【推敲】Gミーヴ倉敷東京往復ドライブ2019春4日産の聖地へ2首都高羽田線から神奈川線へ | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
ありとあらゆる「ミライ」について考える団体ですが、主に
「E」lectric「V」iecle(電気自動車)を通じて
1、生活の未来
2、文化の未来
3、社会の未来
を探求して行きます。

いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠にありがとうございます。

 

いつものこのシリーズの連載が、2022年最後を飾る記事となりました。

 

COVID-19による影響が世界を混乱の渦に巻き込んで早3年。

 

なかなか、収束しそうにありませんが、無事息災であることの幸せを噛み締めています。

 

ウサギ年である令和5(2023)年も、どうぞ、よろしくお願い致します。

 


 電気自動車EVは、時速80km以上の高速走行の場合は、エネルギー効率が悪くなりますので、第2世代量産型EVである三菱i-MiEVや日産ZE-0リーフ、e-NV200の場合には、70kmから80kmごとに急速充電を継ぎ足して行かなければ、走り切ることができません。
 エコノミライ研究所は、このことを、経験をもって実証してきました。
 所長楊田は三菱i-MiEV「Gミーヴ」号を所有していますが、TECTOMさんの「燃費マネージャー」(実勢価格3万円前後)を搭載し、電池残量や消費電力、累積電費など、各種情報を記録し、適切な情報処理を施せば電気自動車という「次世代自動車」の実用性能をより詳しく分析することができ、快適なEVドライブに活かすことができます。
 楊田の片道300km超のEVロングドライブの実績と致しましては
(報告済)2017年7月横浜→関→倉敷(700km)
(報告済)2017年8月倉敷→鹿児島→屋久島(900km)
(報告済)2017年10月倉敷→東京・横浜→倉敷(1400km)
(報告済)2018年8月倉敷→小牧→白馬→小牧→倉敷(1400km)
(報告済)2018年10月倉敷→東京(700km)
★今回★2019年4月倉敷→東京・横浜→倉敷(1400km)
(報告済)2019年9月倉敷→米原→白馬→敦賀→倉敷(1400km)
2019年9月鹿児島→倉敷(700km)

2021年3月倉敷→鹿児島(700km)

2022年3月倉敷→鹿児島→倉敷(1400km)

2022年7月倉敷→小牧→白馬→小牧→倉敷(1400km)
となっておりますが、2020年の秋も深まりつつある現在もなお、昨年実施したドライブ報告ができておりません。

 ただ、新型コロナ禍の影響で、新規のロングドライブにチャレンジすることが不可能な現在、レビューできていなかった過去のドライブについて取り上げることができるのは、不幸中の幸いかもしれません。

いずれにしましても
2017年夏から連載開始したエコノミライ研究所のブログは、このようなEVドライブのレポートをするために開設されたようなものですので、
「三菱i-MiEV「Gミーヴ」号で東京往復_往路編」
と題して、旅行記を再編集して、お送りしています。

 これまで同様、「ゆっくり・じっくり」とお付き合い下されば幸いです。


<三菱i-MiEV「Gミーヴ」号で東京往復_滞在地ドライブ編>

 


第4章 滞在先ドライブの様子その4日産の聖地へ


 第3節 三菱自動車本社ショールームからのドライブ3_首都高速道路1号羽田線から見える風景2

東京モノレールの天王洲アイル駅が、間近に迫りました。

 



モノレール列車とすれ違ったりもしました。

 



首都高速でも、最も歴史が深い路線の一つでもある1号羽田線

モノレール路線と平行したり
様々な形をした建物を目にしながら
神奈川方面へと向けて南下して行きます。

 



動画でこの辺りの部分のみ、切り取るのも面白いかもしれません。

天王洲アイル駅から暫くの間、
この色のモノレール列車とは追いつ・抜かれつな状態となりました。



首都高速道路1号羽田線の制限速度は、時速60kmです。
そして、東京モノレールの運行速度は、時速80kmです。

 



ですので、駅を出た直後では後ろの方に居た列車が
徐々に我がGミーヴを追い越して行きます。

 



