シリーズ/なぜ国際貢献なのか?・・(7) | 江田 けんじオフィシャルブログ Powered by Ameba

シリーズ/なぜ国際貢献なのか?・・(7)

今週の直言
『シリーズ/なぜ国際貢献なのか? ・・・ (7)無茶苦茶な論理 「テロ特措法」 』

 その為政者のレベルの低さというか、はたまた「米国追従の確信犯」とも言うべきか、その象徴的な事例が「テロ特措法」だった。この自衛隊の海外派遣の新たな原理原則を決める法律が、極めていい加減なロジックで、いや、とてもロジックとは言えない論法で、数の力だけで押し通されてきたのである。

 覚えている方もいるだろう。このテロ特措法の国会審議(衆院予算委2001年10月1日)で、当時の小泉首相は、「集団的自衛権の行使」に肯定的な民主党議員の質問(挑発?)に答えて、こう言ったのだ。

 「憲法前文と憲法九条をどうやって調整するか。憲法前文は、世界と協調しながら国際社会の中で日本は名誉ある地位を占めたいと高らかにうたっております。そして、自国のことのみにとらわれて他国を無視してはならない。そういう中でいかに国際協調を果たしていくか」とした上で、
 「私は、総理になる前から言っていたのです。集団的自衛権の行使を認めるのならば憲法を改正した方がいいと。今、状況を考えて、憲法を改正するような状況じゃないですよ。その中でいろいろ知恵を出して、憲法の前文と憲法九条の間のすき間、あいまいな点があるところを、どうやって国会議員の皆さんの知恵をかりながら日本ができることをやろうかということを考えている」と言い、
 「確かにあいまいさは認めますよ、あいまいさ。すっきりした、明確な、法律的な一貫性、明確性を問われれば、答弁に窮しちゃいますよ」と率直に認めているのである。

 すなわち、憲法前文が要請する「高らかな国際貢献」と、これまでの憲法九条の政府解釈「集団的自衛権は行使しない」との間にはすき間がある、集団的自衛権を行使できる「普通の国」であればすき間はないのだが日本の場合はある、このすき間は憲法上のすき間なので本来憲法改正で埋めるべきだが、改正できる状況ではないので、そこは知恵を出して埋めていこう、すなわち、このテロ特措法で埋めるのだ、という答弁なのである。

 驚くべき答弁である。憲法にすき間があるなら、それを埋められるのは、小泉首相がいみじくも指摘するように憲法改正でしかない。あるいは、好ましくはないが従来の憲法解釈の変更でしかない。憲法を下位規範たる法律で変えられないのは法律学のイロハを知っている者にとっては当然の法理だ。

 しかしそこを、小泉首相はテロ特措「法」で強引に突破したのである・・・

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