- みなさんの家に来ている水道水は、どこから来るか知ってますか?
体の中に入ってくる水、どこから来ているのか、知らないままでいいんですか?
- お住まいの市町村に聞いてみて下さい。きっと、教えてくれます。
ちなみに東京都では、欄外に紹介したホームページで日々のダム情報を提供しています。
これに対して、国内および海外から調達している農林水産物の量は、年間で約900万トンにのぼります。
わざわざ輸入してきていながら、それと同等以上の食料を大量に捨てているのが日本という国の実情です。
一方で農家が苦労して作物を育てたり、漁師が一生懸命魚介類をとっている、その一方でそれに見合う分の食料を捨てているという生活を、今の私たち日本人は送っているわけです。
こんな生活を送っていて、それで本当にいいんでしょうか?
前回紹介した、「カーボンオフセット
付き商品」や「イベント開催のカーボンオフセット」が、どんな仕組みでCO2排出を相殺しているのか、気になりませんか。
あなたがオフセットしたいカーボン(CO2)の量を「排出権」と言います。「排出枠」や「クレジット
」
とも言われ、カーボンオフセットを購入する側の排出量と、提供する側の削減・吸収量の価値が見合ったものとして取り引きをするための単位となります。「排
出権」というと、あたかも「排出してよい権利」のようだったり、「金融商品」のようにも響くため、「排出枠」という言葉が使われたりもします。
カーボンオフセットの仕方には、植林などによって吸収量を増やしたり固定化技術によって生み出したりする“直接的な固定”だけでなく、途上国などのCO2の排出源における改善・改良事業の実施で減らした量をカウントする“間接的な方法”もあります。
こうした間接的なCO2削減プロジェクトとして、まずは京都議定書 に定められているプロジェクトがあげられます。例えば、CDM(クリーン開発メカニズム Clean Development Mechanism) ・JI(共同実施 Joint Implementation) ・ET(排出権取引Emission Trading) 、などです。
CDMというのは、先進国が途上国の設備等に対して技術支援などを行うことで減らした分の排出量を「排出権」として取引すること。支援をした先進国の削減量として計上できる仕組みになっています。森林整備によるCO2吸収量増大もCDMに含まれています。こうした、CDMによって創出された排出権を「CER(Certified Emission Reduction)
」と呼んでいます。
JIは、先進国同士が共同して温室効果ガス排出削減・吸収のプロジェクトを実施して排出権を得る仕組みです。JIから創出された排出権を「ERU(Emission Reduction Unit)
」といいます。
こうして減らした分のCO2量がカーボンオフセットのクレジットに充てられるというわけです。
問題視されている取り引きもあります。「ホットエアー
」と呼ばれるもので、京都議定書で決められた排出量目標をすでに下回っている一部の国々(旧ソ連や東欧諸国)が持つ、達成余剰分のことです。この余剰分を、自国の削減努力等だけでは目標達成ができずに困っている別の国に売るわけです。
これは一種のET(排出権取引)なんですが、CDMやJIが地球全体でCO2排出量の増加速度を減らす取り組みであるのに対して、ホットエアーの売買は「ウチの国は予定よりCO2が出なかったから、だれかこの枠を買ってくれないかな?」ということですから、CO2の削減効果は得られません。つまり、CO2削減のための政治的取り決めが金儲けのために使われ、結果、CO2排出量の増加速度は維持されてしまうわけです。
ホットエアーの取り引きを有効にするための仕組みとして、「グリーン投資スキーム(GIS, Green Investment Scheme)」という考えも派生しました。これは、ホットエアーの取り引きによって得たお金を「CO2削減効果のあることに限定して使う」という協定を交わした上で、ETの契約をすること。日本政府も2009年春に、チェコやウクライナとGISの協定を交わしました。
ちょっと話が脱線しましたね。
