今週の直言 | 江田 けんじオフィシャルブログ Powered by Ameba

今週の直言

「官邸の危機管理シミュレーション(上)
                   ・・・第二次北朝鮮核危機」

 北朝鮮の核実験と国連の制裁決議を受けて、今、官邸では様々な危機管理シミュレーションが行われているはずだ。まさに国家のトップシークレットに属する事項ではあるが、橋本政権時の検討成果が、その土台となっていることだけは確かだ。

 そもそも、今、議論の焦点となっている周辺事態法及びその関連法である船舶検査法は、橋本政権時に策定されたものである。さらに言えば、その前提となった新しい「日米防衛協力の指針(新ガイドライン)」や「ACSA(日米物品役務協力協定)」も、さかのぼれば、橋本・クリントン会談(96年4月)で発出された「新日米安保宣言」に端を発している。これら一連の指針や法整備等に、私は、首相秘書官として主体的に参画してきた。

 最初の契機は、93年~94年にかけて起こった第一次北朝鮮核危機だった。細川・クリントン会談で「北朝鮮の核開発は本物」という情報がもたらされ、その後、米国は海上封鎖、さらには核施設へのピンポイント攻撃までも検討の俎上にのせた。これに対し、北朝鮮は「宣戦布告とみなし、物理的対抗措置をとる」と宣言し、極めて緊迫した事態となったのである。幸い数ヶ月後に、カーター特使の訪朝により事態は収拾された(ジュネーブ合意・注1)が、この時、日本は初めて朝鮮有事を現実の問題としてとらえ、あらゆる事態を想定した危機管理の検討に着手したのである。

 当時、危機管理チームの中心人物だった石原信雄官房副長官によれば、「海上封鎖時の米艦船に対する協力(燃料補給や民間港湾・空港使用)」「大量難民の受入態勢」「原発等へのテロ対応」等が検討対象だった。しかし不幸なことに、この時、日本の政局は混迷していた。丁度、政権交代の狭間に当たり、細川・羽田政権という脆弱な短期・多党連立政権から社会党首班政権へとバトンタッチされる最中での出来事だったのである。このため、せっかく始めたこの危機管理シミュレーションも途中頓挫を余儀なくされた。

 それをもう一度、政権のアジェンダに載せたのが、久々の自民党本格政権といわれた橋本政権だった。橋本氏は、第一次北朝鮮核危機の時に、野党でありながら政調会長として官邸の相談にあずかり、強烈な問題意識を有していた。それが、政権発足直後に起こった「中台危機」(96年3月・注2)で倍加され、その後、首相主導で「新日米安保宣言」「新ガイドライン」「周辺事態法」の策定へと突き進んだ原動力となったのである。

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