「正しさ」とは?

と考えるにつけて、第一に自由さは大切です。

けれども……特定の誰かが傷つく場合それは失敗で、反省が必要です。

宗教や政治はセンシティブな話題。

そこに介入するには並大抵の覚悟ではいけないと学びました。

「今の私はこの意見です」と表明した事だから削除は出来ればしたくない、しかしヌカルミに付けた足跡だから泥をぬぐうのも自身の役割でした。

次はもっともっとアンテナを張って、発言します。

 

話は変わりますが。

何が「正しい」鑑賞法か預かり知りません、わたしは句にするだけの思い入れがある芸術は、心から好き、誰よりも……まで言うと大げさですかね……自分なりの解釈を持ってるびっくりマークと自負してはいます。

(それくらい真摯に俳句とも向き合えたらどんなに良いか)

 

につけても、人間の手で出来上がった制作・創作物を詠むのは今の句作レベルでは無理だったかもしれません。キョロキョロ⚔DQならスライムナイト倒せる?Lv.ドウニカコウニカ。

作品に惹きつけられている程に、そのやたら大きな感動をどうやって収めるんだって話で。

しかも「この作の良さを真に心得る者は私のほかに居るまい」という驕りが端々に透けている気がする。エッヘン!てなもんであるガーン恥ずぅ~

 

先人に学んで実物の花鳥風月なり何なりに留めるのがベスト。

それを壊すなら、それなりの実力が伴うのでなければ。

 

冒頭のテーマに戻り「正しさ」、

「正しい」見方は無いと書きましたが、よって「なんも感動しない」「だるい」「理解したつもりでおる評論家気取りの奴がウザすぎる」汗うさぎ←……でも良いはずです。

 

ここから自分語りになります💦💦失礼。

 

俳句の王道がまだ全然分かってない身ですが、悩む必要はありませんよね!

しかし、目標を掲げるなら、一人の気持ちに残りたい。

もうすぐ楸邨忌。

『鰯雲人に告ぐべきことならず』みたいに、句心の欠けた読み手でも一部に届くものを探すこと。それでもって憚りながら、もっと言っちゃうと自分の手でいつか作り上げること!!(もはや創作より創造の域になってしまうけれど)。

鑑賞者の姿勢よりも、すべては感性に自然に訴えかけるまでの作品でないのが不足なのではないでしょうか。読み手にゆだねる文学であっても最後の責任は自分側、作り手にあると思うのです。

 

其の自分なら信じられるか擬宝珠傾ぐ