大日本帝国海軍】3巡洋艦編0132日進 [I] | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
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を探求して行きます。

令和6(2024)年、辰年

 

辰といえば「龍」

 

「龍」驤にはじまり、飛「龍」、蒼「龍」、「龍」鳳など、帝国海軍の航空母艦には

 

「龍」の字が付されたフネが少なくありません。

 

飛行物体を取り扱う艦種でありながら、自身も千年万年の齢(よわい)を重ねて欲しい

 

という、艦政本部の思惑が見え隠れします。

 

ウィキペディアはじめ、様々な文献や記録に残っている、近代国家として歩み始めた「日の本(ひのもと)」が、地球上の人類社会でトップグループを維持するために必要とされた「投資」物件である、戦艦をはじめとする、海上艦艇の歴史を紐解くシリーズを始めさせて戴いています。

 

1945年8月14日をもって無力化された

 

とはいえ、21世紀に入っても、「イージスアショア」計画が頓挫(とんざ)し、再び、イージス艦計画の延長線上に組み込まれることになりそうな現代「日本国」にとっても、参考となる「歴史の勉強」である、と確信いたします。

 

「ミライ」

 

への投資が、<いま>を生きる<ひと>にとって、どのような意味があるのかについて、考える切欠ともなる

 

思索の旅

 

幕末戊辰戦争前後から脈々と受け継がれてきた、「日の本」の海軍戦力に欠かせない、水上艦船についての紹介シリーズであります。

 

紹介する順番としましては、戦艦(巡洋戦艦)を筆頭に、巡洋艦、空母、駆逐艦、等々となります。

 

今回から紹介する艦型は、登場当初、国家を代表する艦船ではありませんでしたが、

 

海上戦闘の歴史的変化と共に、最重要艦艇の一種として定着した

 

巡洋艦

 

です。

 

今回から紹介する艦種は「巡洋艦」と呼ばれるフネです。

 

用途は国や年代によって異なりますが、

 

総じて遠洋航行能力・高速性などを活かした攻撃力を持たせた軍艦の艦種のこと、と定義付られます。

 

 

(出典:ウィキペディア日進 (スループ) - Wikipedia
 

 

 

 
 

日進(にっしん)は、佐賀藩がオランダに発注し、明治初めに受領したスループ。 後に明治初期に旧日本海軍に移籍した。

日進は「絶え間ない進歩、発達」と言う意味で、『近思録』の2章「為学篇」の中にある「君子の学は必ず日に新たなり。日に新たなる者は日に進む」。

概要
慶応3年(1867年)、佐賀藩の佐野常民がバーク式帆走型の3本マストを持つ蒸気スクーナーとしてオランダのヒプス(Cornelis Gips & Zonen)社に発注、明治2年(1869年)3月1日に完成後、明治3年(1870年)3月に長崎に回航され、「日進丸」と命名されたが、6月に海軍籍となり「日進艦」と改名した。

日本海軍草創期の主力艦として活躍し、台湾出兵、西南戦争などに参加した。

艦歴
建造
1868年1月23日(慶応3年12月29日)オランダで起工、 1869年2月20日(明治2年1月10日)進水、 1869年4月12日(明治2年3月1日)竣工。 『佐賀藩海軍史』によると1869年4月12日が進水となっている。

明治3年
(注)明治5年までは旧暦の日付とする。

明治3年 3月3日(1870年4月3日)長崎に回航し、 4月13日(1870年5月13日)佐賀藩が受領、「日進丸」と命名した。 4月23日(1870年5月23日)佐賀藩から献納の申し出があり、 5月14日(1870年6月12日)兵部省が許可、 6月22日(1870年7月20日)受領、 「日進艦」となった。 『佐賀藩海軍史』によると献艦式を行ったという。 乗組員はそのままで、 船将の真木安左衛門(真木長義)が 同日艦長となった。 『海軍省報告書』では4月23日(1870年5月23日)に佐賀藩から献上されたとしている。

7月(1870年7月から8月)機械の修理を行った。 同月に普仏戦争が勃発し中立を守るため、7月28日(1870年8月24日)に日進は単独で函館派遣となった。 8月9日(1870年9月4日)品海を出港し、 函館に回航された[29]。 翌明治4年3月7日(1871年4月26日)に警備は解かれた。

明治4年
明治4年3月(1871年4月から5月)、函館往復の航海中に破損した排気ポンプのロッドを修理した。

明治4年5月(1871年6月から7月)日進、東、乾行、第二丁卯、龍驤、富士山、第一丁卯で小艦隊を編制する。 5月8日(1871年6月25日)、真木長義中佐が日進、甲鉄、乾行、第二丁卯(+鳳翔)の指揮官となった。

