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裏・La Description du Monde

とある船長の出張所

「劇場公開中は、未見の方に僅かでも先入観を与えたくない」という想いから伏せておいた当拙文。10月22日に同作品のBlu-rayが発売されたことに寄せて全体公開させていただきます。(2014.10.23)

先ず言っておかねばなるまい。いや、まあ今ここをご覧の方の多くは「言われるまでもない」だろうと思われるのだが(笑)念のためというか、これを"語る"上での自分自身の『証明』みたいなもの、「自分自身納得するため」の、長い前置き…なので読み飛ばしてもらってもかまわない、実際ムダに長い←

俺は松井玲奈のファンだ。

ファンというものは、時として盲目的であり、時に否定的であり、またある時は嘘つきだ。このうち、俺が『悪』だと思っているのが最後の『嘘つき』だ。

純粋に盲目ならば、まだいい(確信犯的ではあるけれど)。それが正しい判断かどうかはともかく、ひとまず自分の気持ちに嘘はついていないから。たとえば、自分の思い通りじゃないからという理由で否定する。これはみっともないが、それでもある意味、言わば純粋だ。

不純なのは、本音を腹に据えとにかく褒めるという行為。気に入られたいからとか、好かれたいからとか…それは凄く安っぽいものだ、なんでもかんでも『いいね!』押しとけばいい(取りあえず嫌われずに済む)ってなものだ…って、これは脱線した(笑)

つまり、何を言いたいかというと…俺は(好きな相手だからといって)思ってもいないことは言わないし、思ったことは言わずにいられないバカ正直ということだ。ファンを自認するならば尚更、其れは『太鼓持ち』で在ってはならない、そう認識している。

以上を証明し、約束する。

その上で以下、『gift』という作品の雑多な感想。


本日(2014.8.14)漸く観ることが出来た映画『gift』。

結論から言おう、良作だ。お世辞抜きで久々に『邦画らしい邦画』を観たという感。

近年の邦画の多くは、大仰でウェットな演出(そして宣伝展開)に走り・頼り過ぎていて、正直、俺は辟易している。此処(※Google+)で2、3日前に書いたこととも繋がるが、何しろ受け手の感想が送り手によって準備・仕度され過ぎているのだ。それはもう予備知識・情報を容れる容れない以前、『作品の存在を知った時点で刷り込まれる』レベルで。

どうにもそういう、他人からのお仕着せというか予定調和のようなものに拒否反応を示してしまうのだ俺という奴は。ひょっとすると篠崎や沙織よりも捻れた、めんどくさい人間なのかもしれない(笑)


篠崎と沙織。人によっては、とても感情移入し辛い人物像かもしれない(少なくとも序盤は)。しかし個人的には、「近年稀に見る正直者だな、こいつら」みたいなカンジで、始めから寄り添えたな(それこそまた近頃の邦画の登場人物の多くが一面的で清廉過ぎると感じているからかも)。

遠藤憲一って凄いな。大した役者だなと改めて思った、どんな作品に現れても遠藤憲一で在りながら、その都度『こういう人物なんだな』と此方に納得させる力が在る。個人的に好きなのは、なんと言ってもあの啖呵っぷり、毎度胸のすく思い。それは本作でも痛快なものだった、ともすれば理不尽ですらあるはずなのに(笑)不思議な説得力。

そうそう。鑑賞前は、もっと淡々とした、言わばハードボイルドな造りの作品なのかなとも想像していたのだが、コミカルな演出も随所にあって飽きさせなかったな。というか、その辺りが、人間味を、芝居がかり過ぎない範囲で上手く醸してた気がする。また、いわゆる単館アート系にありがちな妙な気取りも無く(俺は、娯楽を否定するかのような"芸術的"態度が好きではない)。

…そしてその、もはや貫禄と言っていい重厚な役者の胸を借りた松井玲奈。これは以前から思っていることなのだが、彼女には、どこかニヒルな『少年』の香りが在る。今回の沙織という役柄、ハスッパで、少なくとも普段のアイドルという存在としての松井玲奈とは、まるで違う。おそらく本人も『自分とは全く違う人格』と認識し、その上で演じたんじゃあないかと思う。

しかしだ。沙織という人物、もしも他の誰かが演じていたら、もっとフツーの女になっていたんじゃないかなと思う。この『フツー』というのは、それこそ俗に言う『ビッチ』の印象になっていたかもしれないということだ。ところが松井玲奈演じた沙織は、ハスッパで投げやりで落ちぶれてて…それでもどこか、「凛々しい」んだな(それが好かった)。