そうこう(走行)云うておりますうち、
向かって左側には海が見え
向かって右側には、建設中の高架道路が現れました。

意識して調べたのは、今回が初めてです。

 



どうやら
首都高速道路1号羽田線は「更新工事」を実施中のようです。
(知らなければ、何時までも、知らない「情報」でした。)

「羽田線 更新工事」とか「首都高 付け替え」とかで調べて戴きますと、色々な情報を目にすることができます。

 



向かて左手に見える「海」は
京浜運河
であります。

「京浜運河(けいひんうんが)とは、東京都港区田町付近より品川区、大田区、川崎市を経て横浜市鶴見区大黒埠頭まで続く運河の総称。

概要
大田区羽田空港、多摩川河口を挟んで北側(東京都側)と南側(神奈川県側)に分かれている。北側はレインボーブリッジ付近から天王洲アイル、大井競馬場、昭和島付近を通り羽田空港へ続く。南側は川崎港から大師運河、塩浜運河、池上運河、田辺運河との合流地点を通り、鶴見川河口の京浜港付近まで。途中、運河のすぐ脇に海芝浦駅がある。南側運河の方が北側運河より幅広である。南側運河の東側は、すべて人工島である。

歴史
関東大震災後東京-横浜間の海上輸送の重要性が高まり、内務省の臨時港湾調査会が1927年(昭和2年)10月に開削計画を決定。埋立地造成と共に運河を開削することとなった。計画では多摩川河口沖を経て1本の運河となる予定だった(現在は羽田空港などがある)。

橋梁
港南橋
品川埠頭橋
大井水管橋
大井北埠頭橋
八潮橋
かもめ橋
勝島橋
新平和橋
大和大橋」

(出典:ウィキペディア「京浜運河」京浜運河 - Wikipedia)

 



首都高速道路1号羽田線と
東京モノレール羽田線と
京浜運河とは

南北方向に並行しているエリアが相当区間あります。

 



「1966年(昭和41年)12月21日 : 空港西出入口 - 羽田出入口開通、全線開通」
(出典:ウィキペディア「首都高速1号羽田線」首都高速1号羽田線 - Wikipedia)
した1号羽田線は

供用開始以来、既に50年以上経過している、いわゆる老朽化路線です。

 



ウィキ記事にも記載されています。
「2020年(令和2年)6月16日 : 下り線・東品川付近を更新線に切り替え(将来の上り線を暫定的に下り線として使用)。」
(出典:ウィキペディア「首都高速1号羽田線」首都高速1号羽田線 - Wikipedia)

 



平成最後の大型連休である、2019年4月末では、未だ、従前の下り車線を走行したことになりますが、
2020年6月以降、下り線は、完成した新線が供用されているワケですね。

 



「まち」も<ひと>が造り出したもの。
<とき>の経過と共に傷みが進み、同等な新しい「もの」と取り換えられる運命を辿ります。

 



1400万人の東京都と930万人の神奈川県とを結ぶ1号羽田線。
巨大都市が織り成す、壮大なスケールに、圧倒されました。


 第4節 三菱自動車本社ショールームからのドライブ4_首都高速道路1号羽田線から見える風景3


成る程!この辺りに、あの大井競馬場があるのか、と今更ながら認識しました。

 



この道路を走行するのは、これで2回目。



先回は、2017年10月の夜9時過ぎのことでありましたから、
周囲の様子など、全く分かりませんでした。

 



とはいえ
平成最後の大型連休、月曜日の昼過ぎの時間帯であっても
ここが何処なのか、このときは、全くわかって居ませんでした。

 



「地域北部の東大井とは鮫洲橋で、地域東部の八潮とは勝島橋でそれぞれ繋がっている。地域西部の南大井とはかつては新浜川橋で繋がっていたが、1987年に運河の一部を埋め立てて勝島三丁目として造成し陸続きとなっている。

当地域は地域北部の一丁目は倉庫や各企業の流通センター、集合住宅となっている。地域南部の二丁目は一帯が大井競馬場と関連諸施設となっている。地域西部の三丁目はかつてあった勝島運河の一部を埋め立てて作られた公園など(品川区立かしながわ区民公園)となっている。」
(出典:ウィキペディア「勝島」勝島 - Wikipedia)