4月18日(1871年6月5日)、日進にロシア・ポシェット湾への派遣命令が出され、5月24日(1871年7月11日)品川を出港した。 日進は北海道に回航したがポシェット湾には行けず、7月22日(1871年9月6日)に室蘭港から品川に帰着した。

9月(1871年10月から11月)樺太へ回航となった。

9月28日(1871年11月10日)、日進は艦隊に編入された。 10月8日(1871年11月20日)、龍驤と日進の2隻に海外派遣の命令が出たが、行われなかった。 11月15日(1871年12月26日)、「四等艦」に類別変更。 11月28日(1872年1月8日)、艦隊から除外。

明治5年
利根川河口沖で錨鎖を切断、回収した後に、明治5年2月30日(1872年4月7日)品海に帰港した。 この時点でキールを損傷しており、 3月(1872年4月から5月)中は修理を行った(完成予定は4月10日(1872年5月16日))。

4月12日(1872年5月18日)、日進、東、鳳翔は龍驤の艦隊に編入された。

5月10日(1872年6月15日)、西海巡幸の警護艦を命ぜられ、龍驤(御召艦)と共に5月23日(1872年6月28日)に品川を出港した。 ※なお5月18日(1872年6月23日)時点で中艦隊は日進、孟春、龍驤、第一丁卯、第二丁卯、雲揚、春日、筑波、鳳翔の9隻で編制していた。

7月6日(1872年8月9日)、日進はロシア親王アレクセイ(英語版)を迎えるために長崎回航を命ぜられ、7月10日(1872年8月13日)兵庫港を出港、長崎へ向かった。 10月13日(1872年11月13日)、横浜港に帰港した。 10月22日(1872年11月22日)、ロシア親王帰国の壮行として函館回航を命じられる。そのため横浜から函館に回航することになり、10月28日(1872年11月28日)横浜港を出港する。 11月14日(1872年12月14日)、任務を終えて品海(または横浜港)に帰港。

1873年
1873年(明治6年) 2月12日、日進と東に横浜回航が令達された。 2月13日、各港に常備艦を配置することになり、東と日進は横浜港に配置されることになった。

3月28日から30日の間、修理のための横須賀回航が認められ、 横須賀で釘の打ち増し、網具の締め直し、外舷塗装などを行った。 4月21日、日進は修理が終わり、横浜に回航した。

6月2日、横浜港に停泊していた日進と雲揚に9日の招魂祭のために品海に回航するよう令達された。 2隻は5日横浜を出港、翌6日に品海に到着した。

福岡県で擾乱が発生したため、大蔵大丞の出張のために日進の福岡回航が6月28日に命令され、 同日夜、日進は品海から横浜に回航、 大蔵省の官員や巡査50名などを乗せて 29日朝出港、 福岡に向かった。 8月8日、日進は福岡から品川に帰着した[66]

イタリア王族トンマーゾ・ディ・サヴォイアが来日するため、8月22日に日進、龍驤に横浜回航が令達された。

9月23日、日進は樺太クシュンコタン回航が命じられ、 9月20日、日進に品海への回航が命令された。測量のために大尉等も乗り組み、9月27日午前7時頃(または26日)品海を出港、29日に函館港に到着した。 10月4日、燃料等の搭載を終え出港、樺太に向かった。 11月15日、日進は品川に帰着した(9月26日品川発)。

1874年
1874年(明治7年)2月石川島で機械とボイラーの修理を行っていたが、至急修理を完了する必要があるために2月18日に曳船で横須賀へ回航し、同地で修理が続けられた。 3月30日、横須賀で修理中の日進に対し修理完了次第、品海に回航するよう令達。

台湾出兵
4月6日、日進は台湾蕃地処分のために回航が命令され、9日品川を出港、清の諸港に回航した。 砲兵2隊が乗艦し、台湾蕃地事務都督西郷従道は博多まで乗艦し15日上陸、赤松則良少将らが長崎から乗艦した。 11月8日の時点で厦門に停泊、 12月18日(午前5時)に長崎に帰港、 1875年(明治8年)1月5日、品海に帰港した(明治7年4月9日品川発)。

1875年
1875年(明治8年) 6月5日、日進は修復艦に定められた。

千島・樺太交換条約
8月9日、千島・樺太交換条約調印で樺太回航(カムチャツカ半島派遣)が命令され、 8月16日開拓長官黒田清隆(伊集院兼寛少将兼少輔)を乗せて横浜を出港、9月11日ペトロパブロフスクに到着した。11月4日、横浜港へ帰港した。

10月28日に艦隊は編制を解かれ、同日、日本周辺を東部と西部に分け、東部指揮官は中牟田倉之助少将、西部指揮官は伊東祐麿少将が任命され、日進、春日、浅間、第二丁卯、孟春、千代田形、肇敏丸、快風丸は西部指揮官所轄となった。なお『海軍制度沿革』によると、11月9日、日進は艦隊を除かれた。

