いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠に有難うございます。
エコノミライ研究所では
クルマの歴史
へのクローズアップに対しても注力していますので、
従来型内燃機関エンジン推進車両
への知識習得と理解を深めることも、大変重要なミッションだと考えています。
LAMBORGHINI_COUNTACH_LP500S_1984
LAMBORGHINI_COUNTACH_LP500S_1983
MG_MIDGET_1500_1979
PORSCHE_930_TURBO_1977
TOYOTA_KE72_VAN_MARSHAL_1983
そこで
エコノミライ研究所では
兼ねてより、地元岡山県内で約10年も継続中の
ベッキオバンビーノ
の紹介をさせて戴いています。
ベッキオバンビーノ2022年春バージョンのコースは、
岡山市のプラザホテル前駐車場をスタート地点に
赤磐市エリアまで東進、そこから津山エリアへ北上して
院庄ICより中国自動車道、落合JCTから米子自動車道を経て蒜山エリアまで行き、
新庄村から国道181号線で新見エリアまで南下し、
180号線にて高梁市エリアを南下して
賀陽ICにて岡山自動車道、岡山JCTから山陽自動車道、
倉敷JCTから山陽自動車道早島支線、早島ICから瀬戸中央自動車道で児島ICを降り
1泊目の宿泊地、瀬戸内児島ホテル前駐車場でゴール
という内容でした。
(公式HPCOURSE&SCHEDULE | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)
「開催趣旨
大会名称のVecchio Bambino (ベッキオ・バンビーノ)とは、
イタリア語で子どもの心を持ち続ける大人・永遠の少年を意味します。
岡山県内各地を舞台とした日本最大規模のクラシックカーラリー。訪れる地域の方との観光交流と賑わいの創出、震災復興支援・交通事故遺児の就学支援を目的としたイベントとして開催9年目の秋を迎えます。全国各地から集った参加者が訪れる岡山県内の各地域の皆さんとの触れ合いの中で双方が心から楽しんでいただける心のこもった観光交流イベントとなり、大人たちがルールを守り力いっぱい遊ぶ姿が子どもたちのお手本となるように努力してまいります。
イベントを通じ、テレビ・新聞・インターネット・自動車雑誌などのメディアを用いた地域観光資源情報発信イベントとして訪れる地域の皆様のお役にたてるよう、また例年通り積極的なチャリティ活動を綿密な計画のもと運営を行っております。」
(公式HP「開催概要」開催概要 | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rallyより)
また、一夜明けた
大会2日目のコースは
宿泊地瀬戸内児島ホテルのお隣り
鷲羽山ハイランドから
倉敷美観地区まで移動
玉島ハーバーアイランドから旧玉島市街中心地を抜けて
岡山県民には御馴染みの海水浴場である沙美海岸から
「生きている化石」カブトガニで有名な笠岡はカブトガニ博物館まで到達しますと
笠岡市街地を抜けて北上
宿場町として有名な矢掛町へ向かい
完成したばかりの道の駅「山陽道かやげ宿」と
矢掛本陣のある旧道を道中最後のチェックポイントとして
一気にグランドスタート地点である岡山プラザホテルまで戻る
という行程でありました。
先回シリーズと同様
参加車両の1台ごとに撮影成功していた車両とゼッケン番号を照合して紹介する予定です。
(公式HPENTRY LIST | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)
「自動車王国岡山」
と呼ばれるに相応しいイベントである
ベッキオバンビーノの模様を一人でも多くの<ひと>に知って頂くため、
地域住民の一人として、できることを実践していく所存です。
今回紹介するのは
ゼッケン番号 64 LAMBORGHINI_COUNTACH_LP500S_1984 です。
今回イベントでは、2台ものカウンタックが登場!
何と素晴らしいことでしょう!!
