大日本帝国海軍】2航空母艦編0126天城 (あまぎ)[III] | エコノミライ研究所のブログ

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を探求して行きます。

令和6(2024)年、辰年

 

辰といえば「龍」

 

「龍」驤にはじまり、飛「龍」、蒼「龍」、「龍」鳳など、帝国海軍の航空母艦には

 

「龍」の字が付されたフネが少なくありません。

 

飛行物体を取り扱う艦種でありながら、自身も千年万年の齢(よわい)を重ねて欲しい

 

という、艦政本部の思惑が見え隠れします。

 

そのような艦種にクローズアップしている最中に年越しを迎えたのも、何かの「縁(えん)」かもしれません。

 

ウィキペディアはじめ、様々な文献や記録に残っている、近代国家として歩み始めた「日の本(ひのもと)」が、地球上の人類社会でトップグループを維持するために必要とされた「投資」物件である、戦艦をはじめとする、海上艦艇の歴史を紐解くシリーズを始めさせて戴いています。

 

1945年8月14日をもって無力化された

 

とはいえ、21世紀に入っても、「イージスアショア」計画が頓挫(とんざ)し、再び、イージス艦計画の延長線上に組み込まれることになりそうな現代「日本国」にとっても、参考となる「歴史の勉強」である、と確信いたします。

 

「ミライ」

 

への投資が、<いま>を生きる<ひと>にとって、どのような意味があるのかについて、考える切欠ともなる

 

思索の旅

 

幕末戊辰戦争前後から脈々と受け継がれてきた、「日の本」の海軍戦力に欠かせない、水上艦船についての紹介シリーズであります。

 

紹介する順番としましては、戦艦(巡洋戦艦)を筆頭に、巡洋艦、空母、駆逐艦、等々となります。

 

今回から紹介する艦型は、登場当初、国家を代表する艦船ではありませんでしたが、

 

海上戦闘の歴史的変化と共に、最重要艦艇の一種として定着した

 

航空母艦

 

です。

 

今回は、ミッドウェー海戦にて弱体化した空母兵力補充のため

 

帝国海軍が飛龍の図面をベースとして急造するべく大量建造が予定されていた

 

雲龍型航空母艦

 

の2番艦である天城 (あまぎ)[III]

 

について紹介致します。

 

 

 
(出典:ウィキペディア天城 (雲龍型空母) - Wikipedia
 

 

 

 

特徴
軍艦天城は雲龍型航空母艦の2番艦。天城の艦名は、静岡県伊豆半島の中央にある天城山に因んで名付けられた。 その名を持つ艦としては、明治時代の天城(スループ)、未完成の天城型巡洋戦艦1番艦天城に続き、本艦は3隻目。他の候補艦名として那須があった。

本艦の機関は改鈴谷型重巡洋艦の流用品だった。搭載航空機や燃料がなく、出撃機会のないまま、呉軍港で待機し、輸送任務・復員輸送任務共に一度も投入されなかった。1945年(昭和20年)3月19日の呉軍港空襲で損傷、7月24日と7月28日の空襲では爆弾複数発と至近弾複数発を受けて大破、浸水を止められず三ツ子島海岸で転覆している。終戦後、浮揚されて解体処分。

歴史
太平洋戦争
太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)、開戦決定により実行を発動した通称マル急計画により、早急な完成が望まれたために飛龍型空母の図面を流用し、部分的な改正を加えられた仮称艦名第302号艦(後の雲龍)が計画され、ミッドウェー海戦後に決定した改⑤計画により更にその同型艦15隻が計画、天城は第5001号艦として1942年(昭和17年)10月1日、三菱重工業長崎造船所にて起工。完成予定は1944年12月の予定で、他艦も含め1943年中期頃までは工事は比較的順調に進行したが、以後は損傷艦の修理や材料の逼迫、労働者の不足などの困難があった。1943年(昭和18年)9月25日に天城と命名される。同年10月15日、昭和天皇の名代として久邇宮朝融王臨席のもと、進水。翌1944年(昭和19年)8月10日に竣工した。

竣工と同日に横須賀鎮守府籍。同型艦の雲龍の所属する第三艦隊・第一航空戦隊に編入され、同部隊の旗艦となった。第一航空戦隊は搭載部隊である第601海軍航空隊の再建を待つこととなったが、第601航空隊は台湾沖航空戦と捷号作戦のために順次抽出されて搭載部隊としては運用されなかった。また既に日本海軍は深刻な燃料や航空機不足となっていたために補充の航空部隊は用意されず、したがって雲龍・天城・葛城には出撃の機会がなかった。同年11月15日、第一航空戦隊は連合艦隊附属となった。当時の雲龍航海士(森野廣少尉)によれば、天城に特攻兵器桜花を搭載してフィリピンへ輸送する予定だったが、天城艦長宮嵜俊男大佐の意見具申により、急遽雲龍が桜花を輸送することになったと回想している。12月19日、雲龍は東シナ海で米潜水艦レッドフィッシュに撃沈された。

