坂元裕二朗読劇2021のうち、見たのは、仲野太賀・土屋太鳳「カラシニコフ不倫海峡」「忘れえぬ、忘れえぬ」。二つの朗読劇にとっても心が動かされたので、少し長いですが、感想を書きました。

 

ネタバレありの感想なので、これから地方公演などで、劇をはじめて観ようとされている方は、観てから読んでいただけると嬉しいです。

この朗読劇は、登場人物の男性と女性の間のメールのやり取りをそれぞれが読みあげる形で進みます。

 

 

 

☆「カラシニコフ不倫海峡」

 

(あらすじ)

 地雷除去の人道支援の大義に共に身を投じた男と女が不倫逃避行に走ってしまう。かれらは、それぞれの妻(田中史子:土屋太鳳)と夫(待田健一:仲野太賀)を、世界に起こっている大事なことを理解しない人としてさげすんでいた。

 

 そうやってさげすまれ裏切られた史子と健一は、深く傷ついてのたうつ。傷を癒しあい、やっと二人が歩み始め互いを愛し始めた時に、戻ってきた不倫逃避行組の自己中心的な暴力性の中で、史子は夫を殺し自殺してしまう。

 

(感想)

 健一はどこまでも実直で、いつもメールに裏表がない。他方で、史子という人間は、最初のセールストークのセリフからはじまり、やがて内面が表層に出てくるが、なおも何かあるような感覚で多様に表現され続ける。

 彼女は、夫には取り柄のない主婦のように扱われながら、卓越した情報収集能力や偽造情報の出版の手腕をもっている。その不思議な人格の理由は、最後に語られる遺言メールの中で明らかになる。

 

 史子は希望なき辛苦の人生を偽りさえも使いながら必死に生きてきたのだ。 

 

 最初は、なんだかコメディっぽいのりの不倫話なのかと思っていたら、愛する者に裏切られた健一と史子の痛みの世界に引きずり込まれ、その最奥にある史子の痛みの核、彼女の人生そのものが胸の中にぎゅっと痛みとしておかれたような感覚になった。

 

 実直だが人の気持ちへの関心が薄く、さらには海外の紛争で亡くなる死体へ向き合わなかった健一が、史子の死後、地雷で亡くなった子どもの人生を調べて泣きながら語る。それを聞いて、私たちは、世界の果てで戦争と地雷に奪われていくささやかな人生と、日本の日常の中で懸命に生きながら奪われていくささやかな人生が重なっていることを知る。世界と日本は繋がっている。

 

 世の中の痛みを取り除こうとする美しい理念も、ささやかな身近な人のリアルな痛みと向き合わなければ、健一の妻や史子の夫のように欺瞞だ。そしてそんな理念の有無に関係なく、おそらく地雷の女の子と史子の痛みはともに、わたしたちにとっては、日ごろは考えないし、心がわずかに動かされても、すぐに忘れ去られる事柄だ。

 

 この劇は、その痛みを、不倫劇を見ている人の心の中に、するっと、すぐには消えないリアルなものとして置いていく。

 

 史子の遺書メールのあたりですすり泣きが聞こえ始め、健一が語る地雷で亡くなった少女の物語になると、すすり泣きが増えていった。

 

 メールという往復書簡の朗読劇だけど、台詞と二人の演技力で、リアルな情景が浮かんで、どっぷりつかった。

 私は泣きはしなかったけれども、痛みで苦しかった。

 

   

 

☆「忘れえぬ、忘れえぬ」

 

(あらすじ)

 ともに耳が聞こえない障害を持つ男の子最里(もりくん)と女の子木生(きおちゃん)の初恋と成長の物語。

 

 最里と木生は、孤独の中で心を閉じていたが、11歳のときに、夏休みの間だけ過ごす専門施設で出会い、互いに心を通わせていく。

 

 木生は両親の愛と理解に恵まれず外との関係を持たないで孤独に過ごしているが、世界を表現する饒舌な豊かな言葉で満ちている。

 

 最里は自分を虐待の末に捨てた親や周囲への怒りに起因する暴力を制御できず、長い間ほっておかれたために言葉もままならなかった。最里は木生との出会いとコミュニケーションでぐんぐん変わっていく。

 