 



確かに、地図で見る限り、
勝「島」ですから、天王洲とかと同じく、人工島なのかと思いましたけれども、
この辺りが1987年に埋め立てられ、地続きとなっているようです。

 



そうこう(走行)2、云うておりますうち
大井競馬場メイン入り口や4号スタンドなどが左手に見えてきました。
103鈴ヶ森出口から降りる場合は、右側から退出するみたいです。

 



制限速度が時速60kmと比較的低めですから、このような分岐指示も、ギリギリ可能だとは思いますけれども、
やはり、左側から退出する方式の方が安全なのではないでしょうか。

 



標識に「平和島」と記されています。
いよいよ、永らく続いた品川区ゾーンも終わろうとしています。

 



大井競馬場のトラックを囲うように
左カーブを描きながら
勝島エリアを抜け出そうとしています。

 


直線に入り
勝島南運河を渡るゾーンを進みますと
これより次の行政区である、人口何と!74万人余りの
大田区に入ってきました。

 



また、東京都心から大田区に入って直ぐの平和島の玄関口とも謂える
人口なんと294人!平和島への最寄出口である
平和島出口にも差し掛かります。

 



この立体的構造物の上側には、
平和島上り線PAがあるそうです。

 



グーグルマップの写真モードで驚きの発見をしましたが、
上りPAには、EV用急速充電器が設置されています。

 



ですが、たった今、左手に見える
平和島下り線用PAには、EV用急速充電器は、ございません!

 



残念ですが、パーキングエリアを確保するための用地が大変不足している関係で、設置が見送られているのだと思います。

 



平和島を地図で確認しますと、
典型的な四つ葉のクローバー型ジャンクションが目につきます。

 



首都高速1号羽田線は、直接的には関係ありませんが、
側道を走る、都道316号線(またもや?!)と、
都道318号線=環状7号線とが交差するための
平和島JCTの存在が、大変、目立ちます。

 



東京モノレールだと物流センター駅が
京浜急行だと大森海岸駅が
また、更にもうすこうし西にはJR東海道本線大森駅が
最寄り駅のようです。

 



土地勘も判らず、「蒲田行進曲」程度の理解しか持ち合わせて居ないGミーヴドライブ中の楊田家。

 



平和島の区間が終了し

 



次に南方に連なる人工島
昭和島
に差し掛かろうとしています。
大変びっくりしました。
とうとう、人口ゼロ人の町も存在していることを知りました。

 



大田区昭和島の人口は、何と!ゼロ人であります。

 

「大田区の東部に位置する。地域北部は平和島と、地域東部は京浜島と、地域南部は羽田空港と、地域西部は大森東・大森南と面している。(いずれも大田区に属する)

東部の京浜島との間を京浜運河が、西部の大森東・大森南の間を勝島運河がそれぞれ流れている。 地域内の多くは工業用地で、鉄工所が多く密集しており、工業団地を形成している(羽田鉄工団地)。」
(出典:ウィキペディア「昭和島」昭和島 - Wikipedia)

 



また、地図を観て居りますと
森ヶ崎水再生センター
という表記や航空写真で確認できる構造物も気になりましたので、ウィキ検索しましたら、巨大な下水処理場であることも分かりました。

 



そうこう(走行)3、謂うておりますうち

昭和島JCTに差し掛かり
B湾岸線東海JCTから分岐してきた車両と合流することとなります。

 



地図を見て何となく解ってきました。

首都高速1号羽田線芝浦入り口から羽田方面へと入ってしまいますと、
B湾岸線への合流は不可能なのだろう、と。
(あ、あった。生麦まで進めば、湾岸線と合流できそうです。ですけれども。。。)

(出典:ウィキペディア「大田区」大田区 - Wikipedia)

そうこう(走行)4!いうておりますうち

 



大田区大森南エリアに入りまして
こんなところで!
前々から並走していた東京モノレールと、
再び合流するように並走し始めました。

 