1876年
1875年12月15日、黒田総理大臣が玄武丸に乗組み朝鮮へ出張するため、日進、孟春、高雄丸が釜山までの護衛を命令された。 日進は1876年(明治9年)1月6日横浜港を出港、3月15日横浜港に帰港した。

6月10日(または7月10日)、日進は修復艦に定められた。

1877年
西南戦争
日進は1877年(明治10年)西南戦争に参加した。修復艦だった日進は2月19日、常備艦と定められ、同日、東、日進、浅間の3隻に神戸港回航が令達された。 2月26日(午前3時30分)横浜(または横須賀)を出港した。「恩給叙勲年加算調査」ではこの日から西南戦争での出勤となっている。 機械に故障があり横須賀で修理し、午後1時同地を出港した。だが故障が直っておらず、運転と停止を繰り返し帆走を試みたが逆風と潮のために西行できず、やむなく27日10時に下田港に入港、同地で修理を行った。 8月22日午前10時10分、日進は神戸に入港、24日午前2時30分出港、荒天のために紀伊大島に停泊、8月28日(午後4時35分)横須賀港に帰港した。「恩給叙勲年加算調査」ではこの日で西南戦争出勤の終了となっている。

修理
横須賀では艦底の朽ちた木板の交換や、外舷の修理などを行った。 11月10日試運転を施行、不具合の箇所があったが修理はほぼ完成した。

鹿児島回航
これに先立つ11月5日(または10月15日)、日進の鹿児島湾への回艦の達があり、修理の完成した日進は11月13日横須賀から品海に回航、15日再び横須賀に回航、17日午前10時横須賀を出港、鹿児島へ向かった。 20日午後2時神戸着、22日午前8時同地発、27日午後3時に鹿児島に到着した。

1878年
1878年(明治11年) 2月11日鹿児島を出港、油津を経由し2月14日長崎港に到着した。 3月2日長崎出港、3日鹿児島着、3月13日鹿児島出港、14日長崎着。 3月18日長崎を出港し、兵庫(3月21日から24日寄港)、浦賀(3月26日から4月2日)を経由し4月2日横浜港に帰港した。

4月29日に砲撃訓練のために羽田沖に出勤した。 5月21日品海に回航、6月13日出港し、東京湾と相模灘で帆走訓練を行い、6月16日横浜に帰港した。

6月21日、坐洲で損傷した龍驤の鹿児島から横須賀への回航のため、日進は鹿児島回航が命令された。 日進は6月26日横浜を出港、兵庫港、本山沖、門司を経由し、7月7日鹿児島に入港した。 7月24日午前5時25分(または午後6時)、龍驤を曳航して鹿児島を出港、7月28日午後11時5分金田湾に到着した。 翌7月29日横須賀経由で横浜に帰港した。

以後横浜に碇泊、11月26日横須賀に回航した。 12月16日横浜に回航した。 12月18日、19日の2日間は横浜を出勤し、横浜沖で艦隊訓練と射撃訓練を行った。

1879年
1879年(明治12年) 2月26日横浜から横須賀港に回航、翌27日に横浜に戻った。

清派遣
実地研究として清国各港への回航が日進に達せられた。 3月16日、横浜港を出港、兵庫、小豆島石場浦、門司を経由し、25日長崎港に入港した。 4月4日、長崎発、厦門を経由して29日香港着。 5月14日、香港を出港、同日はセコンドバー泊所に碇泊し翌15日発、同日中に広東川黄浦に到着し、以後零丁島、澳門を周り23日香港に回航した。 28日、香港発、30日厦門着。 6月2日厦門を出港したが風波が激しいため引き返し、6月5日改めて出港、6月6日福州 、九塘を経由して4日上海に入港、上海で1月ほど滞在し、7月21日出港、同日は東沙灯明船の側に碇泊し翌22日発、芝罘、大連湾、金州湾、遼河河口、牛荘、芝罘を経由し、29日長崎に帰国した。 9月6日長崎発、門司、兵庫、清水に寄港し9月15日横浜港に帰港した。

艦隊訓練
9月30日品川に回航、翌10月1日品川沖で艦隊訓練を行い同日横浜に戻った。 10月1日、清国から帰国した乗員に3週間の休暇が与えられることになった。

1880年
1880年(明治13年) 3月6日横浜を出港し、同日熱海着。 3月7日熱海発、翌8日清水に到着した。 3月30日清水を出港、同日は熱海に碇泊、4月1日同地発、同日横浜に帰港した。

