【推敲】Gミーヴ倉敷東京往復ドライブ2019春3三菱の聖地へ2新橋まで進む | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
ありとあらゆる「ミライ」について考える団体ですが、主に
「E」lectric「V」iecle(電気自動車)を通じて
1、生活の未来
2、文化の未来
3、社会の未来
を探求して行きます。

いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠にありがとうございます。

 


 電気自動車EVは、時速80km以上の高速走行の場合は、エネルギー効率が悪くなりますので、第2世代量産型EVである三菱i-MiEVや日産ZE-0リーフ、e-NV200の場合には、70kmから80kmごとに急速充電を継ぎ足して行かなければ、走り切ることができません。
 エコノミライ研究所は、このことを、経験をもって実証してきました。
 所長楊田は三菱i-MiEV「Gミーヴ」号を所有していますが、TECTOMさんの「燃費マネージャー」(実勢価格3万円前後)を搭載し、電池残量や消費電力、累積電費など、各種情報を記録し、適切な情報処理を施せば電気自動車という「次世代自動車」の実用性能をより詳しく分析することができ、快適なEVドライブに活かすことができます。
 楊田の片道300km超のEVロングドライブの実績と致しましては
(報告済)2017年7月横浜→関→倉敷(700km)
(報告済)2017年8月倉敷→鹿児島→屋久島(900km)
(報告済)2017年10月倉敷→東京・横浜→倉敷(1400km)
(報告済)2018年8月倉敷→小牧→白馬→小牧→倉敷(1400km)
(報告済)2018年10月倉敷→東京(700km)
★今回★2019年4月倉敷→東京・横浜→倉敷(1400km)
(報告済)2019年9月倉敷→米原→白馬→敦賀→倉敷(1400km)
2019年9月鹿児島→倉敷(700km)

2021年3月倉敷→鹿児島(700km)

2022年3月倉敷→鹿児島→倉敷(1400km)

2022年7月倉敷→小牧→白馬→小牧→倉敷(1400km)
となっておりますが、2020年の秋も深まりつつある現在もなお、昨年実施したドライブ報告ができておりません。

 ただ、新型コロナ禍の影響で、新規のロングドライブにチャレンジすることが不可能な現在、レビューできていなかった過去のドライブについて取り上げることができるのは、不幸中の幸いかもしれません。

いずれにしましても
2017年夏から連載開始したエコノミライ研究所のブログは、このようなEVドライブのレポートをするために開設されたようなものですので、
「三菱i-MiEV「Gミーヴ」号で東京往復_往路編」
と題して、旅行記を再編集して、お送りしています。

 これまで同様、「ゆっくり・じっくり」とお付き合い下されば幸いです。


<三菱i-MiEV「Gミーヴ」号で東京往復_滞在地ドライブ編>

 

第3章 滞在先ドライブの様子その2三菱の聖地へ

 第3節 スカイツリータウンからのドライブ_3国道4号線を南下する

上野駅東口前の巨大な歩道橋を潜(くぐ)り

 



針路は南の方角

国道4号線に入って、日本橋方面へと進んで行きます。

 



「国道4号(こくどう4ごう)は、東京都中央区から栃木県宇都宮市、福島県福島市、宮城県仙台市、岩手県盛岡市を経て、青森県青森市に至る一般国道である。

日本国道路元標があることでも知られる東京都中央区の日本橋を起点に、埼玉県や北関東・東北地方を縦貫する栃木県、福島県、宮城県、岩手県の各県庁所在地を経て、本州最北県である青森県で県庁がある青森市長島2丁目の青い森公園前とを結ぶ、延長約836 kmの一般国道で、主な通過地は、埼玉県草加市、越谷市、春日部市、茨城県古河市、栃木県小山市、宇都宮市、さくら市、矢板市、那須塩原市、福島県白河市、須賀川市、郡山市、二本松市、福島市、宮城県白石市、岩沼市、仙台市、大崎市、栗原市、岩手県一関市、奥州市水沢、北上市、花巻市、盛岡市、二戸市、青森県十和田市、上北郡野辺地町である。2019年4月1日現在、総延長は国道58号に次ぐ第2位、実延長および現道区間の延長が日本一長い国道である。