1945年(昭和20年)1月1日、第一航空戦隊は第二艦隊に編入。同年2月には第一航空戦隊司令部が廃止され、天城は第二艦隊司令長官伊藤整一中将(旗艦大和)直率となった。同年3月19日のアメリカ第58任務部隊による呉軍港空襲では、爆弾1発が命中し小破。4月20日、呉鎮守府部隊に編入。横須賀鎮守府予備艦だった天城は第4予備艦に指定され、以後は呉港外の三ツ子島沿岸にて停泊係留され、飛行甲板上に樹木を並べて島に偽装し、対空浮き砲台として使用された。

同年7月24日、天城はアメリカ第38任務部隊による呉軍港空襲において飛行甲板に爆弾2発が命中、甲板を損壊し更に左舷機関室艦底部に浸水が発生した。この時既に天城は予備艦として運用されていたために必要最小限の人員しか配置されておらず、人員不足で損傷箇所の応急対応がままならなかった。7月28日の第3次空襲により再度爆撃を受け、直撃弾1発、至近弾5発の被害を受けた。やはり人員不足で損害対応が行えず、これにより浸水が増大。翌7月29日朝、左舷側方向に大傾斜し横転した。水深が浅い海域であったために全没はしておらず、船体の殆どは水上に露出した状態ではあったが、復旧は不可能と判断され沈没と判定された。

11月20日除籍。

戦後
1946年(昭和21年)12月5日、播磨造船所呉船渠(旧呉海軍工廠)により天城の解体が始まった。まず左に61度傾いた船体の引き起こしを始めたが、陸岸に近いため35度まで引き起こすのが限度だった。次に排水を始めたがエレベーター孔など浸水口が多数あり、飛行甲板も非防水だったので、水中発破で上甲板以上の構造物600トンを撤去、更に100トン浮力タンク12個を設置した。1時間7,000トンの能力のポンプを計4回使用、特に4回目は12日連続で使用の上1947年(昭和22年)7月31日、浮揚に成功した。浮揚した船体はドックで解体され同年12月11日に完了した。

浮揚された天城の船体の一部は、当時の運輸省鉄道総局に譲渡されている。鉄道総局の運行していた青函連絡船は戦後直後、粗製乱造の戦時標準船と戦中の酷使で疲弊した船舶で占められており、これらの船は故障が続発していた。そのため天城の船体を函館港に船舶修理用のポンツーンとして係留。鉄道総局の工機部がそこで連絡船の修理を行うこととした。

1947年(昭和22年)8月には解体中の天城の一部を流用して全長120m・全幅14mの浮き桟橋(写真日本の軍艦第3巻によると二重底をほとんどそのまま使用し長さ119.92m、幅14.2m)が完成し、東興丸に曳航されて函館港に到着。青函連絡船の有川貨物桟橋の沖合に係留され、修理プラットフォームとして使用されている。だがその頃、函館船渠が機能を回復しドライドックや専門の設備を持つ函館船渠が青函連絡船の修理を受け持つようになったため、本格的な修理能力を持たない浮き桟橋は徐々に使用されなくなり、1948年(昭和23年)8月には廃止され使用された期間は約1年と僅かであった。

民間に売却し、海上倉庫や防波堤、重油タンクなどに転用する案も出たものの、改装費用や係留先の関係上全て断念となった。結局、スクラップとして売却され解体された。

年表
1942年(昭和17年)
10月1日 - 三菱重工業長崎造船所にて起工
1943年(昭和18年)
9月25日 - 天城と命名
10月15日 - 進水
1944年(昭和19年)
8月10日 - 竣工
同日 第3艦隊第1航空戦隊編入
1945年(昭和20年)
2月10日 - 第1航空戦隊司令部廃止、第2艦隊司令長官直率となる
3月19日 - 呉で爆弾1発が命中、小破(呉軍港空襲)
4月20日 - 呉鎮守府部隊編入、第4予備艦に指定。後に呉港外の三ツ子島に碇泊し、浮き砲台となる。
7月24日,7月28日 - 米軍機の空襲を受け損傷(呉軍港空襲)
7月29日 - 横転着底
11月20日 - 除籍
1946年(昭和21年)
12月5日 - 解体開始
1947年(昭和22年)
7月31日 - 浮揚
12月11日- 解体完了


