とびこえよ、その囲いを。

とびこえよ、その囲いを。

この度、青年海外協力隊員として、エクアドルに派遣されます。
25年度2次隊での参加で、要請は、青少年活動で地域や小学校で情操教育を行います。
大学を卒業してからは、中学校の教師として働いていました。

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こんにちは、今回、以前から戦ってきたハグの文化に関して書きたいと思います。

正直なところ、僕はハグが好きではありません。というかほっぺをくっつけあうベソが苦手でした。色んな女の子と抱き合えるなんて最高じゃん、などという感覚はあまりなく、結構気合いのいる作業でした。やはりハグは、好意のある女性や親しい友人とするもんだし、感極まったときに気持ちを共有するめにもあるという感覚があったからです。

ただ、南米に住み始めて早6ヶ月。毎日毎日、風呂に入れない日も、汗でべたべたの日も、雨の日も風の日もハグをし、時にケチャップみたいなものが付いたほっぺたにも、ベソをしてきました。平気な振りをしていたら、いい加減、慣れてきました。

ただ、このハグやベソを繰り返していくうちに気付いた事があります。
ハグ=抱きしめることは、肉体的刺激という意味で暴力と同じ性質を持つかもしれないということです。ただ暴力と異なるのは愛の比率が違うということです。また暴力は、快があれば、繰り返される。愛の比率が高い抱きしめるという行為は、暴力的な性質を持ち、繰り返し行われる。性教育の世界には、約10才以下の子どもには、親などによる肉体的接触が必要で、それにより相互的に愛着が生まれるといわれているそうです。

つまり、愛するから抱きしめるのではなく、抱きしめていると愛してしまうという仕組みがあるように思います。
教師役の北野武が映画「バトルロワイヤル」で、殴っていくうちに、子どものの名前を覚えていった、と言っていました。
抱きしめる事の暴力性を考えると少しわかるような気がします。当然、体罰には反対です。でも不思議なことですが、現在、自分の勤める学校で子ども達を抱きしめていくうちに、彼らの事をもっと知りたいと思ったし、名前も覚えていきました。不思議にも、腹の立つ子がいても抱きしめていくと可愛くなる。

また、以前ここで、この町では死が近いと紹介しましたが、先日、孤独死がありました。70過ぎの女性で、身寄りがいなかったそうです。首をくくり、死後3日経って発見されたそうです。僕は彼女のことを知りません。僕の意見ですが、この国の、この地域の人々のわかってもらえない苦しみとは想像し難いものがあるように思います。この地域は、祭りの度に踊り、悩んだら踊ろうという雰囲気があります。悩み事も、まず考える基準として神様がいるし、自分で抱え込むふしもあるようです。
やはり彼らの事は、全くわかりません。でも抱きしめ合うのです。

ここには、言葉ではない何か大切な要素が詰まっているよう感じてなりません。
相手の事などわかり得ないという前提があるから、苦しみもあるかもしれません。でも人の腹を牽制しあうより、楽しい事を共有し、抱きしめ合う。スタンリーキューブリックの映画「アイズワイドシャット」のラストシーンのような「そこにある事」を信じる姿がこのハグという文化にはあるのではないでしょうか。

もう1つ気づいた事があります。それは僕自身、抱きしめられるうちに、ここの人々を好きになっていったということです。
僕自身で実証されてしまった以上、このハグの文化を信じない訳にはいかなそうです。

つまり、今、少なからず、ハグやベソは嫌いではありません。