4月5日横浜を出港し横須賀沖までドイツ皇帝の孫ハインリヒを見送り、品川に回航した。 4月6日品川発、比叡を本牧沖まで見送り、同日横浜に戻った。

4月19日横須賀港に回航した。 5月4日横須賀から横浜に回航した。

修理
7月28日横須賀港に回航。 10月5日から1881年(明治14年)8月9日まで横須賀造船所で修理を行った。

1881年
北海道行幸
1881年(明治14年) 7月7日北海道行幸時は扶桑が御召艦、金剛と日進は警備艦とされた。 8月6日横須賀港から横浜港に回航した。 8月10日横浜港を出港、途中山田港に寄港し、8月15日函館港に入港した。 8月22日青森港へ、29日函館へ、30日室蘭へ回航した。 9月5日室蘭発、青森に寄港し同日函館に入港した。 9月7日安渡へ回航、8日青森へ回航、10日函館に戻った。 9月17日函館発、20日横浜港に帰港した。

1882年
1882年(明治15年) 1月9日横浜から横須賀港に回航した。

艦隊訓練
6月4日横須賀発、艦隊運動訓練を行い、6月5日清水港に入港した。 6月26日清水港を出港、27日品川湾に帰着した。

壬午事変
壬午事変により1882年(明治15年)7月31日品海を出港し、朝鮮半島で警備に派遣された。 品海出港後は国内各地に寄港し、8月11日朝鮮済物浦に到着した。 翌12日ニランド島[どこ?]に回航、 21日済物浦に戻った。 8月31日同地発、9月2日釜山浦に到着した。 10月9日釜山浦発、11日元山津着。 10月28日元山津発、10月30日門司浦に一時帰国した。 11月19日門司浦を出港し再び朝鮮へ向かった。 11月20日所安島着、 11月23日同地発、翌24日水島着。 11月30日水島発、12月1日済物浦に到着した。

この間の10月12日「扶桑」「金剛」「比叡」「龍驤」「日進」「清輝」「天城」「磐城」「孟春」「第二丁卯」「筑波」の11隻で中艦隊が再度編成された。

翌1883年(明治16年) 1月14日に朝鮮済物浦発、16日釜山に到着した。 1月22日に釜山発、23日門司に帰国した。 3月5日門司を出港し、7日から9日まで兵庫港に碇泊、11日に品川に帰着した。 『恩給叙勲年加算調査』によると1月3日門司に帰港した。

1883年
1883年(明治16年)、巡洋艦に類別された。 6月23日から横須賀造船所で修理を行った。

甲申政変
1884年(明治17年)2月28日横浜を出港し、朝鮮半島で警備を行う。 甲申政変によりそのまま朝鮮に滞在、1885年(明治18年)2月28日長崎に帰港した。

その後
同1885年(明治18年)9月8日中艦隊から除かれ、 12月25日航海術練習艦に指定された。

1888年(明治21年)9月21日軍艦。

1890年(明治23年)8月23日第一種。

1891年(明治24年)6月8日佐世保港を出港し朝鮮へ航海、6月24日竹敷に帰港した。

除籍
1892年(明治25年)5月30日第五種に編入 (除籍)、 8月8日佐世保海兵団附属となった。 1893年(明治26年)4月29日廃船、 8月31日売却された。

艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

船将
真木安左衛門(真木長義):佐賀藩時
艦長
真木長義:明治3年6月22日 - 明治4年4月15日
真木長義 少佐:明治4年4月15日 - 明治4年5月8日
真木長義 大佐(艦隊指揮兼務): - 明治5年4月4日(1872年5月10日)
福島敬典 少佐/中佐:明治5年4月4日(1872年5月10日) - 1873年3月3日
澤野種鉄 少佐: 1873年3月3日 - 1875年11月10日
伊東祐亨 少佐:1875年11月10日 - 1876年11月29日
(艦務代理)野村貞 大尉(副長):1876年11月7日 -
伊東祐亨 中佐: - 1876年11月29日
伊東祐亨 中佐:1877年2月19日 - 1878年5月11日
笠間広盾 少佐:1878年5月11日 -
山崎景則 中佐:1881年7月7日 - 1881年12月27日
有地品之允 中佐:1881年12月27日 - 1882年7月7日
坪井航三 中佐:1882年7月7日 - 1883年8月16日
尾形惟善 少佐:1884年1月21日 - 1885年6月22日
新井有貫 少佐(のち大佐):1885年6月22日 - 1886年7月14日
(心得)窪田祐章 大尉:1886年4月12日 - 6月23日
窪田祐章 少佐:1886年6月23日 - 1890年1月10日
町田実隆 少佐:1890年1月10日 - 1890年9月24日
横尾道昱 少佐:1890年9月24日 - 1891年2月18日
小田亨 少佐:1891年2月18日 - 1891年7月23日
舟木錬太郎 少佐:1891年7月23日 - 1891年12月14日
藤田幸右衛門 少佐:1891年12月14日 - 1892年5月30日