(出典:ウィキペディアランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
「ランボルギーニ・カウンタック(Lamborghini Countach )はイタリアの自動車メーカー、ランボルギーニが1974年から1990年にかけて製造したスーパーカーである。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
(2021)
「概要
いわゆるスーパーカーを代表する自動車であり、特殊なエアインテーク機構や自然吸気(NA)で高出力の大排気量V型12気筒エンジンを搭載する等、デザイン、メカニズム、シャシー構造等の点において異彩を放ち、1970年代後半から1980年代にかけて日本で巻き起こった「スーパーカーブーム」の主役となった。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
「ブーム時には「最高速度300 km/h」という公称値が話題となり、シザーズドア、リトラクタブル・ヘッドライトと共に人気の一端を担っていたが、実際には当時の現行車種LP400の最高速は300 km/hまで届いてはおらず、最終モデルである25thアニバーサリーでも295 km/hに留まる。
また、車体下に気流が入って揚力が発生したり、巨大なエアスクープの空気抵抗、導入された気流によって後輪のトラクションが低下する等、ボディは空力的には問題が多く、対策としてLP400S以降のモデルにはエアロパーツやオプションでリアウィングが装備されるようになったが、このリアウィングが生み出すリアのダウンフォースが強く、高速走行時には前輪の接地感が薄れるという欠点もあり、それを補うために5000Sではフロントウイングまでもディーラーオプションで登場するという始末であった。
なお、特徴的なエアスクープとその下にあるルーバーは、別個の空気取り入れ口ではなくデザインであり、中で1つの大きなボックスになっている。車高が極端に低く、5000QV以降はダウンドラフトタイプのキャブレターに変更した事により、エンジンフードに突起物(バルジ)が追加され、後方視界は更に悪くなった。
販売期間が16年という長期に及んだため、ランボルギーニ史上ではウラカン、ガヤルド、ウルスに次いで生産台数が多い。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
(2022)
「車名の由来
Countachとは、イタリア北西部ピエモンテ地方の方言で「驚いた」を表す「Contacc」(驚異、驚きの感嘆詞)contacc [kʊŋˈtɑtʃ](イタリア語での発音はクンタッチ)の綴りを一部改変したもので、後年に元開発チームのマルチェロ・ガンディーニが明かし、パオロ・スタンツァーニが補足している。
カウンタックのプロトティーポをジュネーブモーターショーの出展に間に合わせるため作業に追われていた時期に、ランボルギーニとベルトーネ両社でストライキが勃発。会社施設を使えなくなった事情で、ベルトーネ本社(ピエモンテ州トリノ)近郊の納屋に移して徹夜作業を再開する。納屋の近所に住む農夫が、深夜に物音がするので不審に思い確認をしにやって来た。
その時プロトティーポを見て発した一言が、ピエモンテ方言の「contacc」(感動的驚きの表現)であった。この方言はベルトーネのスタッフから訊いて、後で意味がわかった(パオロ・スタンツァーニ談)。
開発スタッフの中にピエモンテ州出身者がおり、上述の件以降から作業中口癖のように「contacc」と冗談を言いあっていた。
そして洒落のつもりで、いっそのことプロトティーポの車名にしてはどうかと提案。
イギリス人スタッフ、テストドライバーのボブ・ウォレスに確認したところ発音的響きは悪くない結論に達し、正式に英語綴りで「Countach」に決まった(マルチェロ・ガンディーニ談)。
ランボルギーニジャパンではカウンタック50周年の2021年現在「Countach」とアルファベット表記をしている。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
(2022)
「ランボルギーニは、カウンタックモデルをさらに説明するために、英数字指定のシステムを使用し、初期のカウンタックモデルで共有されるエンジンの向きと配置を指し、イタリア語の「縦方向後部」の略語である「LP」はミッドシップ縦置き(Longitudinale Posteriore )、「LP」の後に3桁の数字が続き、公称排気量(cc単位、10分の1表記)を示す。
プロトティーポおよび初期の生産モデルでは、3.9リッターエンジンの場合は「400」、4.8リッターおよび5リッターエンジンの場合は「500」で、ミウラと同様に、高性能バリアントのための文字には「S」(エッセ、スポーツsportの略)が追加された。
この命名スキームは、5.2リッターエンジンを搭載した1985年のLP5000 Quattrovalvoleまで続き、1988年の25thアニバーサリーで変更された。
イタリア語での発音は[kʊŋˈtɑtʃ](クンタッチ) elle(エッレ) pi(ピ) quattrocento(400、クァットロチェント)、Cinquecento(500、チンクェチェント)、cinquemila(5000、チンクェミラ)、25°anniversario( venticinque ヴェンティチンクエ[an·ni·ver·sà·rio]アンニヴェルサーリオ)など。
