「4年前に留学で仙台に来て今年卒業し、3月22日には出国する予定だったが、このようなことになってしまった。死んで生き返ったような感じだ。11日は一生忘れられない日になった」と語る。地震当日については、「完全にパニック状態になり近くの避難所に退避した。しばらくすると、小学校の体育館には数百人が集まり、足の踏み場もないほどだった」と述べる。
避難所に集まってきた人たちはおもにお年寄りや年配者だったそうで、留学生は「力仕事は自分にさせてください」と自ら頼み、以来、発電機を回したり、毛布を分配したり、手洗い用の水をくんで運んだり、ストーブに燃料を入れて火をつけるといった作業を、現地の人たちと一緒に行ったという。留学生は「互いに助け合ううちに、年齢とは関係なく新しいつながりができ、心強くなった」と語る。
留学生は「自分が韓国人だと話すとみんな驚き、むしろ心配してくれた」とし、「正直、自分は良いやつでもないし『ボランティアをしてもここを離れればお別れだろう』と思っていたのだが、昨日、対策本部の方が私のために閉鎖された仙台空港以外の方法で、韓国に行くための交通手段などを教えてくれた。この感動を上手く文章で伝えられないが、昨日は10年ぶりに涙があふれた」と語る。
この出来事から留学生は考えが変わったそうで、「映画のように沈没したとしても、ここで死んでもいいと決心した。韓国のネットユーザーたちから見たらオーバーだと思うかもしれないが、4年の間に出会った知人や友人を残して自分だけ韓国には行けない。自分ができることをすべてやってから、韓国に戻りたい。みんなも心の中で力になってください」と書き込んだ。
現在、留学生の書き込みは大きな反響を呼び、「仙台の韓国人留学生」のエピソードとしてニュース記事にも取り上げられている。