父親の件で要望があったもので~ | ぐ~たら爺の奮闘記(^^Ameba版

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その要望とは、戦前とは言え軍艦の写真等撮影は禁止では?との問い合わせでした。
 
そうです、確かに撮影は禁止ですしスパイ扱いで軍法会議ものだと父親は申していました。
では何故撮影で来たのか?ですよね~~
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当時親父は日本海軍の重巡洋艦「妙高」に乗船していました。その2番砲塔をこのメンバーで担当していたそうです。1番砲塔とは、軍艦の一番前にある砲塔で、2番とはその後方で台座に乗って少し高い位置を言うそうです。
 
当時は戦争前でして、訓練で仮に連合艦隊を組んだ際に当該「妙高」に連合艦隊長(偉い方)が指揮官として乗船されて来られたそうです。当時父親は三等兵曹(下っ端の下士官)であった当時、艦長より命令で連合艦隊長の面倒を診る様に指示されたとの事でした。
 
そこで挨拶に行った際、部屋にカメラが置かれており「艦隊長のカメラでありますか?」と問えば「そうだ、君も持っているか?」と問われ、持っている事を伝えると「じゃ~カメラ持って来い撮影するぞ」と??連合艦隊長と一緒に2人で撮りに行ったそうで、艦長含め上官の誰にも指摘されず、好き放題に撮ったそうですよ。
 
その後、仮の連合艦隊も解散後も父親は堂々と艦のカメラマン?みたいに記録係士官扱いみたいになって、毎日撮影しても誰も指摘されなかったそうです。当時新聞社のカメラマンが撮影する際も艦の甲板を写す事だけを許される程度に厳しいものだったと申していました。
 
その他にも色々あります
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艦橋には艦長や副艦長もいる訳ですが、何も言われないって問題?当時の連合艦隊長との繋がりがあると思われたのでしょうかね~~?
 
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当時こんな写真まで撮っていいの?と疑いたくなりますよね~
 
その後、父親のホームページに色々載せた結果、数年後に問い合わせがありました。それは、写真を見た方より「私の父は妙高に乗っていて戦死したのですが、乗っている写真に父親と思われるのですが、当時の話を聞けないでしょうか?」との事でした。
 
父親もそれを希望と申しますが、誰か見て連絡無いだろうかとの期待を持っていた事が現実に連絡が入った訳です。しかし父親は痴呆が始まり、問うても「判らない」と言うだけ、折角頂いたのに時はすでに遅しでした。その方に「折角連絡頂きましたが、父親本人に問うも痴呆が始まっていて、判らないと発するだけで誠に申し訳ございません」と丁寧にお断りしました。
 
その方は、そのページの写真をコピーして保存しているとの事でした。残念でしたね~~
その後、親父のホームページは閉鎖しました。