1970年の下記LP112プロジェクトのLP112は1番目の縦置き12気筒モデルという意味がある。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
(2021)
「スタイリング
カウンタックはベルトーネデザインスタジオのマルチェロ・ガンディーニによってデザインされた。
同デザイナーの1966年3月に発表されたミウラの12気筒エンジンの後継車、カウンタックのデザインテーマはプロペラの“ねじれ”で、
ランボルギーニ、アルファロメオ、ランチアの一連のベルトーネのコンセプトカーの幾何学的なデザイン、特に、1968年のシザードアのアルファロメオ・カラボ(Alfa Romeo Carabo)と1970年の極端なウエッジシェイプのストラトス HFゼロは、
カウンタックの直接的なスタイリングの先駆けで、両車ともくさび形のリアミッドエンジンデザインで、低く平らなフロント、切り詰められたテール等のデザインの萌芽を確認する事ができ、近未来的なデザインは、車名通り世界中に驚きを与えた。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
(2022)
「1970年にLP112プロジェクトは開始され、プロジェクトリーダーには1963年の創業以来ランボルギーに参画、1968年には取締役兼技術部長になったパオロ・スタンツァーニが就いた。
スタンツァーニは、機械的な完成の前にボディ設計を進められるように、ボディの開発を依頼したベルトーネのガンディーニ設計チームに、シャーシ情報を提供した。
完成したシャーシはベルトーネに出荷され、ボディワークとインテリアが設置され、完成したLP500プロトティーポは、1971年のジュネーブオートショーで発表され、その型破りなデザインが大きな関心と広範な報道を集めた。
ボディの寸法は、幅185 cm、高さ103 cm、長さ401cmとミウラと比較して幅が広く、全長が短く非常に低く、透明なプラスチックカバーのポジションライトとウインカーの上(1969年のメルセデス・ベンツC111-Iに触発されたレイアウト)に取り付けられたボディ内にフリップダウンする格納式ハウジングのリトラクタブルヘッドライトによって途切れのない傾斜で、薄いフロントグリルに向かって鋭く先細りになるくさび形のデザインだった。
プロトティーポのボディには、バンパー、空力スポイラー、サイドミラー等のガンディーニのデザインラインを妨げる追加機能は無く、台形のデザインラインは、フロントガラス、サイドウィンドウ、ドア開口部、フード、ルーフ、エンジンカバー、テールライトなど、ボディ全体にあしらわれた。
サスペンションは前後ともダブル・ウィッシュボーン式で、ホイールベースを前後トレッドの平均値で割った数値のホイールベーストレッド比(W/T)はLP400で約1.62と小さい数値であるが同じベルトーネのランチア・ストラトス ストラダーレの1.51には僅かに及ばない。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
(2022)
「ガルウィングドアの代表的存在として認識されるが、ガルウィングドアはルーフにヒンジがあり、正面から見てカモメの様に開くもので、カウンタックのドアは前ヒンジでドア先端がフロントフェンダーに若干沈み(後継車のディアブロ以降では沈まない)上方に開き、ランボルギーニ公式ではシザー(鋏)ドアの名称が使われている。
ガンディーニの1968年製のコンセプトカー、アルファロメオカラボで初めて登場し、ドアの前に水平ヒンジを介して取り付けられ、ショックアブソーバーによってドアの重量を支え、開閉動作をスムーズにした。
ガンディーニは、このドアのデザインをスタイリングジェスチャーと搭乗の容易さの両方として取り入れ、幅の広いシャーシと高くて広いドアシルは、狭いスペースで使用するには都合が良く、低い天井の下でシザードアを開く際には注意が必要である。シザードアにより、横転事故の車からの脱出困難が想定され、エンジニアは、簡単に取り外し可能なキックアウトフロントガラスや事故後のドアの取り外しに爆発性ボルトを検討したが、量産車には反映されなかった。
シザードアは、その後の全てのランボルギーニ12気筒モデルに引き継がれたデザイン機能である。座席からの後方視界が悪い(車室の後ろがすぐにエンジンルームになっているミッドシップで、後方窓が小さく視界が悪い)ので、ドアを開け幅の広いサイドシル側に座り上半身を外に出しルーフ越しに後方を確認しつつ後退させる運転スタイルは「カウンタック(クンタッチ)・リバース」と呼ばれる。
カウンタックのスタイリングは、パフォーマンス、安全性、外観を改善するため追加モデルが導入される度にオーバーフェンダー、スポイラー、キャブレターカバー、バンパーなど徐々に追加されたが、基本的なボディ形状は生産終了まで変更されなかった。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
「エンジンとトランスミッション
ランボルギーニ・ミウラはV型12気筒エンジンを横置きミッドシップにレイアウトして成功を収めたが、極端に後寄りの重量配分に起因する高速走行時の不安定性や、複雑なトランスミッションレイアウトによるシフトフィールの悪さなど、横置きミッドエンジン固有の欠点が課題として残された。