江戸時代の五街道のひとつである日光街道や奥州街道を踏襲する道筋で、高速道路では東北自動車道、鉄道では東北新幹線や東北本線とおおむね並行する経路をとる。埼玉県越谷市から栃木県宇都宮市にかけて、現道の東側で並行するバイパス道路である新4号国道があり、大規模なバイパス整備が進められている。国道の新道が開通すれば、旧道は国道の指定を外されることが多い日本の国道のなかでも、その旧道が国道指定をいまだ解かれていない珍しい路線でもある。かつ当路線は新道・旧道共に国直轄国道であり、非常に珍しい。」

(出典:ウィキペディア「国道4号」国道4号 - Wikipedia)

向かって左は先回から引き続き東上野エリア、そして、右は上野エリアであります。

 



南方面に向けて進んでいます。

国道4号線の最南端が、日本橋であることを、今更ながら知りました。

この場所から首都高速1号上野線に入ることもできますが、
我がGミーヴは、次の急速充電を実施するため、「ある場所」へと向かっています。

 



「ある場所」とは
三菱自動車本社ショールーム前急速充電器
であります。

台東4丁目交差点を南下します。
向かって左側は台東エリア、右側は引き続き上野エリアです。

 



そして、ワンブロック右エリアには、JR御徒町駅があります。

そうこう(走行)謂うておりますうち、台東区を抜けまして、
国家の中枢、千代田区に入ってきました。

 



向かって左側が人口何と!たったの700人強、神田和泉町エリア、
向かって右側が人口何と!何と!!たったの50人余り、神田松永町エリアです。

鉄道高架が見えて来たということは、
この辺りが、オ◎クの聖地、秋葉原
JR総武線と交差するエリアに差し掛かりました。

 



町名も次々と変わります。

向かって左側も右側も神田佐久間町エリアとなります。

 



少々分かりづらいですが、JR総武線の高架を潜(くぐ)ってすぐに一級河川神田川も渡ったようです。

 



「神田川(かんだがわ)は、東京都を流れる一級河川。荒川水系の支流である。東京都三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し東へ流れ、台東区、中央区と墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流する。流路延長24.6km、流域面積105.0km2と、東京都内における中小河川としては最大規模で、都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠であることは極めて稀である。
フォークグループかぐや姫の楽曲(神田川)になっていることでも有名である。」

(出典:ウィキペディア「神田川(東京都)」神田川 (東京都) - Wikipedia)

 



千代田区の和泉橋南交差点を通過します。
向かって左側も右側も岩本町(いわもとちょう)エリア、となります。

ビジネス街を象徴する場所の一つなのでしょうか、ここも、平成29年段階での人口は、たったの64人だけだそうです。

(参考:ウィキペディア「岩本町」岩本町 - Wikipedia)
岩本町交差点を通過します。

もう、お気づきかとは思いますが、
国道4号線の真上を首都高速道路1号上野線の高架が続いています。

 



交差点名称は分かりませんが、ここも岩本町内です。
この交差点を右折しますと、近くにJR神田駅が有ります。

お上りさんの象徴「日本橋」が1km先にまで迫ってきました。
向かって左側は引き続き岩本町エリア、右側は神田東松下町(まつしたちょう)エリア、そして程なく神田紺屋町(こんやちょう)エリアとなります。

 



紺屋町交差点を通過しますと、
向かって左側はなおも岩本町エリア、右側は神田西福田町エリア(人口たったの5人!)、そして程なく神田美倉町(みくらちょう)エリアとなります。

道はそろそろ、千代田区から離れ、これより、中央区に入ります。
向かって左側も右側も、日本橋本町エリアとなります。

 



「中央区(ちゅうおうく)は、東京都の区部中央に位置する特別区。東京23区のほぼ中央に位置する。

千代田区や港区とともに「都心3区」と呼ばれる。旧日本橋区と旧京橋区が合併して誕生した。現存する全国の地名で「中央」を最初に使用したはしりが当区である。

区内にはオフィス街・商業地である日本橋や高級ブランド街である銀座、他にも京橋、築地、月島といった歴史のある街を擁する。日本橋は、新宿や渋谷など比較的新しい街が多い東京の中では珍しく江戸時代初期からの歴史と伝統を持つ。当地は五街道の起点であり、日本橋本町を含む一部地域は江戸時代には「江戸本町」と呼ばれる江戸で最初に整備された街であり、江戸の町人文化や経済・金融の中心地として栄えた。江戸時代から両替商が多く存在した名残から、現在では東京証券取引所や日本銀行本店が所在するとともに、大手製薬会社やその他多くの大企業の本社が位置する金融街・オフィス街であり、千代田区の丸の内や大手町などとともに日本の金融・経済の中心地(中心業務地区、CBD)の一つである。日本橋三越本店は江戸時代から日本橋に店を構える呉服店の三井越後屋を起源とし、日本で最初の百貨店として知られる(三越は三井財閥のルーツと言われている)。他にも銀座や日本橋には江戸時代から続く老舗が今なお多く残っている。