艦長
艤装員長
山森亀之助 大佐:1944年6月27日 -
艦長
山森亀之助 大佐:1944年8月10日 -
宮嵜俊男 大佐:1944年10月23日 -
平塚四郎 大佐:1945年4月20日 - 1945年8月15日

 

<基本情報>

建造所    三菱重工業長崎造船所
運用者     大日本帝国海軍
艦種    航空母艦
級名    雲龍型
建造費    予算 93,442,000円
母港    横須賀
艦歴
計画    昭和18年度(改⑤計画)
起工    1942年10月1日
進水    1943年10月15日
竣工    1944年8月10日
最期    1945年7月28日被爆、その後横転
除籍    1945年11月20日
その後    解体
要目(特記無きは計画)
基準排水量    1943年9月計画 17,460英トン
公試排水量    1943年9月計画 20,400トン
または 20,450トン
全長    227.35m
水線長    223.0m
垂線間長    206.52m
水線幅    22.00m
深さ    20.5m(飛行甲板上面まで)
飛行甲板    216.90m x 27.00m
エレベーター2基
吃水    1943年9月計画 7.82m
ボイラー    ロ号艦本式専焼缶(空気余熱器付)8基
主機    艦本式タービン(高中低圧)4基
推進    4軸[11] x 340rpm、直径3.800m
出力    152,000shp
速力    34.0ノット
燃料    重油 3,750トン
航続距離    1943年9月時 8,000カイリ / 18ノット
乗員    竣工時定員 1571名
搭載能力    計画
九一式魚雷36本
爆弾 800kg72個、250kg288個、60kg456個
飛行機用軽質油 360トン
兵装    竣工時
40口径12.7cm連装高角砲6基
25mm3連装機銃21基
25mm単装機銃23挺または24挺(橇式)、または30挺
28連装噴進砲(竣工後装備)6基
爆雷6個(計画)
装甲    計画
弾薬庫舷側:140-50mmNVNC鋼
同甲板:56mmCNC1鋼
機関室(軽質油タンク)舷側:46mmCNC1鋼
同甲板:25mmCNC2鋼
搭載艇    計画 12m内火艇3隻、12m内火ランチ2隻、8m内火ランチ1隻、9mカッター2隻、6m通船1隻、13m特型運貨船2隻
搭載機    計画(常用+補用)
十七試艦戦:18+2機
十七試艦偵:3+0機
十六試艦攻:24+0機
合計:45+2機
レーダー    竣工時:21号電探2基、13号電探1基
最終時:21号電探1基、13号電探2基、22号電探1基
ソナー    仮称九一式四号探信儀1組
その他    カタパルト(後日装備、計画)

 

このような感じで、次回も続けます。

 

 

番外編を含め、戦艦の紹介だけで100回以上ものスペースを要しましたが

 

漸(ようや)く、「航空母艦編」を紹介しています。


 

次回もお楽しみに。

 

エコノミライ研究所

所長 楊田芳樹

 

 

