自分の持ち物を限界まで減らして生きるってどんなだろう・・と考える事があります。
食器は最低これだけ。
服はこれだけは持っていたい。
下着は・・
本は・・
引越しして超小さい家に住むとしたら。
想像したら、なんか楽しくなってきました。(多少妄想癖があります。)
こじんまりと小さなリビングに、カリモクのロビーチェアー2シーターのモケットグリーン。
コーヒーを入れたら家じゅうに香りが充満するような。
小さなストーブですぐにポカポカにあたたまる。
服も、食器も、本も、食材も、厳選したものばかりをすこーし持って。
掃除も、管理も簡単です。
なんだかとっても豊かな暮らしに思えてきます。
もちろん、捨てすぎるのもよくないし、ストイックすぎるのも良くないとおもうのですが(*´з`)
私がまだ幼かったころ、家の中はもっとモノが少なかったように思います。
お片付けが苦手な人ももちろんいたでしょうが、今のようなモノにあふれて困るような人は少なかったと思います。
昔は専業主婦の人がほとんどで、共働きが少数派だったこともあるでしょうし、
外国産の安い商品がまだまだ少なかったというのもあると思います。
服もバッグも、生活用品も、もっともっと高価だった。
消費者の心を揺さぶるような花柄の(今では雑貨屋さんでデットストックとして売られているような)派手なガラスコップにオレンジジュースを入れてもらって、お誕生日パーティなんかしてもらったり。
どこの家も、応接間のソファには背もたれに手編みのレースなんかがかかっていました。
携帯もパソコンもなく、時間もきっと、もっとゆっくり流れていたのでしょう。
今でも、そんな暮らしの風景を思い返すことができます。
それくらい子供ながらに覚えているものなんですよね。ドキッとします。
「住」の文化が(もしかしたら「食」も「衣」も)衰退しているのであれば、
それは「住」の世界で働いている私としては、とても悲しい。
世の中の激しい移り変わりの中で、バランスを崩してしまっているなら、
早いうちに体勢を元に戻していかなくてはならないのではないか。
子供のころに触れた環境は、その子の「これが普通」という基準を作るでしょう。
本物だけを知れば、偽物は判別できるようになるけど、
偽物しか知らなければ、本物はわからない。と言います。
子供たちが未来の日本を作っていくときに、今よりも素敵な日本を作ってほしいと願うから、
母親として、出来る事を始めなくてはいけない。
その一つがライフオーガナイズだと思っています。

↑リアルにこの子達が築く生活のクオリティーが心配な母。