 

 

このような感じで、次回も続けます。

 

 

番外編を含め、戦艦・空母の紹介だけで130回以上ものスペースを要しましたが

 

漸(ようや)く、「航空母艦編」を紹介し終えました。

 

次回より「山」や「川」の名を戴いた艦である

 

「巡洋艦編」の紹介を開始しています。


 

次回もお楽しみに。

 

エコノミライ研究所

所長 楊田芳樹

 

 

1    黎明期
1.1    軍艦
1.2    運輸船
1.3    その他
2    艦艇
2.1    軍艦
2.1.1    戦艦
2.1.1.1    一等戦艦
2.1.1.2    二等戦艦
2.1.1.3    等級廃止後
2.1.2    巡洋戦艦
2.1.3    航空母艦
☆今回☆2.1.4    巡洋艦
2.1.4.1    等級制定以前(スループ)
2.1.4.2    等級制定以前(コルベット)
2.1.4.3    等級制定以前(巡洋艦)
2.1.4.4    等級制定以前(戦利巡洋艦)
2.1.4.5    等級制定以前(装甲巡洋艦)
2.1.4.6    等級制定以前(防護巡洋艦)
2.1.4.7    一等巡洋艦(装甲巡洋艦)
2.1.4.8    一等巡洋艦(重巡洋艦)
2.1.4.9    二等巡洋艦(防護巡洋艦)
2.1.4.10    二等巡洋艦(軽巡洋艦)
2.1.4.11    三等巡洋艦(防護巡洋艦)
2.1.5    水上機母艦
2.1.6    水雷母艦
2.1.7    潜水母艦
2.1.8    水雷砲艦
2.1.9    通報艦
2.1.10    敷設艦
2.1.10.1    急設網艦
2.1.11    練習戦艦
2.1.12    練習巡洋艦
2.2    駆逐艦
2.2.1    等級制定以前
2.2.2    一等駆逐艦
2.2.3    二等駆逐艦
2.3    潜水艦
2.3.1    一等潜水艦
2.3.1.1    海大型潜水艦
2.3.1.2    巡潜型潜水艦
2.3.1.3    その他の一等潜水艦
2.3.2    二等潜水艦
2.3.3    三等潜水艦
2.3.4    第一次世界大戦戦利潜水艦
2.3.5    特殊潜航艇・特攻兵器
2.3.6    実験艦・計画艦
2.4    砲艦
2.4.1    河用砲艦
2.5    海防艦
2.5.1    旧定義艦
2.5.1.1    一等海防艦
2.5.1.2    二等海防艦
2.5.1.3    三等海防艦
2.5.1.4    等級廃止後
2.5.2    新定義艦
2.6    輸送艦
2.6.1    一等輸送艦
2.6.2    二等輸送艦
2.7    水雷艇
2.7.1    一等水雷艇
2.7.2    二等水雷艇
2.7.3    三等水雷艇
2.7.4    日清戦争戦利艇
2.7.5    昭和期の水雷艇
2.8    掃海艇
2.9    駆潜艇
2.10    敷設艇
2.10.1    二等敷設艇
2.10.2    三等敷設艇
2.11    哨戒艇
3    特務艦艇
3.1    特務艦
3.1.1    工作艦
3.1.2    運送艦
3.1.2.1    給油艦
3.1.2.2    給炭艦
3.1.2.3    給炭油艦
3.1.2.4    給兵艦
3.1.2.5    給糧艦
3.1.3    砕氷艦
3.1.4    測量艦
3.1.5    標的艦
3.1.6    練習特務艦
3.2    特務艇
3.2.1    掃海特務艇
3.2.2    駆潜特務艇
3.2.3    敷設特務艇
3.2.4    哨戒特務艇
3.2.5    海防艇
3.2.6    電纜敷設艇
3.2.7    潜水艦母艇
3.2.8    魚雷艇
3.2.8.1    試作魚雷艇
3.2.8.2    輸入魚雷艇
3.2.8.3    T-1型
3.2.8.4    甲型魚雷艇
3.2.8.5    乙型魚雷艇
3.2.8.6    隼艇
3.2.8.7    太平洋戦争戦利魚雷艇
4    特設艦艇
4.1    特設軍艦
4.1.1    特設航空母艦
4.1.2    特設水上機母艦
4.1.3    特設航空機運搬艦
4.1.4    特設巡洋艦
4.1.5    特設敷設艦
4.1.6    特設急設網艦
4.1.7    特設潜水母艦
4.1.8    特設水雷母艦
4.1.9    特設掃海母艦
4.1.10    特設砲艦
4.1.10.1    砲艦兼砕氷艦
4.1.10.2    砲艦大
4.1.10.3    砲艦小
4.1.10.4    砲艦兼敷設艦
4.2    特設特務艇
4.2.1    特設捕獲網艇
4.2.2    特設防潜網艇
4.2.3    特設敷設艇
4.2.4    特設駆潜艇
4.2.5    特設掃海艇
4.2.6    特設監視艇
4.2.7    特設工作艦
4.2.8    特設港務艦
4.2.9    特設測量艦
4.2.10    特設電纜敷設船
4.2.11    特設病院船
4.2.12    特設救難船
4.2.13    特設運送艦船
4.2.13.1    給兵船
4.2.13.2    給水船
4.2.13.3    給糧船
4.2.13.4    給炭船
4.2.13.5    給炭油船
4.2.13.6    給油船
4.2.13.7    雑用船
5    雑役船
5.1    工作船
5.2    海洋観測船
5.3    交通船
5.4    救難船兼曳船」