後継車のカウンタックは、次世代のミッドシップ・スーパースポーツカーとして、エンジニアのパオロ・スタンツァーニを中心にLP112プロジェクトとして開発された。縦置きリアミッドレイアウトは、従来レーシングカーのフェラーリ・Pシリーズで採用があったが、ロードゴーイングカーのV12エンジンでは初の試みだった。
とはいえ巨大なV12エンジンを縦置きにすると、理想的な重量配分は得られるものの、ホイールベースが長くなるために旋回性能が低下してしまう。
スタンツァーニはこの問題を解決すべく、通常とは前後を反転しエンジンの前方にギアボックス、出力シャフトを置く配置で縦置きエンジンであるにもかかわらずミウラよりさらに短い2,450 mmというホイールベースを実現するとともに、クラッチアセンブリを介してトランスミッションに接続された。
トランスミッション自体は、ポルシェタイプのシンクロメッシュを備えた5速マニュアルであり、室内の真ん中の2つの座席の間に取り付けられた。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
(2021)
「エンジンから前方のギアボックスに駆動力が伝達され、更にそこから折り返されたドライブシャフトはオイルサンプを貫通し、後輪のデファレンシャルギアに伝達される。
この配置は、ミッドマウントトランスミッションとリアマウントディファレンシャルの間にエンジンの全長を効果的に挟み、コクピット下にギアボックスがあるためワイヤーを介さずギアボックスに直接シフトレバーを取り付けることができ良好なシフトフィールも実現した。
通常はフロントオーバーハングに置かれるラジエーターはエンジン両サイドに横置きに設置し、その下両サイドに80リットルずつの容量の燃料タンクをレイアウトした。
これによってフロントオーバーハングに収められるのはスペアタイヤとバッテリーのみになり、この構成には車の中心近くに質量を配置することによる安定性の向上、簡単で高速なシフトの直接的なギアシフトリンケージ、良い冷却、簡単なエンジンコンポーネントへのメンテナンスアクセスなどであった。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
(2022)
「カウンタックで使用されているランボルギーニV12エンジンは1963年にジオットビッツァリーニによって設計され、このエンジンは、350GT、400GT、Islero、Espada、Miuraなどのモデルで使用されており、ミウラでは、3,929 ccの排気量、60ºのシリンダーバンク角度、バンクごとに2つのオーバーヘッドカムシャフト、シリンダーごとに2つのバルブ、潤滑とディストリビューター点火を備えていた。
パオロスタンツァーニのエンジニアリングチームは、ミウラSVのように、カウンタックエンジンの出力を最大379 PS以上に増加させたいと考え、3.9リッターバージョンは、実験的なP400 Jotaで約417〜441 PSの定格になるように調整された。
しかし、この仕様のエンジンは製造に費用がかかり、低速トルクが不足し、通常の市街地走行では取り扱いが困難だったため、エンジニアは、レースチューンエンジンの使いやすさの問題を回避しながら、より多くのパワーを引き出すために、エンジンの排気量を5リッターに増やすことにした。
この排気量の増加には、既存のV12の大幅な再設計が必要になり、ランボルギーニの計画は、シリーズ生産に間に合うように5リッターエンジンを生産することであり、プロトティーポの1971年のデビュー時に仕様が公開された時には、定格が7,400rpmで446 PSになると発表された。実験用エンジン一基は、従来の3.9リッターエンジンブロックをボーリング加工して作製され、テスト目的でLP500プロトティーポに取り付けられた。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
(2021)
「高価なマグネシウム合金であるElektronから作られた軽量鋳造物を組み込んだこのエンジンは、1971年のボブウォレスによる路上テスト中にブローし、耐久性を向上させるためには、基本的なエンジン設計をさらに改訂する必要があることが明らかになり、その後、LP500プロトティーポの残りの実動テスト用に3.9リッターエンジンが載せられた。
新しい5リッターエンジンの耐久性の問題を時間内に解決できなかったため、最初のLP400量産車は3.9リッターエンジンを使用し、1974年に装備されたエンジンは、8,000rpmで375 PSの定格で記載されている。燃料供給はミウラのダウンドラフトから、サイドドラフトでウエーバー45DCOEツインチョークキャブレター6基で行うが、ミウラSVの出力よりも低く非難された。
その後のエンジン開発により、1982年の5000Sでは排気量が4,754 ccに増加し、1985年のLP5000Quattrovalvoleではシリンダーあたり4つのバルブで5,167ccに増加した。カウンタックのすべてのバリエーションのヨーロッパ仕様の車は後継車のディアブロが登場するまでウェーバーキャブレターを使い続けたが、LP5000 QVモデル以降の一部は、米国の排出ガス規制を満たすためにボッシュ K-ジェトロニック燃料噴射を使用した。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