カーボンオフセットのためのCO2削減プロジェクトは、京都議定書に定められたものだけではありません。民間ベースで行われているCO2削減プロジェクトを第三者機関が「確かに何トン削減しています」と認証(Verification)して、京都メカニズムの枠組とは別に自主的な動きとして取り引きするものです。こうして創出されるクレジットを、「VER(Verified Emission Reduction)
」と呼びます。
日本で行われているVERのプロジェクトに、J-VER制度 というものがあります。これは、石油や石炭などの化石燃料に替えて、薪などの木材や使用済み天ぷら油の改質燃料 を使ったり、森林の間伐 を促進することでCO2吸収量を増加させたりするプロジェクトに対して、第三者機関が認証し、環境省が発行する排出権です。
ウチの会社も現在J-VERに取り組んでいますが、審査は非常に厳格、もうぐったりです。
次回は、カーボンオフセットによる“削減”が、「実際にCO2の削減につながっているのか?」ということについて紹介したいと思います。
道路やダム、発電所などの開発事業が行われるとき、それが周辺環境にどのような影響を及ぼすかを事前に調査することが、事業者側には義務づけられている。
「いわゆる環境アセスメント
ですね。うちの会社ではその中の生物調査を請け負っていて、僕は植物の調査を担当しています。開発予定地へ出かけ、植物相
や植生
を詳しく調べるのが主な仕事です」
と話す桑原健さん。
春から秋は現地調査、冬は調査結果をもとに資料作成、というのが大まかな年間スケジュールだという。現場は人気のない山奥から、都心の河川まで様々。
河原や森の中で、一つひとつの植物の種類を調べ、書きとめる地道な作業が続く。特に真夏の河川敷はとても暑く、消耗が激しい。
「いわゆる“3K”職場ですよ(笑)。でも、自然を身近に感じながら仕事をしたい人には、これほど楽しい仕事はない。『こんな植物、初めて見るぞ』とい
う発見もけっこうあります。それに自然を守りたいなら、まずはそこにどんな植物が生え、どんな生きものたちが生息しているかを知らなければならない。生物
調査の仕事は、自然を守るための第一歩だと僕は思っています」
学生の頃からアウトドア好き。ツーリングやトレッキングを通して、北海道や本州の自然に親しんだ。自然を守りたいという気持ちが芽生えたのは大学4年のとき。バイト先のアウトドアショップで(財)日本自然保護協会(NACS-J)の活動を知り、会員になった。
「もう少し踏み込みたいと、NACS-J主催の自然観察指導員
の
講習会に行ったら、何も語れない自分に愕然としました。フランスの歴史家・ミシュレの『われわれが虫を恐れ、嫌がる度合いは、われわれの無知に比例する』
という言葉を知って衝撃を受けたことも重なって、自分は自然について何も知らない、ということにこのとき改めて気づきました」
一度はメーカーに就職したものの、野生生物を調査する“仕事”が世の中に存在することを知って転職を決意。東京環境工科専門学校の野生生物調査学科に入学した。植物を専門に決めたのは、学校で斡旋された林野庁の高山植物パトロールに出かけたときだった。
「北アルプスの山々で、短い夏に一気に咲く高山植物の美しさと、場所によって植生がガラリと変わる面白さを肌で感じてとりこになりました。滞在した30
日間に100種類以上の植物を覚えました。今から思えば大した数ではありませんが、そのときは0からのスタートだったのでとても大きかった。以来、今日ま
で植物への興味が尽きることはありません」
生物調査会社へ就職し、初めて一人で担当したのは埼玉の里地調査だった。改変予定地の20m×20m程度の範囲を10箇所以上調べた。
「調査では絶滅の危機にある野生生物を記載した、環境省の『レッドデータブック
』に出ているような植物が見つかることもあります。その場合、計画の調整や植物の移植など、その種を守るための対策をクライアントに提案するのも僕たちの役目。ひとつの生物種が絶滅するかどうかが僕たちの調査にかかっていると思うと責任を感じます」
開発予定地で「レッドデータブック」に掲載されている植物が見つかっても、計画そのものがなくなることは、ほとんどないのが現実だ。
「人間が暮らすうえで、開発は不可避だと思います。だったら、その中でできるだけ自然環境を壊さないようにするのが僕たち調査員の仕事だと思う。理想を掲げることも大切ですが、現実とつながることも必要だと思うんです」