(出典:同上)

 

 

艦艇 (「〇」は紹介済み艦型)
軍艦
戦艦
等級廃止後
〇香取型

 0067香取 [I]

 0068鹿島 [I]

〇薩摩型

 0069薩摩

 0070安芸
〇河内型

 0071河内 [II]

 0072摂津 [II]
〇第一次世界大戦戦利艦
 0073トゥルグート・レイス(オスマン帝国海軍戦艦)(割り当てられるも取得せず)
 0074ナッサウ(ドイツ海軍戦艦)(→就役せず。売却・解体)
 0075オルデンブルク(ドイツ海軍戦艦)(→就役せず。売却・解体)

巡洋戦艦
※最終時の艦種類別には存在しない。
〇筑波型:

 0076筑波 [II]

 0077生駒 [I]
〇鞍馬型:

 0078鞍馬 [I]

 0079伊吹 [I]
〇金剛型(→全艦戦艦に類別変更)

 0080金剛 [II]

 0081比叡 [II]

 0082榛名

 0083霧島
〇天城型:

 0084天城 [II](→航空母艦→未成) 

 0085赤城 [II](→航空母艦) 

 愛宕 [II](未成) 

 高雄 [III](未成)
〇第8号型(13号型):第8号(13号艦) - 第9号(14号艦) - 第10号(15号艦) - 第11号(16号艦)(全艦計画のみ)

金剛型(←巡洋戦艦):金剛 [II] - 比叡 [II] - 榛名 - 霧島
 

〇扶桑型

 0086扶桑 [II]

 0087山城
〇伊勢型

 0088伊勢

 0089日向
〇長門型

 0090長門

 0091陸奥
〇加賀型

 0092加賀(→航空母艦)

 0093土佐(未成)
〇紀伊型

 紀伊(未起工)

 尾張(未起工)

 第13号(11号艦)(計画のみ)

 第14号(12号艦)(計画のみ)
〇金剛代艦型

 藤本案

 平賀案(計画のみ)
〇大和型

 0094大和 [II]

 0095武蔵 [III]

 0096 110号艦(→航空母艦信濃)

 0097 111号艦
〇改大和型:797号艦
〇超大和型:798号艦 - 799号艦

航空母艦
 0098若宮 [I](←二等海防艦←輸送船←英船レシントン)※類別上は最後まで水上機母艦とはされていない。
 0099鳳翔 [II]
 0100翔鶴 [II] - 第3艦(全艦計画のみ)
 0101赤城 [II](←巡洋戦艦) 

 0102天城 [II](←巡洋戦艦未成)
 0103加賀(←戦艦)
 0104龍驤 [II]
 0105G6(計画のみ)
 0106蒼龍 [II]
 0107飛龍 [II]
〇翔鶴型

 0108翔鶴 [III]

 0109瑞鶴
〇瑞鳳型(祥鳳型)(←潜水母艦)

 0110瑞鳳(←高崎 [II])

 0111祥鳳(←剣埼 [II])

 0112龍鳳(←潜水母艦 大鯨)

〇大鷹型(←特設航空母艦)

 0113大鷹(←春日丸)

 0114雲鷹(←八幡丸)

 0115冲鷹 [II](←新田丸)

〇千歳型(←水上機母艦)

 0116千歳 [II]

 0117千代田 [III]
〇隼鷹型(飛鷹型)(←特設航空母艦)

 0118飛鷹(←出雲丸)

 0119隼鷹(←橿原丸)

0120大鳳
0121海鷹(←あるぜんちな丸)
0122神鷹(←シャルンホルスト)

0123信濃(←戦艦)
0124伊吹 [II](←重巡洋艦、未成)
〇雲龍型

 0125雲龍

 0126天城 [III]

 5002号艦(建造中止)

 0127葛城 [II]

 0128笠置 [II](未成)

 5005号艦(建造中止)

 0129阿蘇 [II](未成)

 0130生駒 [II](未成)

 0131_5008号艦( 鞍馬 [II](未着工))

