最近、大塚家具の経営権をめぐる親子争いについて沢山報道されているなか、別に私としては関心がない。でもせっかく家具屋の話題が出ているので、家具の歴史を紐解いてみた。

いろいろぐぐってみた内容はこちら。↓
・日本の家具の文化は意外と浅く、日本人の家具に対する関心は低く家具文化は育っていない。
・あの徒然草に「丁度多きはいやしきもの」とまで考えられていた。
・幕末時代に来た欧米人は、家具が生活文化の中で重要視されていたので、日本の家具の無さに驚きをかくしきれないでいたらしい。
・「私は日本の家屋を一見して、非常に失望した。ストーブも椅子もテーブルも寝台も日本の家屋にないのです。日本の家で一番外人の目につくのは座敷に家具類を置いてないことです」byヘボン
・「日本人の質素というものは全くスパルタ式で、室内には四方の壁以外はほとんどない」byアルミニョン

・奈良、平安時代
官庁や大寺に寝殿造り。仕切りが発達、厨子(ずし)や箱など小型の収納具が置かれ、屏風、御帳台、みすが置かれていた。

玉虫厨子(法隆寺・国宝)引用

・桃山時代から
書院造(床の間、違い棚、付書院が備わった書院造が浸透。柱は角柱で障子やふすまにより引き戸が発達。戸を開け放せば、いくつもの部屋をつなげられる現代の和風建築が出てきた。

・あるコラムで「家具」は昭和の新語であったらしという事を読んだが、たんすは江戸時代になってから、それまでは行李(こうり)、つづら、櫃(ひつ)が用いられた。

行李

江戸時代後期にやっと庶民の生活が豊かになり、家に物が増え収納型の整理や出し入れしやすい箪笥が普及した。

・椅子は明治に入っても座布団が主流であまり普及しなかったが、1951年(昭和26年)に公団住宅にダイニングキッチンが入り一般家庭で普及するようになった。

・日本の洋家具の歴史
通商条約1858年から、横浜に外国時居留地ができてから、外人の残した家や家具を研究し、技術取得した。太平洋戦争後、進駐軍が駐留し、洋家具の需要が増大し、家具産業が発展した。

・家具が普及する前の家の様式は寝室や居間や客間などわかれておらず、いくつかの部屋を障子やふすまで仕切りをして部屋を有効活用していた。とくに仏壇のある特別な部屋には何も物を置かないのを良しとしていた。

・日本と西洋の家具に対する価値観がまったく違いますが、日本の家がフローリングになったことから、西洋的な家具の需要が大幅に増えた。

・震災がおこってから、家具も最初から取り付け型になったり、住宅需要が低迷するなか、新興勢力であるイケア・ニトリなどにおされ伝統的な家具産業も低迷しているのが実情。

・日本の家具文化を普及させる為に、小泉和子氏が提言。
「家具をただの消耗品ととらえるのでなく、美術品と同じように大事にする心をもとう。箪笥を中心に家具が発達し、風土に根付いた木の文化、素材の木の取り扱い、板と板の接合する指物の技術、漆の塗装法などは世界に誇れる日本家具文化。そういう文化をもう一度見直し、
デザイン改良や流通の改善というより、日本人の家具に対する認識を変えるべき時にきているのではないか。」


以上、普段家具についてなんてそんなに考えないけど、大塚家具の親子喧嘩記事をきっかけにして、いろいろ調べてみるのも楽しいものだと思った。
パスカルの「人間は考える葦である」と親鸞聖人の「悪人小機説」との共通点を探る

人間が進化したことの一つとして、直立二足歩行が出来たことが非常に大きいというよね。たとえば手を使えることにより、石を投げることが出来、少しの距離があっても獲物を捕えることが出来る。そして石が槍になり、弓矢になり、銃になり、大砲になり、そして原子爆弾なるまで作ってしまった。距離と破壊が限りなく大きくなっていったのは、やはり手を使うことが出来ることが進化の大元となるわけで・・・。

 

この間、プーの散歩をした後の休憩中にボーとしていたらチャナンと言って神様にお供えするお花や食べもの目当てに近寄ってくるつがいのきじばとをみてたら、

「あっ、鳥も二足歩行してるやん、でもなんで鳥と人間とこんなに進化の差ができたんだろう?」って疑問に思ってしまった。

 

鳥以外に二足歩行する哺乳類というえば、絶滅した恐竜もそうだし、カンガルーとかもそうだけど、よくよーく考えてみると、人間は高い所にある木の実をとるために二足歩行したわけだけど、鳥類は飛ぶために胸が発達して手が退化し、恐竜は大きな頭の為に体としっぽのバランスを取るために。カンガルーは速くホッピングするためにしっぽと体のバランスを取るために手が小さくなっていった。

とすると、

二足歩行はそれぞれの種の生き残りをかけて必要だった過程の進化なのね~

そもそも二足歩行が人間の特権と思うこと自体??だけど、なんか自分なりに納得できて良かったよん。