最近は、自然保護の観点からの環境教育などの仕事も増えてきた。自然を守るためにその地域の生きものを調査する仕事もするようになった。
「自分たちが住む地域の自然を守ることはやはり大切です。いつか、生物調査員として培った知識や経験を生かし、地域の自然保護活動をリードしていける人になりたいですね」
現地調査で背負うリュックの中には、ルーペやコンパスなどが入った「ポーチ」と、調査記録を記入するための「画板」、植物調査員必携の
「図鑑」、撮影した場所が特定できる「GPSとデジカメ」、そして「剪定ばさみ」、「根掘り(スコップ)」、「雨合羽」などが入っている。
森や藪に分け入る現地調査では、長袖・長ズボンに長靴をはいて帽子を被る。「暑いので首にはタオルも巻いています。外での仕事ですが、こういう格好なので、生物調査の中でも植物の場合は意外と日に焼けない(笑)」
06:30 現場近くにとった宿で起床。朝食をすませて現地へ出発。
08:00 調査開始。山の中は2人1組で歩くのが基本。その場で種類がわからない植物があれば採取し、ビニール袋に入れて持ち帰る。
11:00 適当な場所を探して昼ごはん。「荷物にならないコンビニのおにぎりが多い。僕の定番はタラコとシーチキンのおにぎり、そしてカレーパンです」
12:00 調査を再開。山奥で行う調査の場合は崖から落ちたり、熊に襲われたり、危険な目に遭うことも。「とにかく安全第一だと思っています。体調管理や危険回避は責任を持ってやっています」
17:00 調査終了。「植物の調査は日暮れまでですが、鳥や動物を担当する人は夜も調査があります」
18:00 宿に戻って夕食&入浴。
20:00 持ち帰った植物を新聞紙上に広げて、図鑑を片手に“同定 大会”スタート。「翌日の調査に差しさわりが出ないよう、できるだけ早めに切り上げるように心がけていますが、深夜に及ぶ日もあります」。最後に翌日の調査計画を立てて終了。
22:00 就寝。「仕事の入り方にもよりますが、植物の調査が可能な春から秋にかけてのシーズンには、月の半分~3分の1は現地に出かけています」
カイロの南90km、ナイル河岸から30km西の砂漠地帯に浮かぶファイユーム・オアシス
【1】の歴史は古く、先史時代から農耕民が住んでいたと考えられています。
伝説では、上下エジプトを統一したとされるファラオ・メネス王が、カルーン湖
【2】畔で狩りをしているところを野犬に襲われ、危うくワニに助けられた恩に報いるため、この湖をワニの保護地にしたと伝えられています。そのためこの地方は、のちにワニの姿をしたセベク神
【3】信仰の中心となりました。
紀元前20世紀の中王国時代
【4】に
なると、第12王朝アメンエムハト1世にはじまる歴代ファラオが、ファイユームを穀倉地帯とすべく一大治水事業に着手します。ナイル川からカルーン湖に流
れ込むユースフ運河を拡張し、広大な灌漑農地を開墾しました。紀元前3世紀のプトレマイオス王朝期にも、大規模な治水事業が続けられ、水流を利用した揚水
水車が灌漑に使われるようになりました。
ファイユームでは、中王国時代のピラミッドや、ギリシャ・ローマ時代の神殿や墳墓など、35を越す考古学遺跡が発掘され、その歴史の長さを物語っています。
エジプト最大の塩湖・カルーン湖はオアシスの北、海抜下45mの低地に広がっています。北岸には道路もなく、乾いた砂漠と地層が露出したカタラ
ニ山が、蜃気楼のように湖水の向こうに霞んで見えます。これとは対照的に南岸には豊かな田園地帯が広がり、ナツメヤシの茂みとみずみずしい牧草畑をぬっ
て、ロバに乗った少年がのんびり農道を行き過ぎていきます。漁業も盛んな湖の沿道には、釣った魚を高々と掲げて売っている人々を見かけます。
このように一見豊かなファイユームですが、かつては深刻な水問題を抱えていました。ファラオの時代に築かれた運河を基礎にオアシスを縦横にめぐる水路
は、農地を潤した後、すべてカルーン湖に流れ込みます。砂漠の低地に位置する湖には水の出口がなく、流入量が多すぎると塩分の強い湖水が広がって周辺の土
壌に浸透し、塩害をもたらします。そのため豊富なナイルの水も、排水ができないために十分に使うことができず、水を多く必要とする作物を育てることができ
ませんでした。
デルタの南、胎児が臍帯(へその緒)でつながるように、母なるナイル河岸緑地から枝分かれしているのがファイユームオアシス。