 5009号艦(未着工)

 5010号艦(未着工)

 5011号艦(未着工)

 5012号艦(未着工)

 5013号艦(未着工)

 5014号艦(未着工)

 5015号艦(未着工)
〇G14型:801号艦 - 802号艦(全艦計画のみ)
〇改大鳳型:5021号艦 - 5022号艦 - 5023号艦 - 5024号艦 - 5025号艦(全艦未着工)
〇G18(計画のみ)
 

巡洋艦
等級制定以前
 0132日進 [I]
筑波 [I](→三等海防艦)
金剛型:金剛 [I](→三等海防艦) - 比叡 [I](→三等海防艦)
天城 [I](→二等砲艦)
筑紫 [I](→一等砲艦)
海門(→三等海防艦)
天龍 [I](→三等海防艦)
高雄 [II](→三等海防艦)
葛城型:葛城 [I](→三等海防艦→二等海防艦) - 大和 [I](→三等海防艦→二等海防艦→測量船) - 武蔵 [II](→三等海防艦→二等海防艦→測量船)


日清戦争戦利艦
済遠(←清国海軍巡洋艦 済遠 / →三等海防艦)
広丙(←清国海軍巡洋艦 広丙)


等級制定以前(装甲巡洋艦)
浅間型:浅間 [II](→一等巡洋艦→一等海防艦→海防艦→練習特務艦) - 常磐(→一等巡洋艦→一等海防艦→敷設艦)
八雲(→一等巡洋艦→一等海防艦→海防艦→一等巡洋艦)
吾妻(→一等巡洋艦→一等海防艦→海防艦→練習特務艦)


等級制定以前(防護巡洋艦)
和泉 [II](→三等巡洋艦)
浪速型:浪速(→二等巡洋艦) - 高千穂(→二等巡洋艦→海防艦)
畝傍(回航中、行方不明に)
千代田 [II](→三等巡洋艦→海防艦)
松島型:松島(→二等巡洋艦) - 厳島 [I](→二等巡洋艦→二等海防艦→雑役船→潜水艦母艇→雑役船) - 橋立 [I](→二等巡洋艦→二等海防艦→雑役船)
須磨型:須磨 [I](→三等巡洋艦→二等巡洋艦→海防艦)
吉野型:吉野(→二等巡洋艦) - 高砂(→二等巡洋艦)
秋津洲 [I](→三等巡洋艦→海防艦)


一等巡洋艦(装甲巡洋艦)
浅間型:浅間 [II](→一等海防艦→海防艦→練習特務艦) - 常磐(→一等海防艦→敷設艦)
八雲(→一等海防艦→海防艦→一等巡洋艦)
吾妻(→一等海防艦→海防艦→練習特務艦)
出雲型:出雲(→一等海防艦→海防艦→一等巡洋艦) - 磐手(→一等海防艦→海防艦→一等巡洋艦)
春日型:春日 [II](→一等海防艦→海防艦→練習特務艦) - 日進 [II](→一等海防艦)


日露戦争戦利艦
阿蘇 [I](←ロシア海軍巡洋艦バヤーン / →敷設艦)


一等巡洋艦(重巡洋艦)
古鷹型:古鷹 - 加古 [II]
青葉型:青葉 - 衣笠
妙高型:妙高 - 那智 - 足柄 - 羽黒
高雄型:高雄 [IV] - 愛宕 [III] - 鳥海 [II] - 摩耶 [II]
改高雄型:- 4隻未成
最上型:最上 [II](←二等巡洋艦) - 三隈(←二等巡洋艦) - 鈴谷 [II](←二等巡洋艦) - 熊野(←二等巡洋艦)
利根型:利根 [IV] - 筑摩 [II]
改鈴谷型:伊吹 [II](→航空母艦) - 301号艦 (未成)
改利根型:- 2隻未成
超甲巡型 : 795号艦 - 796号艦(全艦計画のみ、マル6計画では追加の4隻を含め合計6隻の建造が見込まれていた)


二等巡洋艦(防護巡洋艦)
浪速型:浪速(←巡洋艦) - 高千穂(←巡洋艦 / →二等海防艦)
松島型:松島(←巡洋艦) - 厳島 [I](←巡洋艦 / →二等海防艦→雑役船→潜水艦母艇→雑役船) - 橋立 [I](←巡洋艦 / →二等海防艦→雑役船)
吉野型:吉野(←巡洋艦) - 高砂(←巡洋艦)
須磨型:須磨(←三等巡洋艦←巡洋艦 / →二等海防艦) - 明石 [I](←三等巡洋艦 / →二等海防艦)
笠置型:笠置 [I] - 千歳 [I](→二等海防艦)
新高型:新高(←三等巡洋艦 / →二等海防艦) - 対馬 [I](←三等巡洋艦 / →二等海防艦→海防艦)
音羽(→二等巡洋艦)