(2022)
「シャーシとボディの構造
パオロスタンツァーニとランボルギーニエンジニアリングチームは、LP500プロトティーポ用の全鋼製角断面スチールフレームシャーシ(プラットフォームシャシー)を設計し、ランボルギーニ創立当初からのパートナーであるモデナのウンベルト・マルケージ(Marchesi & C Srl社)で作製された。
このシャーシは、0.8〜1.0 mm厚の鋼板と正方形断面の鋼管で構成され、フロントセクションは主にプレス加工およびスポット溶接された鋼板を使用し、特定の箇所はプレス加工されたリブと溶接されたパネルによって補強され、鋼板とチューブで構成された補強フレームは、車の中央を通って、両方のドアシルに沿って、中央のトランスミッショントンネルの周りに伸びていた。
シャーシの後部は正方形のチューブで構成され、強度を高めるために斜めのブレースと複数のクロスメンバーが含まれた。プロトティーポのシャーシは、ミウラのシャーシよりも剛性が高く、ミウラの75kgより重い107kgだった。追加の重量は、ミウラで採り入れられた軽量化穴を開けなかった事もあり、部分的には試作テスト用に耐久性の高いシャーシを構築する必要があるためだった。
エンジニアはミウラの設計に比べて強度と剛性が向上したことに加えて、鋼管をより多く使用することで、腐食からの保護が容易になると考えた。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
(2021)
「1971年にLP500プロトティーポをテストした後、スタンツァーニは、2番目のLP400プロトティーポ#1120001でシャーシの設計を改訂することを決定し、寸法こそ似ていたが、LP500プロトティーポで作製された鋼板と角管のスチールフレームシャーシ(プラットフォームシャシー)は完全に履がえされ、円断面の直径30mm、25mm、15mmのパイプ鋼管が溶接された構造のフルスペースフレームに変更し、同じくウンベルト・マルケージ(Marchesi & C Srl社)で作製された。
上記プロトティーポと比較して、この設計では、クロスブレース管状フレームのはるかに複雑な溶接アセンブリを使用し、いくつかの重要な箇所は厚さ1 mmの板金ガセットで補強され、フロアパネル(床)には、別のグラスファイバーとアルミニウムのパネルが設置された。
目的どおり、より剛性が高く、重量も90 kgと軽く仕上がった。当時この工法はフォーミュラワンで使用されていたが、公道を走るストラダーレとしては非常に進歩していて、設計のパフォーマンス上の利点に加えて、ランボルギーニは、技術的に高度で複雑で視覚的にも芸術的なシャーシを構築する事で、マーケティング戦略になると考え、ミウラよりも売れることを認識した。
フルスペースフレームシャーシは、2番目のLP400プロトティーポ#1120001でテストされ、後続の量産LP400では基本的に変更なしで量産された。」
(出典:ウィキペディア「ランボルギーニ・カウンタック」ランボルギーニ・カウンタック - Wikipedia)
(2022)
「量産カウンタックの応力を担当しないアウターパネル構造のボディは、スタンツァーニは当初、主に航空機の建設に使用される軽量合金Avionalで製造することを検討していたが、高価で入手が困難であることがわかり、従来のアルミニウム合金が使用された。
LP400プロトティーポでは、厚さ1〜1.2 mmのパネルを使用されたが、量産LP400では1.5 mmに増加された。ランボルギーニ工場ではボディパネルは協力工場(トリノのRivestauto等)によってプレス製造され、モデナのマルケージで製造されたパイプシャーシに溶接された薄い鉄骨フレームによって支えられ、パネルが設置されると、ランボルギーニ工場の作業員は、最終的なボディの形状、表面の滑らかさ、パネル間の段差等を手作業で成形した。
これらの作業はミウラ以前はベルトーネ等のカロッツェリアで行われていたがスタンツァーニの意向で内製化に変更された事は画期的で、ロジスティクス的には、この製造方法は、少量の手動で熟練した生産ラインに組み込むのが比較的簡単で、多額の設備投資を行う事なくボディーワーク全てをサンタアガタで完結する事ができた。
ランボルギーニは経営危機に瀕していたがLP400は内製化によりコストを抑え製造し続ける事ができ、LP400S以降の会社の復活に繋げる事に貢献した。LP400のボディは全てアルミニウム製だったが、LP5000 Quattrovalvole以降は、グラスファイバーとカーボンの複合材で作られたコンポーネントも組み込まれた。」
(2022)
日々是精進
日々是修養
といった心境です。
知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居て、凄い<クルマ>が在るものだ”と驚きます。
長い冬が終わりを告げ
春一番の使者のごとく
全国から参集したヒストリックカーの祭典
毎年、春と秋に開催する素敵なカーライフイベントの紹介となれば良いな、と思いつつ
楽しみながら記事を書き進めています。
ゼッケンナンバー
に従って、一台、一台、紹介をしています。
次回も、どうぞお楽しみに!
