりと振り返ってみようと思います。大学入って一度もアレ出してないし、たぶん人生で最初で最後の振り返りなので読んでもらえたら幸いです。

 

あまりモチベのなかった中学陸上時代

 自分が陸上を始めたのは中学1年のときでした。最初から陸上をやると決めていたわけではなく、当時一緒にいた友達と陸上部に入るかソフトテニス部に入るか迷っていてまあ球技苦手やし、陸上にしとくかくらいの感じで入りました。

小学校のときも運動会でリレー走ったことあるし、そこそこ速く走れるかなと思っていたら中学初戦の100mで15.56というゴミタイムを記録し、衝撃を受けたことを今でも覚えています(笑)。そんなこんなで足があまり速くなかったし、やる人がいないとのことだったのでハードルに挑戦することになりました。まあこれが大失敗で、やり始めて数か月のときに、競技場のハードルでこけて右手を骨折するという大けがをしました。それ以来、フレキは飛べるけど硬いハードルは無意識に体が避けようとしてしまって全くハードル飛べなくなりました(笑)。トラウマって残ってしまうようです。それなのでハードル競技するやつの気持ちが理解できないですね。頭おかしいと思います。

とはいえ、陸上に対するモチベはあまりなかったのでたまに大会で100とハードル出る日々を過ごしているといつの間にか100が12秒くらいで走れるようになっていました。そのくらいからリレー走ったり、3年の最後に200挑戦してみたりと完全な短短選手になっていきました。

 

だんだんやる気になった高校時代

 短短種目をやると決めて入学した高校1年生ですがものすごい苦難が訪れます。なんと100、200,400だけの選手を先輩たちが基本認めないスタンスだったんですね。まあ純粋な短距離種目だけでインハイとかって難しいし、周りとのモチベに差が出るみたいな理由だったと思います。自分も一度は投擲系のやつをやらされそうになったけど400専門にしたいもう一人の同級生(今は慶応で山縣のサブマネしてる←自慢)と顧問(十数年いた顧問が入学と同時に異動して新しく来た顧問)たちにやりたい種目をしたいと伝えたら、それでいいとのことだったので先輩たちには申し訳なかったけど下西短距離専門パートを創設することになりました。それ以降ずっと専門でやってる人たちがいるようなので今やれてるのは我々のおかげですね(笑)。

 まあこれだけにとどまらず、強制週5の朝練、意味わからんくらい厳しい挨拶、周りから葬式みたいと言われていたミーティングなど本当にきつかったです。(今はたぶんこんなことにはなってない)正直辞めようかとも思ったけど途中でやめるの好きじゃないので頑張って耐えました。

 顧問が変わったこともあって年々マシにはなっていたし、自分も慣れてきた2年のころなんかめっちゃ足が速くなりました。今練習で履いているインクスを買ったのもこのころですね。記録会(あんまり速い人はいなかったけど)で100m3位になって賞状もらったり、4継で中国新人ったり、中国新人で人生初マイル走ったりと陸上人生で一番モチベがあがりました。来年はインハイ目指すぞ!と思っていた矢先、安定のコロナで全部消し飛びました。受験もあったので無念の引退に追い込まれたというわけですね。

 

マジでやるつもりのなかった大学陸上

 普通に高校で引退するつもりだったので最初のころは陸上部と全くかかわりがなかったです。入部したのも7月だったしね。いろいろ見学して決めようと思っていたらまたしてもコロナで何もできなくなりました。しかもその期間が長引いてこれはニートルートまっしぐらだなと感じたころに何もしないくらいなら続けてみようかなという思いが出てきました。まあ、高3もなくなって不完全燃焼だったし、たまたま友達が佐久間先輩のラインを教科書販売の日に交換していたという偶然も重なって結局入部することになりました。

 しかし、入部したものの当時の1年グループはなかなか強烈でマジで大丈夫なんかと心配になったのを覚えています。さらに七大の宿泊とかも間に合わなくていけないし、8、9月は免許取りに実家帰ってしたし、後期は5限とか肉離れとかでたまにしかいかなかったのであんまりなじめてなかったように思います。

 タイムも入部してすぐくらいに手動で12.3かかったり、実家で練習して11.5くらいまでは戻したけど怪我があったりと、モチベが全く上がらず、結局2年の夏くらいまではあまり部活をやれてなかったです。2年の夏くらいからやっとまともに練習を積めるようになり、そこからはタイムもだんだん良くなってようやく大学陸上生活がスタートしたと思います。