日露戦争戦利艦
津軽 [I](←ロシア海軍防護巡洋艦パルラーダ / →敷設艦)
宗谷 [I](←ロシア海軍防護巡洋艦ヴァリャーグ / →ロシアに返還)
利根 [III]
筑摩型:筑摩 [I] - 矢矧 [I] - 平戸 [I]


二等巡洋艦(軽巡洋艦)
天龍型:天龍 [II] - 龍田 [II]
球磨型:球磨 - 多摩 - 北上 - 大井 - 木曾
長良型:長良 - 五十鈴 - 名取 - 由良 - 鬼怒 - 阿武隈
川内型:川内 - 神通 - 那珂 - 加古 [I](建造中止)
夕張型:夕張
最上型:最上 [II](→一等巡洋艦) - 三隈(→一等巡洋艦) - 鈴谷 [II](→一等巡洋艦) - 熊野(→一等巡洋艦)


第一次世界大戦戦利艦
コルベルク級小型巡洋艦:アウクスブルク ※就役せず
阿賀野型:阿賀野 - 能代 - 矢矧 [II] - 酒匂
大淀型:大淀 - 仁淀(未起工)


日中戦争戦利艦
八十島型:八十島(←海防艦←中国巡洋艦 平海)
改阿賀野型:810号艦 - 811号艦 - 812号艦 - 813号艦 - 814号艦 - 5037号艦 - 5038号艦 (全艦未着工)
815号型:815号艦 - 816号艦 - 817号艦 - 818号艦 (全艦未着工)


三等巡洋艦(防護巡洋艦)
和泉 [II](←巡洋艦)
千代田 [II](←巡洋艦 / →二等海防艦)
秋津洲 [I](←巡洋艦 / →二等海防艦)
須磨型:須磨 [I](←巡洋艦 / →二等巡洋艦→二等海防艦) - 明石 [I](→二等巡洋艦→二等海防艦)
新高型:新高(→二等巡洋艦→二等海防艦) - 対馬 [I](→二等巡洋艦→二等海防艦→海防艦)
音羽(→二等巡洋艦)


水上機母艦
若宮 [I](←二等海防艦←輸送船←英船レシントン)※類別上は最後まで航空母艦のまま。
能登呂(←運送艦(給油艦))
神威(←運送艦(給油艦))
千歳型(→航空母艦):千歳 [II] - 千代田 [III]
瑞穂
日進 [III]
秋津洲型:秋津洲 [II] - 千早 [III](未成)


水雷母艦
※最終時の艦種類別には存在しない。潜水母艦を参照のこと。

潜水母艦
※竣工時水雷母艦である艦を含む。

豊橋(→二等海防艦→運送船)※水雷母艦であり、潜水母艦としては類別されていない


日露戦争戦利船
韓崎(←水雷母艦←二等海防艦←水雷母艦←運送船「韓崎丸」←ロシア船エカテリノスラフ)
駒橋(←水雷母艦←二等海防艦←雑役船「駒橋丸」)
迅鯨型:迅鯨 [II](←水雷母艦)- 長鯨 [II](←水雷母艦)
大鯨(→龍鳳(航空母艦))
剣埼型:剣埼 [II](→祥鳳(航空母艦)) - 高崎 [II](→瑞鳳(航空母艦))
J-27(計画のみ、全艦未成):仮称第5034号艦 - 仮称第5035号艦 - 仮称第5036号艦
水雷砲艦
※最終時の艦種類別には存在しない。通報艦を参照のこと。

通報艦
※最終時の艦種類別には存在しない。通報艦の前型である水雷砲艦を含む

八重山 [I]
千島(水雷砲艦)
龍田 [I](→一等砲艦→雑役船(潜水艇母船)「長浦丸」→潜水艦母艇「長浦」)
宮古
千早 [II](→一等砲艦→雑役船)
淀型:淀(→一等砲艦→砲艦) - 最上 [I](→一等砲艦)


日露戦争戦利艦
姉川(←ロシア海軍病院船アンガラ / →ロシアへ返還)
満州(←ロシア商船マンチュリア / →二等海防艦→海防艦)
鈴谷 [I](←ロシア海軍二等巡洋艦ノヴィーク / →二等海防艦)


敷設艦
勝力(→特務艦(測量艦))
常磐(←一等海防艦←一等巡洋艦)
厳島 [II]
八重山 [II]
沖島 [II]
津軽 [II]
箕面


急設網艦
白鷹 [II]
初鷹型:初鷹 - 蒼鷹 [II]
改初鷹型:若鷹


練習戦艦
比叡 [II]


練習巡洋艦
香取型:香取 [II] - 鹿島 [II] - 香椎 - 橿原(未成)


などなど