昨日の夜、中杉通りのパン屋前のバス停に、
桜が咲いていた。
街灯の人工的な光で演出された青白い空間の中。ほんのりモモ色の花たちが、ポップコーンがはじけたみたく、
行き交う人たちの頭上に広がっていた。
安酒を浴びてヨッパライの脳だったが、もうすぐ暖かい春になるんだなあ〜と感じ、嬉しくなった。
いつの頃からか、
冬から春、春から夏、夏から秋、秋から冬。
朝から昼、昼から夜、夜から朝。
……など、
変わり目の時間に体験する自然現象(暗くなったり、明るくなったり。寒くなったり、暖かくなったり。)や、
それによって町の様子が、変わり始めたりすることに
面白さ、不思議さ、ここちよさ?を感じている。
まだ昼の明るさが残っているけれど、街灯や町の看板の明かりが灯り始めたり、車や自転車のライトが鬱陶しいくらいに光り出したり、
寝静まった町が、明るくなるにつれて再び"1日"を始め出している様子であったり。
すごく身辺のことで言うならば、
住んでいるぼろ木造アパートの壁を伝い聞こえてくる毎朝の音達について。外の冷気が染み入ってくる、老朽化した木造アパートのどこかから聞こえてくるいろんな音達。
引き戸を動かすゴオォォオー……。
給湯器が動き始める時の
カタン、トトトトトト……。
洗濯機が回り始め、
ボルボルボルボルルルルル……。シャワーの、シュシュシュゥゥ〜〜〜ッ。それが鳴り止むと、ドライヤーのヴウオオオオオオオオオオオーー!
ただし、
ゴミを捨てに外に出ると不思議なくらい、それらの生活音達は聞こえなくなる。
かわりに小鳥(目認したわけではないので、声のか弱さから勝手に推測)の声が遠くから聞こえる。
チチチチチチチ……
チュチュチチュチュ(小鳥その2)
ピュイピュイ(小鳥その3)
などが聞こえてくる。
さらにまたしばらく時間が経てば、あちこちそちこちからいろいろな生活の音達が立ち上がって来て、混ざり合い、
聞こえている一つ一つの音への意識は薄まっていく。
町は24時間の流れの中で、いろいろな顔を表す。
静寂の早朝。人が動き始め、生活音達が立ち上がり始める朝。穏やかな昼。賑やかな夕方~夜。深夜また静寂に。(まあ日によっていろいろだけれども)とにかく、同じ場所であっても様々な要因によって、場の雰囲気が様々に変わる。
考えていると、こんなことも思い出した。
深夜の人の気配が無くなった町を歩くと、建物と道の存在感だけが増し、まるで、細部まで精巧に造られた映画のセットや巨大ジオラマの中をたった一人で歩いているような気持ちになる時がある。昼間は人が大勢いて、活気に溢れていた場所なのに、同じ場所なのに、すごく違って面白い。
うまく言葉で表現できないのだけれども、たかだか近所の町の様子だけでも、1日の中での人の暮らしの動きが変化することが面白いのかも。特に、変化する、「切り替えのタイミング」。
同じ国や地域に住んでいれば、生活の流れは大まかには似ているが、切り替えるタイミングは実は人それぞれで多様だ。一律ではないからこそ、そのだいたい切り替えが起こるであろう朝から昼、昼から夜の時間帯に、いろんな要素の重なり合いが起こって、「楽しい違和感」が現れるのだろう。(季節の変わり目においても同様のことが言えると思う。)
……なんてことを、
朝、
家の外の廊下スペースでコーヒーを飲みながら考えた。

ぼーっとしながら

