京都に住んで長くなるにつれ、
自分にとって8月6日8時15分は前よりも遠い存在になりました
ブログで書いたか忘れましたが、
おじいちゃんは「たまたま」その日学校に遅刻したので助かりました
同級生は原爆で死にました
今はまだおじいちゃんが生きていて
折に触れそのことを聞かせてもらえます
私が広島で育った頃は平和教育が本当に熱心で
小学校の頃は原爆は日本で一番悲惨な出来事で
(そこに「『広島の』原爆は」という意味のない順位付けがあったことも否めない)
日本にいる人はみんな平和教育を受けて
戦争のない世の中を望んでいるんだと無邪気に信じていた
高校生になり嫌韓が流行りだしたのだったか
なんだか私が今まで信じていたのとは
違う世界が芽を出したのを感じ
大学生になり現在にいたるまでで
沖縄戦・東京大空襲・大なり小なりの空襲
そして東日本大震災
どんな形をとっても
すべて悲しく 規模やら何やらで順位付けをするものではないのだ
と学んでいった
昔はヒロシマナガサキの日にち時間を覚えていないなんて!と思っていたものだったが
たくさんのたくさんの記憶すべき 語り継がれるべき日にちがあり
それが人それぞれ違うだけなのだ と思うようになった
そして「その中で」「私は」
私が育った町が
私の祖父母が
経験した
ヒロシマを
忘れず 次の世代に語り継いでいけたらな
と 8月6日は思い返す日なのでした