[LOHAS(ロハス)] - 年頭に当たって―LOHAS再考
新年あけましておめでとうございます。
平成18年、新しい年の幕開けです。昨年中はいろいろとお世話になりましたことをこの場を借りてお礼申し上げると共に、今年も引き続き、皆様方の当社、(株)エコテクノロジーに対する絶え間ないご愛顧を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
本日は、年頭に当たって、地球と人の健康的な未来を追求し続ける当社の理念でもある“LOHAS”について、改めてそのコンテンツを明確にし、再定義してみたいと思います。
さて、昨年はIT長者による企業買収合戦や、衆議院解散総選挙における自民党の圧勝など、新しい動きが見受けられる変化の年、そして世の中が動き出すある種の“胎動”を感じさせる1年でした。
そして、多くの人々はいまだ金銭や物質を獲得することで幸せになれる、あるいは政治権力を得ることで世の中を変えられる、などとひたすら信じ、その追求に余念がありません。
しかし、これら栄達や功利のあくなき追求にもかかわらず、めぼしい結果が得られないとき、人はふと「果たして金銭や物質、あるいは権力や名声が、自他に幸福をもたらしうるのか?」と疑問を抱きはじめます。そしてやがてその無力さやはかなさを悟り、すべてを捨て、諦めて、自らの運命を天に任せたとき、「自分というものが“生かされた存在”である」ことを悟ります。
人はよく「自分の意思で、能力で、努力で“生きている”」と口にします。特に自分に自信があり、努力家であればあるほどその傾向が強く、自分探しの旅は遠く、長いものになりがちです。その道は険しく、失業、借金、病気、愛するものとの別れ、人の裏切りなど、カリキュラム豊富な“人生大学”の諸課程をたっぷり履修させられます。
ところが、“生かされた存在”であることを悟れば、生に対する不安、心配、執着も薄れ、迷いながらも目の前の現実を受け入れ、ただ黙々と日々の営みをこなす自然な繰り返しの生活が始まります。そしてその繰り返しの中で、気が付くと他人を支え、喜ばし、“生かしている”自分の姿が見出され、“生かし生かされ”の法則を発見します。地球と宇宙の調和の中で、小さな役割を持った一つの構成物となり、「必要なものが、必要なとき、必要なだけ与えられる」過不足のない生活が始まるのです。
ただ、ここで明確にしておかなければならないことは、「なぜそんなに価値のない功利や栄達、そしてそれらを追及する人間の生き様が現に存在するのか?」という永遠の疑問です。その答えは、悲しいかな人間は、“野心”と言おうと、“大志”と言おうと、本能や欲望、名誉心や道義心など、人それぞれ温度差による違いはあるものの、なにか気持ちをくすぐり、生命エネルギーを引き出す“きっかけ”がなければ“自分探しの旅”を始めないからです。したがって、これら欲望の追求の対象は、言わば「目の前にぶら下げられた“ニンジン”」に過ぎないのです。
やがて人は“ニンジン”であることを悟り、その追求を止め、それどころか“社会貢献”や“人徳”と称した他人への特別な働きかけさえも止め、ありのままのすべてを受け入れます。そして実は、どんな問題を抱えていようと、どんな悲惨な状況にあろうと、今のそのありのままの現実こそがもっともバランスの取れた、大自然と調和の取れた進化の過程の姿であり、勝手に人の作った物差しで計って動かしてはならない“天の配材”だと“気づく”のです。
なぜなら、「陰があれば陽がある、マイナスの次はプラスが来る」。宇宙のリズムは、寸分たがわぬ精度でプラスとマイナスの繰り返しを刻んでいるからです。そして栄達や功利は、このような限定された範囲で、その場その場での役割を持ってこの世に存在意義を得るに過ぎないのです。
そして、“自分探しの旅”が終わっても、人は生ある限り引き続き“人間進化の旅”、“人類進化の旅”を続けます。内外の環境が激変する中で、変わるもの、変わらないものをしっかり見極めながら、「無理をせず、好きなことを、好きなように、気ままに生きる」、そしてその過程でご縁のあった人々と、人生の本当の意味や喜びを共有していく。
これこそ真の“LOHASスタイル”なのです。
