ラジオ。メディアが発達した現代だと、アナログなメディアのようにとらえられるかもしれないが、飲食店や職人さんの現場、トラックなど、さまざまな場所で、ラジオの多種多様なコンテンツが愛されている。

自分にとっては、いろんなおもしろい世界と自分をつなげてくれる、ちっこくてかわいいけれど賢い(スターウォーズのR2-D2みたいな)ロボのような感じ。


子供の頃。実家に唯一あったTVは、家族みんなで視聴する用だったが、部屋にあったラジオは、自分の興味のままに好きなチャンネルに合わせることができた。
ラジオを通じて、いろんなジャンルの音楽や文化、日本や海外の表現者、(深夜は)ディープな笑いの世界(あと、エロっぽいこと)など、様々な世界に触れることができた。
インターネットが普及していない頃の子供にとっては、家や近所、学校などの“自分の生活圏内“が“自分の全世界“であったため、ダイヤルを回すだけで、いろんな場所とつながり、いろんな国やジャンルの音楽やトークを聞かせてくれる“ラジオ“は、ドラえもんの秘密道具級(実際味わったことはないけど)のワクワクを味わわせてくれていた。



ラジオに感じているよさは、(今、思い付いたもので)以下の3つ。

①音声情報だけなので、自分で想像して楽しめる余地がたくさん残っている。
②目で見なくてよいので、別の作業をしながら楽しめる。作業の邪魔にならない。
③ラジオパーソナリティーやリスナーとの距離感がちょうどよい。



今は、スマホやパソコンでもラジオが聞けて便利。
よく使っているラジオのアプリは以下の4つ。




radiko:クリアな音声でFMもAMも聞ける。


Radio Tunes:幅広くジャンルや年代ごとに音楽チャンネルが分けてある。※トークなし。

Classical Radio:クラシックの曲が作曲家やジャンル、年代などでチャンネルが分けてある。※トークなし。


JAZZ Radio:ジャズのジャンルごとに音楽チャンネルが分けてある。※トークなし。


[ メディアが多様化した、現代だからこそ ]

「なんとなくTVがついている」という状況が、20代の中頃から特に嫌になった(見ようと決めていて、それを楽しむのはOK)。
「特に見たいわけでもないけれど、なんとなく手持ち無沙汰で電源を入れ」「特に内容が面白いわけでもないけれど、演出の賑やかさ等で引き付けられ」気が付けば半日過ぎていた……なんていう、強烈な虚しさや疲労感に襲われるということを(ちっとも学習せずに)なんども過去に経験してしまった。

子どもの頃はTVが好きで、バラエティーやアニメを見ることを楽しみにしていたが、だんだんおっさんになってきたからか、TVの“予定調和感“や“空騒ぎ感“(加えて、過度に説明的なテロップやBGM、効果音などが使われ、刺激的にして視聴者を過度に引き付けようとする演出、印象操作的な演出……など)に辟易してしまうようになった。(その時の気持ちを例えるならば、飲み屋でゆったりと楽しく飲んでいたら、隣に大学サークルノリの集団が来て大騒ぎをされるストレスに近い。)
TV番組の演者さんやスタッフさんたちは、情熱をもった、プロフェッショナルの方々であろうことは想像ができるし、すごく工夫がされていて面白いアイデアの大好きな番組もある。制作者側の様々な事情や厳しい条件・制約などがある中で、なんとかよりよいアイデアになるように日々、苦心されているんだろうなと思い、尊敬する気持ちもある。


大事なのは、“コンテンツを味わう側の意識“だと思う。
視聴者側の態度として、楽しむことに“受け身“になってしまうと、心からの楽しさや充実感、満足感は得られにくいと思う。「お客さん」意識を強くもってしまい、自分が楽しめるきっかけを“他人任せ“にしてしまわないようにしたい。


また、生み出された様々なコンテンツに対して、安易に批判をするのはナンセンス。「安易な批判」は、楽しむきっかけを、他人任せにしていている態度である。ときどきでいいから、自分自身で、「どうしたら、楽しめるかな」と“感覚をていねいに はたらかせて“、“思考“することが大切だと思う。


メディアが多様に発達していて、楽しむことについても「飽食」の日本だからこそ、イチ視聴者としては、“(お腹はそんなに空いていないし、それを特に味わいたいとも思わない)なんとなく食い“や“ドカ食い“、“偏食“みたいなことにはならないように心がけ、(紙の本、ラジオなどのアナログなメディア、自分で考えた工夫なども選択肢の中に含めながら)心地よく日々をすごせるとよいなあと思った。