面積は、東京特別区23区の中で、台東区に次いで2番目に小さい。人口は千代田区に次いで2番目に少ない。

文化的には、同じ江戸城の大曲輪、外堀の内側のエリアを共有する千代田区とは密接な関係にある。神田神社や日枝神社など共通の氏子地域の神社での地域間交流、共通の地区名などの共通点が多い。

河川の水面等が市街化調整区域であることを除き、区内は全域が市街化区域である。区内の77パーセント以上が商業地域に指定され、月島地区に準工業地域が、第一種住居地域や第二種住居地域が明石町や月島地区に存在する。」

(出典:ウィキペディア「中央区(東京都)」中央区 (東京都) - Wikipedia)

我がGミーヴは、更に、直進して行くため、
国道4号線ともお別れとなります。

 第4節 スカイツリータウンからのドライブ_4日本橋エリアから

国道4号線での走行は、ここで終了



この交差点を直進しますが、
因みに、左折しますと国道6号線、右折しますと引き続き国道4号線となります。

国道6号線といえば、2017年2月、除染が未だ未だ進んでいなかった「あの場所」の付近の国道も6号線だったなぁ。

これより東京都道316号日本橋芝浦大森線(以下、「都道316号線」と称す。)に入ります。

 



都道316号線は、ただの地方道路では無いようです。
「主要地方道」というカテゴリに属する重要な道路のようです。

 



この辺りは、中央区日本橋本町エリアとなります。
此処(ここ)も東京の中心地であるにもかかわらず、地域人口は1200人余りと、大変少のうございます。

そうこう(走行)云うておりますうち、またまた、大変重要な橋に近づいて来ました。

 



1927(昭和2)年に供用開始された江戸橋です。



「江戸橋(えどばし)は、東京都中央区にある、日本橋川にかかる橋である。

南岸の中央区日本橋と北岸の中央区日本橋本町に架かっている、都道316号昭和通りを通す橋である。江戸橋のほぼ上空には首都高速道路江戸橋ジャンクションがあり、交通の要衝にもなっている。

17世紀に大船町(後に本船町)と本材木町の間の日本橋川に架けられた。当初の位置は現在より下流にあり、すぐ東脇を楓川が縦貫していた。1632年(寛永9年)成立の『武州豊嶋郡江戸庄図』では写本によって江戸橋が描かれているものといないものがあり、創架年代を1631年(寛永8年)頃とする説と、次に登場する『正保年間江戸大絵図』までの間とする説がある。橋名の由来は、隣の日本橋との連想から命名されたとする説の外、都市化以前の江戸中心部が この周辺だったのではないかと推測する説がある。

橋の下は漁船や乗合の舟が集まり、南側には船宿があった他、隅田川の舟遊びのための屋形船なども停泊していた。南西側は木更津河岸と呼ばれ、江戸と上総国木更津を行き来する木更津船が発着した。南詰には明暦の大火後防火のため江戸橋広小路が設けられ、賑わった。

1875年5月に石橋に、1901年には鉄橋へ改架されている。 1927年(昭和2年)昭和通り開通に伴い現在地に架け直された。」

(出典:ウィキペディア「日本橋」日本橋 (東京都中央区) - Wikipedia)

 



今回のGミーヴドライブでも、然(さ)したる計画を立てて居なかったにも関わらず、
東京都内の有名どころを複数、訪問することができていたことに、改めて驚かされます。
(正直なハナシ、この辺りから国道1号線なのかな、と勘違いしていました。1号線はJRよりも向こう、皇居の手前側ですね。)

江戸橋を渡って南下しています。
この辺りは、中央区日本橋エリアとなります。

 



「日本橋(にほんばし)は、東京都中央区の日本橋川に架かる日本橋に因む東京都中央区の町名、および旧日本橋区にあたる同区北部の広域地名である。正式な英語ローマ字表記はNihonbashiである。

江戸時代当時から両替商など金融機関がこの地に集積し、金融・商業の中心地であった。1873年に最初の銀行である第一国立銀行が設立された銀行発祥の地の日本橋兜町、日本銀行本店等が所在する日本橋本石町や日本橋室町、奥州街道沿いの金融街として今でも複数の大手銀行の支店が置かれている日本橋大伝馬町や日本橋横山町など、日本橋地域全体が東京都心を代表する金融街として発展している。

