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裏・La Description du Monde

とある船長の出張所

毎度その期間中(またその結果発表後にも)候補者に対し、周囲に対し、「そのことばかり投げかける」有権者が、俺は好きでは無い。結果に対し「責任」を感じるのは勝手だが、「そこで負わせるのは違うだろう」と思うからだ。また仮に、もし候補者自身が、そのことについて「連日連呼」していたら、それはそれで「なんだかなあ」と思うだろう。

なぜなら、それこそ"本物の選挙"などは「連日連呼合戦」なわけだが、俺は、あの行為に意味を見出せないからだ。俺にとってあの行為は「ただひたすら喧しい」だけの無意味な、むしろ浅ましい行為だと感じる。それはなぜか?

あの様な喧伝は、言わば「頑張っているフリ」の次元に過ぎないと、俺は考えているからだ。そして、こう言っては実も蓋もないが、凡そ「結局それとは無関係に票の行く先(支持者の思い)は始めから決まっている」からだ。

それこそ、リアルに考えてみてほしい。「そのときだけ思い出したように電話をかけてくる知人(友人ですら無い)」なんて、お笑い種でしかないじゃないか?(笑

「ただそのとき名を喧伝すれば支持(票)を得られる」なら、誰も実質苦労は無い(もしもそれで勝ち得た者がいたら、それはほぼ確実に為政者となるだろう。そして迂闊にもそれに乗せられた者は、きっと後悔するだろう)。

ある人物を「支持したい」と思うかどうかは、つまるところ、その人物の常日頃の言動・行動にかかっている。支える動機は「この人ならやってくれるかもしれない(それを見てみたい)」と思わせる姿が、其処に在るか否か、それだけだ。「意気ニ感ズ」とは、そういうものだ。そして鼓舞するべきは、自分自身の思い。

だから俺は「この人なら推せる」と思う。あとは黙して闘おう、俺は。


以上!(・ω・)ご清聴ありがとうございました。


素晴らしい所信表明でした。