 かれらは毎夏、二人だけの世界を楽しんでいたが、やがて最里は施設にいる意識不明の子どものお世話をするべく、最里ことを好きで二人の世界にこだわる木生から離れる。

 

 しかし最里は意識不明の子を人として扱わない医師を怒りに任せて殺してしまい、自分を閉じてしまう。

 木生は、その意識不明の子のお世話をし、最里に手紙を送り続ける。その子どもが回復し、最里の心が再び開かれる。 

 

(感想)

(1) 障害があるために外に対して閉じている二人の世界が、なんともみずみずしくも美しい。 二人は、読んだ本を語り合い、寄宿舎の傍にある美しい湖の景色や森の中の秘密の場所、草木のにおいを楽しむ。 感性豊かにメールで語られる二人の世界に、われわれは障害をいささかも感じない。

 

 コミュニケーションに障害があるということと、それを感じさせない二人の世界との間に違和感を感じる。

 

 私は、「僕が跳びはねる理由」を思い出した。

 自閉症の子どもたちはコミュニケーションがほとんど取れないけれども内側には豊かな感受性と知性がある。

 そのことは全く理解されることなく、時に暴れたりするので扱いづらいとされてきた。しかし近年、キーボードを通して、自閉症の子どもたちが自分の内面を伝えることで、暴れてしまう理由や豊かな感受性や知性が、理解されるようになってきた。そのことで自閉症の子どもたちと周りの人々の関係と自閉症の子ども同士の関係も変わってきた。

 

 聾唖は自閉症とは違うけれども、深刻なネグレクトを受けた冒頭の最里には近いものを感じる。外側からの無理解は木生と両親や教員たちとの関係にも通じている。

 そして「僕が跳びはねる理由」と「忘れえぬ、忘れえぬ」は、キーボードを使うことでコミュニケーションができ、そのことで世界が変わっていくところが似ている。

 

 私が「僕が跳びはねる理由」で最も衝撃を受けたのは、最近に至るまで自閉症の人たちの内面がまったく理解されていなかったことだ。コミュニケーションができないと、人々は感受性も知性もないとみなしてしまう。

 「忘れえぬ、忘れえぬ」で、意識がない子どもは究極のコミュニケーション障害であり、その人格を否定した医師はそうした人たちであろう。対極にいる最里は、自らコミュニケーションの障害に苦しんだ故に、意識不明の子の可能性を信じて「ゆっくりさん」と名付けて熱心にお世話をする。

 

 この作品は、コミュニメーションの障害があるために外側から理解されない内側の世界の豊かさの可能性、そしてコミュニケーションによってその可能性が大きく育つことを、ギャップや無理解が持っている悲劇性と一緒に、描いていく。

 

(2)「忘れえぬ」とは、意識不明の子どもが、最里が話しかけていた声を、目覚めたときに「忘れえぬ」と覚えていたということを指している。

 

「忘れえぬ、忘れえぬ」には、自分が容易にコミュニケーションできる範囲を越えたところにある人の心や可能性に思いをめぐらせて、温かい言葉をかけていく無垢な揺るぎなさが描かれている。胸が熱くなる。

 

 タイトルが「忘れえぬ、忘れえぬ」となっているのは、意識不明の子どもにとっての最里の言葉の「忘れえぬ」のことであるが、二つの言葉の重なりには、もう一つの「忘れえぬ」が込められているのではないか。事件によって心を閉ざしてコミュニケーションを遮断してしまっている最里に対して、木生が、彼が変わる可能性を信じて、懸命に送り続けた言葉もまた、最里にとって「忘れえぬ」のように思える。

 

(3)ラブストーリーでもある「忘れえぬ、忘れえぬ」の別の面を考えたい。

 

 二人の世界ははじめ、コミュニケーションの困難さに起因する外の世界の壁から逃れるように構築され、外に対する怒りや距離感も共有しあう世界だった。

 

 しかし最里は、木生との関係で成長し、重い障害を持つ意識不明の子どもを助けたいと、木生から離れ、他者のために働き始め新たな成長の階段を登っていった。

 好きな最里との二人の世界にこだわった木生は孤独のうちに一人残されてしまう。しかし彼女もまた、最里と意識不明の子を救うために、外の世界へと自分を拡張していく。

 

