


昨日神道のお寺について書きましたが、仏教のお寺を軽視したような臨調になっていました。
江戸時代まで神仏習合で一体化しているケースがありますが、明治政府の廃仏毀釈で半ば強引に分離されてしまいました。
三輪明神「大神神社」も昔は神仏習合であった訳です。熊野三社のうち那智の滝の近くにある那智大社と青渡岸寺も一体だった訳です。
「明神」という言葉は、仏教系の解釈では「神が権(かり)に現れる」、また「仏が権(かり)に神の姿で現れる」という意味です。
上述の意味から、全国の八幡神社の御祭神の応神天皇は「八幡大菩薩」、徳川家康は「東照大権現」と呼ばれています。
神道系では逆に仏様は神様が狩りの姿として仏様になって現れるという解釈になります。
神道の神社もダメな神社が結構ありますが、あえて名前を挙げることはしませんが、神主が常駐しないで御社が荒れ放題なところはまず九分九厘ダメです。
また、神主が常駐していても、参道が駐車場になっていて、神社の「杜(もり)」(=「森」)を伐採しているようなところもまずダメですね!
樹木草花が生い茂り、滝や川のせせらぎがあるという、つまり自然破壊されていないところはパワースポットになっている気がします。
お寺も、奈良の法隆寺や東大寺等は真摯にお参りすべきお寺と思っています。しかし、一般的にお墓が併設されているので、私はお寺にはお墓参りにしか出かけません。
お寺の中で最も控えたほうがよいのは、四国札所めぐりのお寺その他、先人達が欲望を持って祈りや想念がお寺の本堂にへばりついていると、霊能力のある方が言われていました。
その方によれば、仏教の仏様は4次元の世界、神道の神様は5~6次元の世界ということらしいです。
神社は、御神木と呼ばれる木、少なくとも樹齢300年以上のものがあるところならば、御社があるなしに関わらず御神木と言ってもよさそうです。典型的なのは、屋久島の千年杉です。
和歌山県の熊野三社の奥宮にあたる玉置神社(奈良県十津川村)には樹齢三千の杉があり、御神木として大事にされています。
熊野三社すなわち熊野本宮大社(田辺市本宮町、旧本宮町)、熊野速玉大社(新宮市)、熊野那智大社(那智勝浦町)、玉置神社を回るには公共の交通機関では無理です。特に玉置神社はバス路線がありません。マイカー、タクシー、レンタカーなどを使わないと難しいです。