1    黎明期
1.1    軍艦
1.2    運輸船
1.3    その他
2    艦艇
2.1    軍艦
2.1.1    戦艦
2.1.1.1    一等戦艦
2.1.1.2    二等戦艦
2.1.1.3    等級廃止後
2.1.2    巡洋戦艦
☆今回☆2.1.3    航空母艦
2.1.4    巡洋艦
2.1.4.1    等級制定以前(スループ)
2.1.4.2    等級制定以前(コルベット)
2.1.4.3    等級制定以前(巡洋艦)
2.1.4.4    等級制定以前(戦利巡洋艦)
2.1.4.5    等級制定以前(装甲巡洋艦)
2.1.4.6    等級制定以前(防護巡洋艦)
2.1.4.7    一等巡洋艦(装甲巡洋艦)
2.1.4.8    一等巡洋艦(重巡洋艦)
2.1.4.9    二等巡洋艦(防護巡洋艦)
2.1.4.10    二等巡洋艦(軽巡洋艦)
2.1.4.11    三等巡洋艦(防護巡洋艦)
2.1.5    水上機母艦
2.1.6    水雷母艦
2.1.7    潜水母艦
2.1.8    水雷砲艦
2.1.9    通報艦
2.1.10    敷設艦
2.1.10.1    急設網艦
2.1.11    練習戦艦
2.1.12    練習巡洋艦
2.2    駆逐艦
2.2.1    等級制定以前
2.2.2    一等駆逐艦
2.2.3    二等駆逐艦
2.3    潜水艦
2.3.1    一等潜水艦
2.3.1.1    海大型潜水艦
2.3.1.2    巡潜型潜水艦
2.3.1.3    その他の一等潜水艦
2.3.2    二等潜水艦
2.3.3    三等潜水艦
2.3.4    第一次世界大戦戦利潜水艦
2.3.5    特殊潜航艇・特攻兵器
2.3.6    実験艦・計画艦
2.4    砲艦
2.4.1    河用砲艦
2.5    海防艦
2.5.1    旧定義艦
2.5.1.1    一等海防艦
2.5.1.2    二等海防艦
2.5.1.3    三等海防艦
2.5.1.4    等級廃止後
2.5.2    新定義艦
2.6    輸送艦
2.6.1    一等輸送艦
2.6.2    二等輸送艦
2.7    水雷艇
2.7.1    一等水雷艇
2.7.2    二等水雷艇
2.7.3    三等水雷艇
2.7.4    日清戦争戦利艇
2.7.5    昭和期の水雷艇
2.8    掃海艇
2.9    駆潜艇
2.10    敷設艇
2.10.1    二等敷設艇
2.10.2    三等敷設艇
2.11    哨戒艇
3    特務艦艇
3.1    特務艦
3.1.1    工作艦
3.1.2    運送艦
3.1.2.1    給油艦
3.1.2.2    給炭艦
3.1.2.3    給炭油艦
3.1.2.4    給兵艦
3.1.2.5    給糧艦
3.1.3    砕氷艦
3.1.4    測量艦
3.1.5    標的艦
3.1.6    練習特務艦
3.2    特務艇
3.2.1    掃海特務艇
3.2.2    駆潜特務艇
3.2.3    敷設特務艇
3.2.4    哨戒特務艇
3.2.5    海防艇
3.2.6    電纜敷設艇
3.2.7    潜水艦母艇
3.2.8    魚雷艇
3.2.8.1    試作魚雷艇
3.2.8.2    輸入魚雷艇
3.2.8.3    T-1型
3.2.8.4    甲型魚雷艇
3.2.8.5    乙型魚雷艇
3.2.8.6    隼艇
3.2.8.7    太平洋戦争戦利魚雷艇
4    特設艦艇
4.1    特設軍艦
4.1.1    特設航空母艦
4.1.2    特設水上機母艦
4.1.3    特設航空機運搬艦
4.1.4    特設巡洋艦
4.1.5    特設敷設艦
4.1.6    特設急設網艦
4.1.7    特設潜水母艦
4.1.8    特設水雷母艦
4.1.9    特設掃海母艦
4.1.10    特設砲艦
4.1.10.1    砲艦兼砕氷艦
4.1.10.2    砲艦大
4.1.10.3    砲艦小
4.1.10.4    砲艦兼敷設艦
4.2    特設特務艇
4.2.1    特設捕獲網艇
4.2.2    特設防潜網艇
4.2.3    特設敷設艇
4.2.4    特設駆潜艇
4.2.5    特設掃海艇
4.2.6    特設監視艇
4.2.7    特設工作艦
4.2.8    特設港務艦
4.2.9    特設測量艦
4.2.10    特設電纜敷設船
4.2.11    特設病院船
4.2.12    特設救難船
4.2.13    特設運送艦船
4.2.13.1    給兵船
4.2.13.2    給水船
4.2.13.3    給糧船
4.2.13.4    給炭船
4.2.13.5    給炭油船
4.2.13.6    給油船
4.2.13.7    雑用船
5    雑役船
5.1    工作船
5.2    海洋観測船
5.3    交通船
5.4    救難船兼曳船」

(出典:同上)

 

 

艦艇 (「〇」は紹介済み艦型)
軍艦
戦艦
一等戦艦
〇富士型:

 0053富士 [II](→戦艦→一等海防艦→運送艦→練習特務艦)

 0054 八島
〇敷島型:

 0055敷島(→戦艦→一等海防艦→練習特務艦) 

 0056朝日(→戦艦→一等海防艦→練習特務艦→工作艦) 

 0057初瀬

 0058三笠(→戦艦→一等海防艦→記念艦)
〇日露戦争戦利艦
 0059丹後(←ロシア海軍戦艦ポルタワ / →戦艦→一等海防艦→ロシアへ返還)
 0060相模(←ロシア海軍戦艦ペレスヴェート / →戦艦→一等海防艦→ロシアへ返還) 〇相模型

 0061周防(←ロシア海軍戦艦ポベーダ / →戦艦→一等海防艦→雑役船)〇相模型
 0062肥前(←ロシア海軍戦艦レトヴィザン / →戦艦→一等海防艦)
 0063石見(←ロシア海軍戦艦オリョール / →戦艦→一等海防艦→雑役船)
〇二等戦艦
 0064扶桑 [I](→一等海防艦)
 0065鎮遠(←清国海軍戦艦 鎮遠 / →一等海防艦)〇日清戦争戦利艦
〇日露戦争戦利艦
 0066壱岐 [I](←ロシア海軍戦艦インペラートル・ニコライ1世 / →一等海防艦)