 「忘れえぬ、忘れえぬ」は、かれらにとっては、自ら障害を越えて、外側の世界に働きかけて成長していくプロセスそのものだったのである。孤独の中で閉ざされた世界で芽生えた二人の愛は、開かれた世界で完結する。感動する。

 

(4)仲野太賀さんと土屋太鳳さんは、上に述べたような最里と木生の人物造形と成長を説得的に表現していた。坂元さんは、この物語でも、主人公の痛みを客の胸の中に置いていく。しかしだからこそハッピーエンドのカタルシスが大きい。そうした痛みや感動を客の心の奥に差し込むのは、演者である。演技のない朗読だけなのに、映像が心に浮かぶようであったし、たくさん心が動いた。そして最後は感涙した。朗読劇の魅力を思い知った。

 

☆「不帰の初恋、海老名SA」

 

  この作品は、坂元さんの本「初恋と不倫」(脚本)を読んだだけで観劇していないので、今後再演があったら、感想を書きたいなと思います。

  朗読劇を観劇して、そして本で「初恋」と「不倫」の二つの作品を読んで、私は、演者が文字情報の一つ一つに明確な解釈を与えて、音声で伝えてくれる朗読劇(「不倫」さらには「忘れえぬ、忘れえぬ」)は、自分が文章を読んで思い描く世界(「初恋」)に比べて、なんとくっきり鮮やかなのか、生き生きとした大きな力で心を動かすのか、と思いました。

   

  だから上に書いた感想は、仲野太賀×土屋太鳳ペアの朗読劇の表現(解釈)に基づくものです。

 

【補遺:土屋太鳳インスタ:2021年5月18日】

太鳳ちゃんがインスタに朗読劇について書いたので追加しました。

演じた側からの感想は興味深いですね。

 

東京は雨模様☔️
一日中ぼんやりと暗かったし
髪がまとまらない悩みも増えるけれど
おだやかな雨は、
優しい気持ちになります😌
そろそろ梅雨になるけれど、
多すぎない雨の、いい梅雨となりますよう🙏
.
今日は打ち合わせのあと、
唐揚げをつくりました🍗
油の温度が上がっていく途中の音は
いつ聞いても綺麗だなぁと思います✨
家族にも好評で良かった☺️✨
.
雨とか、ご飯とか、そういった
日常のちょっとしたことをきっかけに思い出すのは、
4月に参加した
『坂元裕二 朗読劇2021「忘れえぬ、忘れえぬ」、「初恋」と「不倫」』。
なぜかというと
日常の中で紡がれていく物語でもあるので
お天気や季節の変化、ご飯の献立など
身近な描写も多かったのです。
でも…
あの時間は、本当に不思議でした。
濃くて短くて長くて、
現実と幻想の境がなくなるような
不思議な体験でした。
.
演じるというと、私にとっては
役として生きることだけれど、
朗読劇では、動くことが出来ないのです。
どんな時も
座って、本を読んでいるだけ。
その中で、雨が降ったり、ご飯を食べたり、
旅に出たり、人を愛したり絶望したり、
座って本を読んでいるけれど
心はいろいろなところへ飛んだり、
沈んだり、踊ったり、消えたりする…
.
それは隣にいる 仲野太賀 くんも同じで、
ずっと隣にいるはずなのに
遠くに行ったり見失ったり抱きしめたり、
初めての感覚をたくさん知った舞台となりました。
.
3つの物語があって、
それぞれの結末があるのですが
私は全部、ハッピーエンドだと思って演じました。
なぜそう思ったのかは分からないけれど、
そう思ったので…
.
少しでも何かが伝わったり
繋がったりしていたら嬉しいです🙏🙏🙏

 

【PIYO感想】

朗読劇についての、太鳳ちゃんの感覚は、観ている側からするとほんとうにおもしろい。

読んでいる人たちの間に生まれている思念の劇空間と、聴いている側の想像力が立ち上げてる思念の劇空間が重なりながら浮かび上がるよう。

そして史子が自殺してしまう不倫海峡もハッピーエンドというのにはちょっとだけ驚いたけれども、確かに、史子の人生の悲嘆を思うと、理解し合える健一と出会えて、死後にコミュニケートする結末は、ハッピーエンドなのかもしれないですね。3つのお話とも、恋愛物語としてハッピーエンドですね。