日本最古の百貨店である日本橋三越本店を含む老舗の商業施設も多く、日本橋地域北東部に位置し旧奥州街道沿いの街の東日本橋や日本橋横山町、日本橋馬喰町には日本最大の問屋街が形成されている。関東大震災で倒壊してその後築地に築地市場として移転するまで当地に魚河岸が置かれており、江戸時代から東京の食品流通を担ってきた。

東京駅八重洲口がある「八重洲一丁目」も日本橋地域である。八重洲一丁目はかつて「日本橋呉服橋」の町名で、旧東京市日本橋区に属していた。他の日本橋地域の町内と同様に郵便番号上三桁103を使用している。当然多くの行政施設の管轄や公立中学校の学区も日本橋に属している。
(出典:ウィキペディア「日本橋」日本橋 (東京都中央区) - Wikipedia)



そうこう(走行)2、言うておりますと、何時の間にか、
地下道に差し掛かりました。

この写真をご覧に成ってお判り頂けると思いますが、
構築されて、可成りの年数が経過している地下道のようです。

 



また、運転中の際には全く気付いていませんでしたが、
東京中心地、日本橋界隈のビル街のど真ん中を走行していたことにも、改めて驚かされます。

 



地図から推測しますと
永代通りと交差するポイントである
江戸橋1丁目交差点の真下を潜(くぐ)って居るようです。

 



更に驚きましたのは、
地下道出口手前には、
地下駐車場入り口の存在があることです。
(グーグルマップをチラ見して知りましたが、日本橋駐車場の利用料金は、30分ごとに200円です。意外とお安いです。岡山と、余り大差ありません。)

 



ひとつ目の地下道を抜けますと
浅草エリアよりも高いビルが立ち並ぶ街並みを走行するシーンへと変貌しました。

 



地図を拡大しますと、名の知れた会社が幾つもありました。
ニッポンの中心地なのだなと、改めて思い知らされます。

 

そうしましたら、程なく、次の地下道が迫ってきました。
標識をご覧頂ければ、この辺りが何処の近くなのかが、お判り頂けるでしょう。
地下道を通らず、側道から交差点を右折すれば、東京駅です。

 



先ほどの永代通と交差する地下道も重要でしたが、
この地下道も、嘗ての慢性的渋滞解消の切り札として、有り難い存在であるのでしょう。


この地下道も、可成りの年季が入っています。

 



八重洲通りと交差するポイント
京橋交差点の下を潜(くぐ)るための地下道です。


先ほどの地下道よりは、若干短めですけれども
キッチリと、地下駐車場も整備されています。
「宝町駐車場」とハッキリ、読み取ることができますね。
(ここも、チラ見しましたが、日本橋駐車場と同じく、30分200円です。)

 



この地下道を潜(くぐ)り、京橋交差点よりも南側に入りましたので、暫く続いていた日本橋エリアから抜け
京橋エリアへと入ってきました。

 



「京橋(きょうばし)は、東京都中央区の地名で、旧京橋区に当たる京橋地域内である。または地域名である。

「京橋」の地名の由来は、かつて存在した京橋川に架けられていた中央通り(東海道)の橋である。かつては運河が生活に重要な役割を果たしていたため、橋は地域の象徴的な場所だった。東京15区時代に区名となり、今日でも地名として使用されている。現在、橋は存在しない。

かつての橋としての京橋は、日本橋と並ぶ名橋であった。東海道にて日本橋を出発して京都方向に向かう場合、最初に渡る橋であったため重要な意味合いをもっていた。

街としての京橋は橋の北側に位置する。銀座線京橋駅を中心とした地域である。」

(出典:ウィキペディア「京橋」京橋 (東京都中央区) - Wikipedia)

 



江戸は八百屋町、大阪は八百屋橋と云いますし、大阪にも神戸にも岡山にも京橋(岡山は「新京橋」)という地名がありますけれども
「京橋」という言葉から、「賑わい」というイメージが伝わってきます。

そうこう(走行)3云うておりますと、早、3つ目の地下道に差し掛かりました。

 



一体全体、昭和通りとは、嘗て、どれだけ渋滞に悩まされていたんかのぅ~、と不思議に思えてきます。


鍛治屋橋通りと交差するポイントで、
都営浅草線宝町駅の上、を通過しているようです。

 



この地下道内にも、「新京橋駐車場」があります。

 



