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アパート僧侶の戯言

一人暮らし歴15年の独身アパート暮らしの僧侶が、日常の出来事や感じたことをおもいのままに綴っていきます。

誰のために更新され、何のために更新されるのかは、不明です。がなにかしら意味があるだろうと思っています。

お釈迦様は、おさないころ大変感受性が強く、物事に対して深く考え込んでしまう性格だったそうです。その幼少期のお姿をお伝えする物語に『樹下思惟』というものがあります。

 

 

お釈迦様が7歳頃のお話です。お父様のスッドーダナ王(お釈迦様は王族出身です)と農耕祭に出席されました。

 

農夫が畑を耕している姿をぼーっと見ておられました。

 

 

 

 

 

すると土の中から一匹のミミズが顔を出しました。

 

 

 

 

そのとき小鳥が飛んできてそのミミズを咥えてしまったのです。

 

 

 

あっ!!と思っているとなんとそこにさらに大きい鳥が飛んできて、その小鳥ごと咥えて飛び去ってしまったのです。

 

 

その様子をご覧になったお釈迦さまは、ひどくショックをうけられ

 

 

「なぜ生き物は互いに殺し合うのか!!」

 

「助け合いながらいきていけないのか!!}

 

と頭を抱えて、木下で考え込んでしまったそうです。

 

というのが「樹下思惟」のあらすじですが。。。。

 

 

うん、まぁなんというか。。。まぁはっきり言って変わってますよね。

 

 

私がその場面見たら

 

 

『食物連鎖なう』

 

 

とか言ってツイートでしょ。

 

 

少なくとも頭抱えて考え込んでしまうことはないと思います。。。

 

 

でも最近ふと思ったんです。もしかしたら変わっているのはこっちなのではないかと。

 

 

そのきっかけとなったのが『いのちいただく』という絵本です。

 

この本は食肉センターで働く坂本さんの実話をもとにしている絵本です。

 

牛の解体に携わっている坂本さんは牛と目があうたびにこの仕事がいやになり、いつかやめようと心のどこかで思っているのです。

 

そんなある日、一頭の牛が運ばれてきます。しかしその牛のことを『みいちゃん』と呼ぶ幼い女の子も一緒なのです。

 

女の子は

 

「みいちゃんごめんね」「みいちゃんが肉にならんと正月がこんて、じいちゃんがいうけぇ」

 

と泣きながら牛に話しかけていました。「みなければよかった」と思う坂本さん

 

翌日坂本さんは苦悩しながら、「みいちゃん」を解体するのです。その時「みいちゃん」は大粒の涙をながしたそうです。

 

その後女の子はボロボロ泣きながらみいちゃんのお肉を食べるのです。

 

 

とまぁこんな物語です。

 

 

坂本さんやこの女の子はなぜ苦悩したのでしょうか。

 

 

『生き物のいのちを奪わなければ生きていけない』というこの世界の在り方

 

に苦悩されたのではないでしょうか。

 

 

生き物を生き物として見るならば、そのいのちを奪う事に苦悩せざるおえないのです。食事をするときになんとも思わないのは、生き物を生き物としてみてないからでしょう。

 

 

お釈迦様の話に戻りますが、なぜ苦悩されたのか。それは生き物を生き物として見ておられたからだと思います。

 

それに対して『食物連鎖なう』ぐらいにしか思わない私は「生き物を生き物をとして見てない。食べ物としかみてない」のでしょう。

 

 

生き物を生き物として見ることができないほうがよっぽど変わってませんかね。

 

 

なんかそんなことをふと思ったのです。

 

 

なんまんだぶ~

 

 

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