オアシスの北縁に細長く横たわるのがカルーン湖で、オアシス左下(南西)に2つ離れて見えるのが、新たな排水運河で形成された人工湖。
オアシスを塩害から守るため、1973年に新たな治水事業が始まりました。カルーン湖に流れ込む運河に支流をつくり、オアシス南西のワディラ
ヤーン低地に水の一部を流すことにしたのです。事業は成功し、涸れ谷に2つの人工湖ができました。およそ4000年前に始まったファラオの治水事業が、よ
うやく完結したともいえます。
新たにできた湖には、カルーン湖とともに渡り鳥や在来の鳥類が飛来するようになり、稀少種のリムガゼルやフェネックキツネなど、野生動物の棲息も確認されています。生物学的、地質学的、考古学的に重要な遺産が多く残ることから、1989年には「クジラの谷
」を含めたワディラヤーン地区全体が保護区に指定されました。エジプト政府は、ファイユーム地方をエコツーリズム地域として盛り上げていく方針を出しています。
保護区内にはキャンプのできるスポットもあり、朝夕刻々と色彩を変えていく砂漠を楽しむことができます。湖畔の湿地には葦が深く生い茂り、月の明るい晩
には湖水が蒼白く妖艶に浮かびあがります。波打つように稜線を描く砂丘は、朝日を浴びる瞬間が最も幻想的です。冬の早朝にはオオフラミンゴの群れも見られ
ます。
人工湖の南西のはずれには天然の泉があり、かつては次のオアシスへ出発するベドウィンの隊商(砂漠などを隊を組んで通行する商人の一隊)が最後に水を補給する場所でした。さらに南のモンガル山麓の岩窟には、コプト派キリスト教
[5]の修道院があります。1960年に建てられた砂漠の修道院では、世俗を離れた修道僧が静かな祈りと瞑想の日々を送っています。
最近、よく耳にする言葉に「グリーン・ツーリズム」というのがあります。
『緑豊かな農村地域において、その自然、文化、人々との交流を楽しむ余暇活動』だそうで、要するに「田舎暮らし」です。この活動は都会の人だけのものではありません。田舎に住む人たちに、都会から人とお金を運んできます。
「コイツは野母崎の町興しに何とか使えないか」と数年前より構想を持っていました。過疎化、漁師の高齢化が進み漁業後継者もほとんどいなくなって、半ば諦めモードの我が郷土を元気にできれば(そして、収入アップ)…との思いからです。
そして、6年前の漁師料理「おおとり丸」開店と同時に、まずは「定置網体験」をはじめました。
田舎で初めてのことを立ち上げるには様々な障害がありました。しかし、続けることによりまわりの協力者も現れ、行政の後押しもあり、平成22年4月にはツーリズム組織、「のもざきヨカ隊」を立ち上げるに至りました。
私が手がける体験メニューは仕事柄、漁業体験が中心です。農業体験がグリーン・ツーリズムなので、漁業体験はブルー・ツーリズムと呼ぶそうです。
畑や山林で気軽にできる農業体験との違いは、大きくたちはだかる「許可」です。都会の人に漁業を体験してもらうだけで、いろんな許可をクリアしなくては
いけません。まず、「漁船に乗り込む」許可。意外ですが、漁業従事者以外を漁船に乗せるには「漁船登録」の他、「小型船舶登録」、「遊漁船業」の許可が必
要になります。車で言うところのナンバープレートが3枚必要なんです。講習に始まり、県庁へ出向いての許可申請、保険への加入、安全装備の整備、場合に
よっては船の改造も。そして船の検査…。おっと、先輩遊漁船での乗船履歴も必要です(遊漁船第一号はどこで乗船履歴を取ったのか、私の中で、いまだに謎で
す)。
実際に体験を受け入れるまでに、多額の投資と多くの時間と労力が費やされます。
このことがブルー・ツーリズム普及の高い壁になっているようです。他にも、漁業権、港の施設の使用権などクリアすべきことがたくさんあります。 文部科学省、農林水産省、環境省は「ツーリズム」事業を推進しているのですが、海上交通の許認可を司る国土交通省はその気がないようです。「体験学習」 という新たなカテゴリーに関する法令がないので釣り人を船に乗せる「遊漁船業」の許可でしか対応しないそうです。法改正の情報はまだ聞いていません。
こうして数々の障害(?)を乗り越えて、一般の人に定置網漁を体験してもらえるようになりました。前にも書きましたが野母崎は過疎化が進んでい
ます。ウチの乗組員も現役を一度引退した、いわゆる「年金組」ばかりです。最初は漁業体験というものを理解してもらえなかったし、都会の人との接点もあり