等級廃止後
〇香取型

 0067香取 [I]

 0068鹿島 [I]

〇薩摩型

 0069薩摩

 0070安芸
〇河内型

 0071河内 [II]

 0072摂津 [II]

〇第一次世界大戦戦利艦
 0073トゥルグート・レイス(オスマン帝国海軍戦艦)(割り当てられるも取得せず)
 0074ナッサウ(ドイツ海軍戦艦)(→就役せず。売却・解体)
 0075オルデンブルク(ドイツ海軍戦艦)(→就役せず。売却・解体)

 

巡洋戦艦
※最終時の艦種類別には存在しない。

〇筑波型:

 0076筑波 [II]

 0077生駒 [I]
〇鞍馬型:

 0078鞍馬 [I]

 0079伊吹 [I]
〇金剛型(→全艦戦艦に類別変更)

 0080金剛 [II]

 0081比叡 [II]

 0082榛名

 0083霧島
〇天城型:

 0084天城 [II](→航空母艦→未成) 

 0085赤城 [II](→航空母艦) 

 愛宕 [II](未成) 

 高雄 [III](未成)
〇第8号型(13号型):第8号(13号艦) - 第9号(14号艦) - 第10号(15号艦) - 第11号(16号艦)(全艦計画のみ)

金剛型(←巡洋戦艦):金剛 [II] - 比叡 [II] - 榛名 - 霧島
 

〇扶桑型

 0086扶桑 [II]

 0087山城
〇伊勢型

 0088伊勢

 0089日向
〇長門型

 0090長門

 0091陸奥
〇加賀型

 0092加賀(→航空母艦)

 0093土佐(未成)
〇紀伊型

 紀伊(未起工)

 尾張(未起工)

 第13号(11号艦)(計画のみ)

 第14号(12号艦)(計画のみ)
〇金剛代艦型

 藤本案

 平賀案(計画のみ)
〇大和型

 0094大和 [II]

 0095武蔵 [III]

 0096 110号艦(→航空母艦信濃)

 0097 111号艦
〇改大和型:797号艦
〇超大和型:798号艦 - 799号艦

航空母艦
 0098若宮 [I](←二等海防艦←輸送船←英船レシントン)※類別上は最後まで水上機母艦とはされていない。
 0099鳳翔 [II]
 0100翔鶴 [II] - 第3艦(全艦計画のみ)
 0101赤城 [II](←巡洋戦艦) 

 0102天城 [II](←巡洋戦艦未成)
 0103加賀(←戦艦)
 0104龍驤 [II]
 0105G6(計画のみ)
 0106蒼龍 [II]
 0107飛龍 [II]
〇翔鶴型

 0108翔鶴 [III]

 0109瑞鶴
〇瑞鳳型(祥鳳型)(←潜水母艦)

 0110瑞鳳(←高崎 [II])

 0111祥鳳(←剣埼 [II])

 0112龍鳳(←潜水母艦 大鯨)

〇大鷹型(←特設航空母艦)

 0113大鷹(←春日丸)

 0114雲鷹(←八幡丸)

 0115冲鷹 [II](←新田丸)

〇千歳型(←水上機母艦)

 0116千歳 [II]

 0117千代田 [III]
〇隼鷹型(飛鷹型)(←特設航空母艦)

 0118飛鷹(←出雲丸)

 0119隼鷹(←橿原丸)

0120大鳳
0121海鷹(←あるぜんちな丸)
0122神鷹(←シャルンホルスト)

0123信濃(←戦艦)
0124伊吹 [II](←重巡洋艦、未成)
〇雲龍型

 0125雲龍

 0126天城 [III]

 5002号艦(建造中止)

 0127葛城 [II]

 0128笠置 [II](未成)

 5005号艦(建造中止)

 0129阿蘇 [II](未成)

 0130生駒 [II](未成)

 5008号艦( 鞍馬 [II](未着工))

 5009号艦(未着工)

 5010号艦(未着工)

 5011号艦(未着工)

 5012号艦(未着工)

 5013号艦(未着工)

 5014号艦(未着工)

 5015号艦(未着工)
G14型:801号艦 - 802号艦(全艦計画のみ)
改大鳳型:5021号艦 - 5022号艦 - 5023号艦 - 5024号艦 - 5025号艦(全艦未着工)
G18(計画のみ)

などなど