そして、道は地中に潜るように下り坂となります。

大森南エリアから
海底トンネルを経由して

こちらも何とビックリ!人口ゼロ人の
羽田空港エリアへと繋がって行くようです。

 



1964(昭和39)年8月に開通した羽田トンネルに差し掛かります。

羽田トンネルは、わが国最初期のケーソン式トンネル工法によって完成したトンネルとのこと。

 



トンネルは右カーブを描きながら地上へと戻って行きます。

 



ここでまた、地図を見てきになりましたのが、
このカーブ手前エリアの地上には
可動式の橋の存在であります。

羽田可動橋
と呼ばれているそうですが、
1998年以降は、使用停止されているとのこと。



それにしましても
この世には、何とも珍しい構造物が、有るモノです。

 



1号羽田線は、慢性的渋滞に長年、悩まされてきたことでしょう。

それが、B湾岸線の開通によって、
東京と神奈川とのアクセス利便性が、格段に向上したのだろう、ということは容易に想像付きます。

 



羽田トンネルで見失っていた
東京モノレールと、三たび、並走状態となりました。

大田区羽田空港エリアの走行区間は、大変、短いです
ざっとですが、距離にして、約400m程度しかありません。

 



その間に、
物流関係者の方にとっては日本の玄関口羽田空港へのアクセスが近い
空港西出口
を横目に通過します。

 



羽田空港をご利用の方は、次の出口である
羽田出口
の方が、利便性が高いのでありましょう。

 



大田区羽田空港エリアを抜けまして
次なる人口1.1万人あまり大田区東糀谷(ひがしこうじや)エリアに入ります。

 



1号羽田線をご利用の場合の羽田空港への玄関口
羽田出口に間もなく近づきます。

 



左カーブを描きながら、羽田出口への側道が現れます。

 



羽田出口を横目に
Gミーヴは引き続き、1号羽田線を横浜方面へと進み続けます。



 第5節 三菱自動車本社ショールームからのドライブ5_首都高速道路1号羽田線から見える風景4


羽田出入口を過ぎたこの直線ゾーンより、
首都高速道路1号羽田線での走行シーンは終わりとなり、

 



首都高速道路神奈川1号横羽(よこはね)線
での走行シーンに入ったことになります。

 



この辺りは未だ、東京都大田区羽田エリアですが
羽田エリアは、大田区の最南部に当たりますので、
首都高都内ドライブは、程なく、終了です。

 



「K1横羽線」
という標識が現れましたから、いよいよ、神奈川県内ドライブ開始です。

 



一級河川多摩川を渡っています。

 



東京と神奈川とを隔てる多摩川を渡り終えた先は
「大師だいし)」とあるように

川崎大師でも御馴染み
神奈川県川崎市に入ってきたことになるのです。

 



首都高速の東京エリアと神奈川エリアとの境目を象徴する
大師本線料金所に差し掛かります。

「首都高速神奈川1号横羽線(しゅとこうそくかながわ1ごうよこはねせん、Yokohane Route)は、東京都大田区の高速大師橋北詰から、神奈川県横浜市中区石川町ジャンクションへ至る首都高速道路の路線で、正式路線名は神奈川県道147号高速横浜羽田空港線である。なお、高速大師橋北詰-羽田出入口間の「東京都道147号高速横浜羽田空港線」は、首都高速1号羽田線の一部となっている。

国道1号・国道15号の慢性的な交通渋滞の緩和を目的として、東京方面と横浜港の中心部(現在の横浜みなとみらい21地区周辺)を結ぶ路線として建設された。 接続する1号羽田線とともに、かつては東京と横浜両都市の都心を結ぶ唯一の自動車専用道路であった。そのため、交通量が非常に多く渋滞も頻発していた。その後、海岸寄りにバイパス道路の首都高速湾岸線が開通し交通量も分散されたため、渋滞は以前と比べ幾分減少した。それでも、平日の通勤時間帯は交通量も多く、また片側2車線ということもあり、流れが滞るところもしばしばある。