ませんでした。しかし、いざ、自分たちの船に都会の人が乗り込んでくると意外にも積極的に「接客」をはじめました。
網を引く掛け声もふだんより大きく、子どもたちの他愛のない質問にも(野母弁で)丁寧に説明しています。特に、女性が来るとテンションが上がる乗組員も
います。ジジイが男を思い出したとこが笑えます。みんな、私が何も言わなくても優秀なインストラクターになりました。帰り際はいつも「楽しかった!」、
「また、来んね(来てね)!」とどちらも満足しています。
既存の自然、文化、産業、暮らしで都会の人と交流するツーリズム事業は、都会の人が楽しむだけじゃなく、地元の人たちも楽しんで元気になる…そんな事業ではないでしょうか。
これから、体験メニューを増やし、より多くの「年金組」インストラクターに参加してもらい、少しでも町興しになればと決意を新たにした今日、この頃です…。
でも、思ったよりは儲かりません…。
自然エネルギーを中心になるべく自給する地域社会をつくる上での第一ステップは、自分たちの住む地域にどのぐらいの自然エネルギー資源があるのか
を知ることです。現在、多くの地方自治体が「地域新エネルギービジョン」を策定しており、それらを見ると地域のエネルギー需要がどれだけあって、どのよう
な自然エネルギー資源のポテンシャルがあるのかを知ることができます。
ただし、これはあくまでも現在どうなっているのかを調べたものであり、「どうやって自然エネルギーを増やすのか」については触れられていません。そこで、次のステップです。
第二のステップは、地域での自然エネルギー事業の実践方法を知ることです。これまでの『自然エネルギー生活』の連載で紹介してきたように、自然エネルギーにはさまざまな導入方法があります。
例えば、自分の家の屋根に太陽光パネルや太陽熱温水器を導入することが可能であれば、自治体が設置補助を出しているかどうかを調べてみましょう。自分の
家での導入が難しいのであれば、会社や学校などで「グリーン電力」を導入できるかどうか調べてみましょう。他にも「市民出資」による自然エネルギープロ
ジェクトに出資するという方法があります。
さらに、大きく一歩踏み出して、地域の自然エネルギー事業会社を起業するという方法もあります。地域のさまざまな人々とコミュニケーションをとりながら、経済的・政治的・技術的・文化的なハードル[註]
をひとつひとつ乗り越えていく必要があり、それは決して容易なことではないのですが、地域経済の活性化や雇用創出など、多様なメリットを地域に生み出す可能性があります。
2005年から長野県飯田市で市民出資による太陽光発電事業を行っている「おひさま進歩エネルギー株式会社」の取り組みは、地域の住民、事業者、
行政が実践に伴うさまざまな課題を乗り越えてエネルギーの地産地消に取り組んでいる良い事例です。
例えば、事業を進める上で、公共施設の屋根上の使用期間の問題に直面したことがありました。市民出資によって事業を成立させるためには、どうしても20
年間の屋根上使用許可が必要でしたが、一般に公共施設の屋根上などの行政財産の使用許可は10年間で、電力購入契約を含む20年間の屋根上使用許可は、市
にとっても前例のないものでした。
しかし、市長、行政、おひさま進歩エネルギー株式会社が協議を重ねた結果、無事20年間の契約が成立し、“全国初”の市民出資による太陽光発電事業がはじまりました。
前例のないさまざまな課題が現れてくる中で、おひさま進歩エネルギーの地産地消型エネルギー事業を成立させることが可能になった背景には、事業に関わる人たちの地域社会への思いがあります。
飯田市では、早くから「環境文化都市」を市の基本構想に掲げ、近年はさらに一歩進んだ「文化経済自立都市」として地域社会の自立を真剣に考えてきた経緯
があります。おひさま進歩エネルギー社長の原亮弘さんも「温暖化問題と地域の自立を真剣に考え、問題を次の世代に残さないように」との思いから、取り組み
をはじめました。
また、保育園や幼稚園に太陽光パネルを設置したことで、子どもたちのエネルギーへの意識が高まり、家庭での省エネ行動が促進されているそうです。
地域の自然エネルギーを創り出すうえでもっとも重要なことは、そこに住む人たちが地域のことを知り、地域の取り組みに当事者意識をもって関わることなのです。
(環境エネルギー政策研究所 フェロー 古屋将太)