センバツ初出場の加古川北の福村順一監督は15日の組み合わせ決定後、選手を集めて告げた。「甲子園に出たいという思いも、人の命には代えられない」
死者・行方不明者は1万人以上。日々深刻化する被災地の状況を踏まえ、福村監督は大会中止の可能性に触れた。「やりたいという思いはあるが、批判があることも覚悟しないといけない」と話す。
阪神・淡路大震災が起きた95年は賛否両論の中、センバツ大会が決行された。甲子園球場がある西宮市、近隣の神戸市、芦屋市などには被災の傷痕が残り、復興作業を妨げないよう、被災地に配慮をしながら大会が運営された。
同年の大会に神港学園、育英とともに被災地から出場した報徳の永田裕治監督は当時を思い起こす。「学校も交通機関も機能しておらず、選手は通学に3時間をかけて練習は30分ということもあった。大変な状況だった」
現在の選手は93年、94年度生まれで阪神・淡路大震災の記憶はないが、両親や教員から当時の状況は伝え聞いている。神戸市垂水区の祖父宅が全壊したという報徳の高原悠主将は「東日本大震災は人ごとではない」と神妙な表情を浮かべる。
今大会開催の可否について報徳の永田監督は「高野連の判断に従う」とし、加古川北の福村監督は「(開催されれば)全力でプレーし、『やってよかった』と思われるようにしなければ」と話している