1968年(昭和43年)
7月19日 : 浅田出入口 - 東神奈川出入口開通。
11月28日 : 羽田出入口 - 浅田出入口開通。
1972年(昭和47年)8月7日 : 東神奈川出入口 - 金港JCT開通。
1978年(昭和53年)3月7日 : 金港JCT - 横浜公園出入口開通。
1984年(昭和59年)2月2日 : 横浜公園出入口 - 石川町JCT開通により、全線開通。
2007年(平成19年)11月21日 : 横浜公園出口供用開始。
2009年(平成21年)3月29日 : 大師出入口(横浜方面)供用開始。
2010年(平成22年)10月20日 : 大師JCT供用開始により、(K6)川崎線と接続。」

(出典:ウィキペディア「首都高速神奈川1号横羽線」首都高速神奈川1号横羽線 - Wikipedia)

大師本線料金所の一番左レーンは
大師PA(パーキングエリア)入り口も兼ねていますが

 



ウィキ記事等確認の結果
EV用急速充電器は、設置されていないようです。

EV(電気自動車)の普及が進みつつある現状において
このような場所にもEV用急速充電器の存在が当たり前であって欲しいものですし、
このような狭いPAでも、カーナビ情報などで充電待ち状況(待ち台数含む。)を確認できるような時代の到来を切望します。

 



首都高速神奈川1号横羽線ゾーンを、横浜方面へと進みます。

 



標識にもありますように
法定速度は時速60kmであります。

 



この辺りの地名は
川崎市川崎区大師河原といいます。

1kmほど西には川崎区大師エリアがあり、
「川崎大師」で有名な
真言宗智山派の大本山、平間寺(へいけんじ)があります。

 



真言宗にも様々な宗派があるのだ、ということを、今更ながら知るに至り、驚いています。

「仁和寺にある法師」で有名な御室(おむろ)派
「ゑんま堂」で御馴染み東京の法乗院のようなお寺も存在する豊山(ぶざん)派
そして、空海大師様が修行を極められた金剛峯(ぶ)寺でも御馴染み高野山派
その他にも、大覚寺派、醍醐派、山階派、善通寺派などなど、多くの宗派が真言宗には存在しています。

また、この辺りを歴史学的に勉強しなければ、なりません。

(出典:ウィキペディア「川崎市」川崎市 - Wikipedia)

 



横羽線川崎市内ゾーンは
JR東海道本線や京浜急行本線よりも海に近いエリアに位置しますから

例えば、京急川崎駅からは「大師線」が東側に伸びて、川崎大師様へのお参りへの利便性に貢献していたり
JR南武線が尻手(しって)駅から浜川崎支線により浜川崎駅まで東に延びており、
JR鶴見駅からは鶴見線が東側に伸びて「海芝浦支線」「大川支線」を通じて通勤や製品運搬に貢献しています。

 



鉄道網、道路網が高度に発展している川崎市。
大大大都会東京砂漠に隣接しているエリアも相俟って、都市開発のレベルは非常に高いことを、思い知らされます。

 



そうそう

もう、大分、<とき>は経過していますが
楊田家は、嘗て、一度だけ、タクシーで羽田空港から横浜市戸塚区下倉田の団地まで
この道路を利用して帰宅したことがあります。

 



家の者が岡山で誕生し、当時、岡山市浦安に有った岡山空港から
全日本空輸YS-11にて羽田空港へ降り立ち
乳児が他人と接触することを避けるために、タクシー利用をした次第です。

 



しかしながら、ウィキ記事でも紹介されていますように
B湾岸線など周辺道路の開発以前の横羽線は
東京と神奈川とを結ぶ高規格な道路としては唯一の道路でしたから
激しい渋滞に見舞われ、思わず

”歩いた方が速いよ”

と発言したことから、周りを困らせました。
今となっては、懐かしい、思い出の一つとなりましたので、ここに披露した次第です。

 


首都高速道路という、比較的長い歴史を持つ路線並びに周辺地域の事情を一つでも多く知るため、

ゆっくり・じっくり

お伝えしています。


楊田家Gミーヴ倉敷東京往復ドライブの旅、実質後半戦に突入致しています。