「言葉が足りない」――今年9月、落合の今季限りでの退任が発表された。7年間で4度も優勝した監督がなぜ、事実上の解雇となったのか。その原因としてよく指摘されたのがこの部分だった。采配や、故障情報など内部情報をメディアや球団に説明することはほとんどない。それが内外からの批判につながったというのだ。
だが、落合はじつは雄弁家だ。今でも価値観を共有する野球人との話は夜を徹して続くことがある。言葉が足りないのではない。意図的に黙しているのだ。今シーズン、試合後の3秒会見が話題になった。「動けているから、いいんじゃないか」。日々、ひと言だけ残して去っていく。その理由をこう話していた。
「オレがなんか言ったら言葉尻だけとらえられて、書かれる。だったら、何も言わない方がいいじゃないか。オレの言葉を理解するやつは何人かいるかもしれない。でも、理解しないやつの方が多いんだ。昔から散々、そういう目に遭ってきたから、わかるんだ」
自分の言葉は誤解を生む。現役時代、筆談でしか取材を受け付けなかったこともある落合は、おそらく昔から、それを知っていた。落合は秋田の和菓子職人の家に生まれた。祖父の職人としての仕事を見ていた。職人は余計なことは言わない。愛想も振りまかない。ただ、その仕事でのみ、己を語る。そんな気質はそのまま今、監督・落合にも当てはまる。
「オレは嫌われたっていいよ。だれか、オレを嫌いだという奴がいても、オレはそいつを知らない。だから、建前は言わない。建前を言うのは政治家に任せておけばいい」
落合は政治家が嫌いだ。建前が嫌いだ。だから、その口から出るのはオブラートなしの、むき出しの言葉となる。建前は時として自分の身を守ってくれるが、本音は他人も、自分も傷つける。落合はそれを百も承知だからこそ、誤解や批判は恐れない。
2008年、落合に「WBCボイコット騒動」が降りかかった。第2回WBCの日本代表候補に選ばれていた中日の4選手が全員辞退した。日本代表・原辰徳監督は不快感を示した。
「1球団だけ協力的でないところがあった。非常に残念です」
これを発端に中日と、落合は猛烈な批判にさらされた。「落合中日、WBCボイコット」、「非国民球団」。これを受けた落合は、翌日、冷静に反論した。
「選手は一個人事業主だし、生活権もある。ケガしたら誰が保証するの? 行きたくない奴(やつ)を無理に行かせてケガしたら責任を取れない。出たい奴は出ればいい。ウチは4人の意思を確認し、それを尊重しただけだ」
岩瀬仁紀は背中と首筋、森野将彦は左ふくらはぎ、若い高橋聡文と浅尾拓也は肩の故障でシーズン中に二軍落ちしていた。選ばれた4人の意思を確認した結果、揃って辞退することになったという。さらに落合は上原浩治(巨人)、宮本慎也(ヤクルト)の“代表引退”が認められていたことも指摘した。
「なぜ一部の選手は配慮されて、ウチだけ悪ものにされるのか。非協力的ってのは筋違い。NPBの人間でも、代表監督でも言いたいことがあったら来ればいい。説明してやるよ」
この反論の後、日本代表側からは何の反応もなかった。どちらが正しいのか、決着はつかないまま、論争は終わった。ただ、世間のイメージだけは完全に決まった。落合には“悪役”という看板だけが残った。
「あんたは普段から言葉が足りないよ。なんで、もっと、説明しないの?」
信子夫人に言われたことがある。落合は笑みを浮かべてこう言った。
「オレのやってきたことはオレが死んだ後、世間に認められるんだろうな。そういうもんだ。だから、今は何を言われても胸を張っていればいいんだ」
ただ、外からは批判を招きやすい、落合の言葉も、こと野球に関しては強力な武器となる。落合は選手を褒める時も、叱る時も、やはり純度100%の言葉を浴びせる。遠慮も、情もない、混じりっけなしの言葉は、そのまま監督・落合からの評価だ。それが選手にとって己の力量を計る指標となる。
「お前、このままだと今年で引退だな」
今季から加入したベテラン佐伯貴弘は、落合からこう言われ続けてきたという。実績のある選手ならば、腹を立てそうなものだが、佐伯はグラウンドでも、ベンチでも、落合の言葉を求めて、耳をそばだてる。
「落合監督の言葉っていうのはそのまま受け取ればいいと思う。いいものはいい、だめなものはだめ、と言ってくれる人だから。おかげで、サビを落とせたよ」
中日から戦力外通告を受けた佐伯は、今、現役続行を心に決めている。地球の裏側に行ってでも、やろうと決めている。落合の言葉がベテランの心に、火をつけたのだ。
また、この8年間、落合から最も叱咤(しった)されたであろう荒木雅博はこう言う。
「監督から『頑張れ』なんて言われたことはない。どこがいいか、どこが悪いか。そこを指摘される。あの人がいいと言ったらそれは本当にいいんだと思うし、だめと言ったら本当にだめなんだなと思える」
本音むき出しの言葉だからこそ、選手からは信頼される。技術を追求するプロ同士の間には建前など邪魔なだけなのだ。外に向ければ「毒」となる落合の言葉は、内に向けては「薬」となる。職人の言葉は、職人にしか理解できないということなのだろうか。
曲解されるくらいなら沈黙を選ぶ。自分を曲げるくらいなら孤独を選ぶ。そのスタイルが正しいとは思わない。ただ、確実に言えるのは、落合は今後もスタイルを変えないということだ。これからも、誤解や、批判や、論争とともに歩んでいくだろう。建前なんて似合わない。それでこそ、落合博満なのだ。