彼女の本質というのは、やはり其処にあるような気がするのだ。それは、たとえば『抜き身』だ。

女性の多くは、女性であるがゆえに当然のごとく、女性という鞘を携えている。どんなに男勝りに振る舞い気取っていようともだ。ところが、ごくたまに存在するのだ、抜き身が。それは、他ならぬ本人が、誰より気付いていないことのほうが多いように思う。何故ならそれは、正しい『自然体』だからだ。

脱線するが。「サバサバ」とか「自然体」とか自称するってのは、要するに「と、思われたい・見られたい」ってことの表れだ。それのどこがサバサバで自然体なのか?と、小一時間ほど問い詰めたい、「むしろそれ全身不自然体ですよ」と、普通は気を遣って言わない事実を、自分が嫌われたくないから言わないという偽りの気遣いではない本当の優しさでもって涙を飲んで突き付けたい。

閑話休題。

演じるということは、意識的な行動。しかし、無為から生じる固有の何か、つまり『個性』というものは、それでも滲み出るもの(無意識であるがゆえに)だと思う。そういう面で松井玲奈は、いまや希有な存在と俺は認識している。今後、更に役者として形而下にスキルアップしていくであろうが、その中で決して見失ってほしくない貴重な天性、形而上。そう俺は考えている(願っている)。

ああいったシチュエーションの場合、通常、どうしてもどこかで(脚本・演出の意図に関わらず)"男女"を感じてしまいがちなものなのだが、松井玲奈という個性だからこそ最後までそういうニオイを感じることなく、遂には『父娘』に見えたのかもしれないな、なんて思う。

序盤、脚を引きずる篠崎を振り返りもせずズンズン進んで行く沙織。そこから段々近付き、終盤には腕をとり、やがて…あの経過そして画、すごくよかったなあ。

邦画って比較的、ことに90年代あたりからのものって変に説明的なことが多いんだけど(そこは悪い意味でアニメ的になったという感もある)、本作はその点『想像させる』演出が好感だったな全体的に。例えばラスト。安い(易い)演出志向ならきっと"オーバーラップ"させてたと思うんだ。それが無かったからこそグッときた。『大吉』引いて子供みたいにはしゃいでた篠崎の姿が、ハッキリと蘇ったよ。

そしてそれは、あの空っぽの箱の中に何を見るのか?ってメッセージとも繋がってるような気がする。この駄文の冒頭で書いた「受け手の感想が送り手によって準備・仕度され過ぎている」って話を思い出してほしい。つまり、そういうことなのだ。この作品は送り手いや贈り手からの、いまどき珍しい、お仕着せの品では無い『gift』なのだ。


…ってのは、まあ俺の随分と手前勝手な思い入れ。でもね、思い入れってのは本来そうあるべきだと思うんだ。誰かや何かに予定決定されるようなものじゃあ無くて、自分で感じて動くもの、だからこその『感動』なんじゃないかなと思うんだ。


以上、纏まりの無い乱文になってしまったなと我ながら思うけれど、それだけまだ色々と溢れてしまってるということ、心にジンワリと残る、あとひく作品だったという証拠。まだまだ語りたいこと、語りたいシーンは数多あるけど、それやるともうただの『あらすじ語り』にもなりかねないからね、ヘタすると夏休みのダメ読書感想文みたいになるからね(小学生あるある)。

正しい意味で「痛い」んだけれど、それでもまたあの二人の旅路を共に辿りたいと願う(劇場で観ることが出来た幸福を噛み締めつつDVD/BD化を切に願う)。宮岡監督の今後の創作活動にも期待しつつ。

映画『gift』極私的感想文(文中敬称略)


蛇足。自分が感じた第一印象は正しかったな、自分にとっては間違い無く…と、思ったとさ…どこまでも不遜な俺(笑)いま一度、「良いものを贈ってくれてありがとう」の気持ちをこめて。




【2014.10.29追記】
「いまだDVD主流」の現状下、ハイクオリティなBlu-rayで発売されたことは喜ばしい限り。しかしながら、それゆえ肝心の再生機器を持ってないという人も少なくない様子。レンタル専用でもよいのでDVD版も出せば、より多くの人に観てもらえる可能性があるかなと想う。