日本の教育と雇用は工場の商品の製造と出荷に例えることが出来る。日本では一般的にどの学校でも、最終年度(中学校高校なら三年生、短大専門なら二年生、大学なら四年生)で横並びで一斉に就職活動をして内定を獲得したのち、入社式及び研修を経てそれぞれの部署に人事部により配属される。一般的に日本企業は景気が良い時は新卒採用を増やし、反対に景気が悪い時には新卒採用を大幅に削減する。だから、日本にはバブル世代と就職氷河期世代が存在する。しかし、これは世界的には珍しい方だ。欧米はこの真逆である。欧米の新卒採用は日本の中途採用にイメージが近い(1)。

 

日本型雇用は景気が良い時には人材を切れ目なく補充できる。しかし、一たび景気が悪くなると、途端に機能しなくなる。なぜならば、景気の如何にかかわらず毎年新卒が入ってくるからだ。その時どうなるか。景気が悪く、しかも上の世代が詰まっている場合、新卒の社会への参加を阻むしかない。これが、就職氷河期世代で起きた。嘗て、就職氷河期世代が新卒として就職活動をしていた時代、日本はまさにバブル崩壊直後で経済は大混乱に陥っていた。大卒の有効求人倍率は下降を続け、遂には0.99倍を記録するまでになった。また、同時代の転職希望者を対象にした一般の有効求人倍率は0.5倍台で推移し続け、ついには0.4倍台にまで到達した(2)。企業は不良債権の処理に追われ、またこの頃はまだ技術を持っている団塊の世代が現役だったので、彼らの雇用の確保が急務だった。巷では、ハローワークの前で求人票を巡って殴り合いが起きたり、派遣で怪我をした若者が「夢は自爆テロ!」と言い放ったりした(3)。年間自殺者は3万人台で推移し続けた(4)。同時期、派遣業種の大幅緩和を認める法律が国会で可決成立及び施行されている(5)。

 

問題はこの後だ。就職氷河期世代は、上記の理由により大変厳しい選別が他の世代よりも多く行われた。今にして思えば人格蹂躙としか思えないような圧迫面接及び企業側の都合による一方的な内定取り消しだ。この二つが全国的に、しかも堂々と行われた。その為、大変不本意ながら非正規労働者として社会に入っていった者が数多くいる。そして、日本では非正規労働は職歴とはみなされない。つまり、アルバイトもパートも、更に派遣や請負、そして嘱託も無職と同じだとみなされるのだ。そして、これが就職氷河期世代を長年にわたって苦しめてきた。幾ら正社員になりたくても企業の心理的な壁に阻まれてきたのだ。就職氷河期世代の勝ち組や他の世代の連中が「業種職種に拘らなければ、仕事なんて幾らでもある。」と発言していわゆる自己責任論を振りかざしているが、彼らは実に的外れでしかも世間知らずと言わざるを得ない。何故なら、どれだけ労働者に働く意欲があっても企業が採用を拒めば、意味がないからだ。そして、日本企業は常に「うちは無理」という態度を取ってきた。そのくせ、就職氷河期世代に対して自己責任論を押し付けてきた。その結果、この世代の殆どの人は精神を病み、やがて引きこもりになっていった。そして、どうなったか。今では、企業は人材と後継者の両方で不足に悩み、社会は少子高齢化に歯止めがかからない。政府は税収の大幅な増額を見込めず、相次ぐ増税に舵を切らざるを得なくなっている。当然だ。自分の生活が一番大事。これは全人類共通だろう。その点に於いて、非正規労働者は二十代も五十代もほぼ変わらず最低賃金すれすれだ。経済的余裕が無いのだから、結婚や妊娠出産育児など、到底望むべくもない。また、消費活動も沈静化せざるを得ない。言い換えれば、生活防衛だ。そう、つまり全ては政財界の保身の行き着いた結果なのだ。政財界こそ、責任を問われるべきだろう。

 

ついでに言えば、専業主婦(夫)も無職と同じとみなされる。なので、専業主婦(夫)は配偶者が死亡した場合、或いは離別した場合、そこからの生活が大変だろう。昭和時代に結婚を【永久就職】と表現した人がいたらしいが、正に言いえて妙だろう。

 

【参考資料】

(1)意外と知らない、世界の新卒採用事情。 アメリカや欧米各国では“即戦力採用”が主流。 “新卒一括採用”は日本特有? 通年採用となる新たなマーケットでの変化は。

(2)図表1-3-32 有効求人倍率と完全失業率の推移 経済産業省有効求人倍率の推移

(3)『日刊ゲンダイ』2008年7月2日、5頁。

(4)厚生労働省 自殺者数推移統計

(5)派遣法の規制緩和と規制強化の歴史、派遣社員として働く意識の男女差