所長 楊田芳樹
前のシリーズ
20210220オール日産大商談会inコンベックス岡山1 2021-06-16 07:00:00
前のシリーズ
NISSAN_NEXT_in_CONVEX_OKAYAMA_20210109-11_1外観・全体 2021-01-20 07:00:00
前のシリーズ
2021春ベッキオバンビーノ参加車両01_No02MG_PA_RACER(1934) 2021-11-03 07:00:00
2022春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達
LAMBORGHINI_COUNTACH_LP500S_1984
LAMBORGHINI_COUNTACH_LP500S_1983
MG_MIDGET_1500_1979
PORSCHE_930_TURBO_1977
TOYOTA_KE72_VAN_MARSHAL_1983
TOYOTA SPRINTER TRUENO AE86 1985
TOYOTA_COROLLA_LEVIN_AE86_1985
MAZDA_COSMO_SPORT_1970
TOYOTA_SPORTS_800_1969
DATSUN_FAIRLADY_2000_SR311_LOW_WINDOW_1967
HONDA_S600_1964
VOLKSWAGEN_TYPEII_11W_STANDARD_MICRO_BUS_1958
シボレー・シルバラード
FORD_THUNDERBIRD_1955
FORD_MODEL_T_1927
MORGAN_4/4_2010
CATERHAM_SEVEN_1973
ALFA_ROMEO_2000GTV_1973
MG-B_GHN5_1976
MG-B_1973
MASERATI_MEXICO_1969
DAIMLER_2.5L_V8_1966
LOTUS_ELAN_SR.3_FHC_1965
PORSCHE_356C_1965
PORSCHE_356C_SC95_1964
ALFA_ROMEO_GIULIETTA_SS_1961
PORSCHE_356B_SUPER90_1963
PORSCHE_356B_SUPER90_1963
PORSCHE_356B_SUPER90_1962
JAGUAR_E-TYPE_SR2._4.2FHC_1969
JAGUAR_E-TYPE_SR.1_4.2_FHC_1966
JAGUAR_E-TYPE_ROADSTER_SR.1_1962
ALFA_ROMEO_GRAND_SPORT_ZAGATO_1967
2022春ベッキオバンビーノ春参加車輌23ALFA_ROMEO_GIULIA_SPRINT
ALFA_ROMEO_GIULIETTA_SPIDER_1961
ROCHDALE_GT_1957
PORSCHE_356A_CONVERTIBLE_D_1959
PORSCHE_356_SPEEDSTER_1956
TRIUMPH_SPITFIRE_4_MK1_1963
TRIUMPH_TR2_1954
AUSTIN_HEALEY_SPRITE_MKⅡ_1961
AUSTIN_HEALEY_SPRITE_MK-1_1960
MERCEDES_BENZ_190SL_1962
MG-A_1958
MG-A_1955
MG-A_1955
AUSTIN_HEALEY_1960
AUSTIN_HEALEY_100/6_1957
AUSTIN_HEALEY_3000_MK1_1959
AUSTIN_HEALEY_100/6_1957
AUSTIN_HEALEY_100_BN/1_1954
ARNORT_BRISTOL_1954
MG-TD_1951
MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET_A_1950
02ERMINI_GILCO_1100GP_1948
SIMCA8_SPORT_BARQUETTE1938
2021春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達
MG-A_1958
MG-A_1957
MG-A_1955
MG-TC_1949
MERCEDES_BENZ_190SL_1957
JAGUAR_XK120_OTS_1951
MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET 1950
ERMINI GILCO 1100GP 1948
SIMCA8 SPORT BARQUETTE 1938
MG PA RACER 1934
知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居て、凄い<クルマ>が在るものだ”と驚きます。
日々是精進
日々是修養
といった心境です。