 まともに部活に行くようになって、しっかり走れるようになった3年生ではようやく100、200ともにPBを出すことができ、ようやく高2の自分を超えることに成功しましたが正直まったく満足できませんでした。端的に言うと周りの奴らが速すぎたからです。10秒ランナー小川、草林、大野、竹山に加え、400、400Hでバカみたいに速い中島、海地などレベル高すぎて普通に挫折しそうなレベルです。特に、小川、大野あたりは何回心くじかれたかはかり知れません。まあ、元々速すぎる大野とか、受験後すぐから練習してた小川に比べたら圧倒的に練習不足なので仕方ないといえば仕方ないけどやってる競技一緒だしなかなかしんどいかったですね。同じ競技の人がいい記録出すと自分もうれしい反面、悔しさとか嫉妬的なものも出てきます。せめて勝負できるくらい実力あったら次は勝つぞとか思えるけどほんの0.3~5秒くらいの差なんだけどこの差がものすごくでかい。特に小川は同級で種目も一緒だったからやっぱり意識してしまう。同じ競技やっている以上そう思ってしまうのはしょうがないことだとは思うけど。でもマジで俺の心を破壊した分補償してください。よろしくね!

 

七大戦で印象に残っていること+思ったこと

 まあそんなこんなで迎えた現役最後の七大戦ですがいろいろありました。そもそもやる気出し始めたの2年の夏以降だから七大戦まだ2回目です。もっと早くやる気出しとけよ(笑)。最後の七大も安定の挫折と喜びがいっぱいありました。挫折はもちろん個人競技。小川、大野速すぎる。マジでこの一言に尽きる。他大学の人もバケモンばっかりでもはや笑えてくる。しかし、嬉しいこともあって4継でなんとの3位。最後の最後に表彰台に乗れました。個人では力が足りなくても4人で力を合わせれば何とかなるってこういうことなんだと思います。心挫かれながらもめげずにやり続けてよかったなと心の底から思いました。

あと、これは副産物ですがこの大会で大車輪の活躍をした完全に格上の小川に対して唯一、永遠にいじる武器を手に入れることができました。彼がマイル1走で力尽きたため、2走の自分にバックで風よけがいなかったからです。バック向かい風でしんどかったなあ(笑)。10秒68の男に文句言えることはそうそうないので一生これでいじってあげようと思います。CSでリベンジするの待ってるよ!

このほか全部書くと長いので箇条書きでサクッと強く印象に残ったことを書こうと思います。

中島:マジで走れるようになってしっかり結果出すとは思わんかった。ガチですげえわ。でも、二度と事故起こさんように反省してください。

海地:ハードルあると加速するの?と毎回疑問に思います。ハードルでドーピングしてるの?俺はハードルアンチだから理解できない。

あと体ボロボロなのにマイルギリギリまで走ろうとしてくれたの普通にうれしかった。CSリベンジしような。

大野:速すぎ。来年、来るかわからんけど竹山と1、2フィニッシュしてほしいな。

田村:よくあの高さを走り切れたな。なんかすごい元気もらえた。

こうしろう:一体お前は何をしに来たんだ?

翔大:きもい。マジで尊敬するわ(陸上においては)。

 

最後に

こうやって振り返ってみましたがなんだかんだ充実した陸上人生だったなと感じました。中学、高校の陸上部の人とは今でも仲良いし、九大の陸部の人とも今ではすごい仲良くなってるしね。最初は心配だった4年生たちとも今では完全に馴染んでしまい、元バリカスなどの影響もあって、バイク免許を取るなど完璧に影響を受けてます。今まで眠っていた自分が完全に解放された感じです。まあ楽しいからいいけど。部活引退してもまだまだ集まりそうです。3年生とはMリーグを結成し、マリオカートで切磋琢磨してため、まだまだ関わりは続きそうですマリカなら負けないよ。写真はキノコキャニオンのタイムアタックをみんなで競っていたときの最高タイムです。正直これめちゃくちゃ速いです。すぐ田村に抜かれたけど。



今後の予定ですがいろいろ迷っています。とりあえず今シーズンは完遂します。そのあとは今ほど行かないかもしれないけど部活は行くんじゃないかなと。なんかここで引退すると10秒出せてないから後悔しそうなんだよなあ。でも、今までみたいに全振りもしたくない。まあ後のことは後の自分が考えるってことにしときましょう。



 手短に書こうと思ってたら想像より長くなりました。ごめんなさい。ここまで読んでくれた人たち、ありがとうございました!次回はたぶん陸上歴が誰よりも長い大ベテランのれいじです。お楽しみに。