そして、いよいよ、ここ新京橋交差点辺りから
銀座エリアを進むこととなります。



この交差点には、右折レーンがありませんので、
ここからでは、JR有楽町駅へ行くことが出来ないようです。



程なく、4つ目の地下道へと突入して行きます。
交通量が多いため、法定速度を守り、車間距離を取って安全運転に心掛けなければなりません。

ビルの谷間よりも更に深い地底を這(は)うように進みます。

 



銀座東2丁目交差点の下エリアを進み始めます。

中央分離帯を兼ねたコンクリート支柱が細いことに、若干の不安を覚えますけれども、
いずれは修繕・付け替えが必要でしょうから、これからが大変なのかもしれません。

 



それにしましても
この地下道は、先ほどまでの地下道よりも、大分、長そうです。
この地下道は、中々、地上に戻ることがなさそうな長大な距離がありそうです。
いったい
この地下道は、何処まで、続いているのでしょう。


 第5節 スカイツリータウンからのドライブ_5銀座エリアから

それにしても、この地下道は長かった。。。

これより、銀座三丁目交差点の下を潜(くぐ)りまして
右折レーンのある三原橋交差点の下を潜るエリアへと迫ります。

三原橋交差点の東エリアには、有名な歌舞伎座があります。

 



三原橋交差点を起点に
東南方向、墨田川に掛かる橋が勝鬨橋
北西方向、国道15号線沿い銀座四丁目交差点の銀座五丁目側の南角地にあるのが、銀座プレイス。NISSAN CROSSINGのある場所です。

都道316号線の本線を通行するということは、最短時間で最大の距離を通行するドライブが前提ですから、
最寄の目的地がある場合には、地下道が地上と合流する際に側道へと退出する必要があるシステムです。

 



そうこう(走行)云うておりますうち、
銀座東五丁目交差点の下を潜ります。

銀座東五丁目交差点下部分にも、地下駐車場がありました。
そして、漸く、地上部分と合流する雰囲気となってきました。

どの辺りまで、到達したのでしょうか。。。

因みにですが、江戸橋からは、都営浅草線が、この道路の地下を走っているようです。

 



この写真と記憶と地図とを照合しましたところ、この辺りは銀座六丁目だと思います。

その根拠は、つぎの写真で確認できる、大きな陸橋の存在です。

程なく、銀座七丁目交差点に差し掛かります。
都心のビジネス街ということもあり、歩道橋の規模も、可成り大きいです。

 



長らく続いた銀座エリアも、そろそろ、この辺りで終了となります。

 



蓬莱橋交差点に差し掛かりました。
この交差点にも、長大な歩道橋が何本も架かって居ます。
カーナビは、直進を指示していますので、このまま進みます。



東京高速道路を潜りますと
行政区域は中央区から港区へと移ります。

港区の新橋エリアを走行しています。



新橋といえば、様々なイメージがありますが、
これについては後述します。



何せ
走行当時、此処が何処か分からなかったため、
カーナビが左折を指示しましたので、少々、緊張していた次第なのです。

 



地図を見て納得
銀座方面から来たのに、右折だと、また銀座?と不思議に思っていたところ、

次に差し掛かる交差点が、国道15号線と交差する場所であり、
JR新橋駅が近づいていることが分かりました。

 



新橋一丁目にある、国道15号線と都道316号線とが交わる交差点を
左折し、国道15号線へと入って行きます。

 



JR新橋駅前エリアも、何度か歩いたことがあるのですが、この辺りまでは足を延ばしておらず、記憶がありませんけれども、

 



交差点を左折し、国道15号線に入った、この瞬間に目にした陸橋には、心当たりがあります。

 



ただ、地元民では無い哀しさ地図と記憶とを照合して漸く場所を特定

ゆりかもめ新橋駅
の真下を通過していたことを、今更ながら、認識致しました。

 



テレビにて興味深く視聴したことが切っ掛け
「ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり」にて、主人公である伊丹二尉がコミケ会場へ向かいつつあったものの、丁度、この陸橋(駅)から北方面に不穏な空気を察知し、
銀座方面へと移動し始めたポイントが、丁度、この辺りでありました。

 



成る程
地理感が備わりますと、聖地も増えます。

さて、新橋エリアは、もうすこうし、続きます。
次に差し掛かるポイントも、大大大都会東京砂漠には欠かせない風景の一つでありましょう。

 



JR線と交差するポイントのことです。

幼少期、横浜市戸塚区下倉田団地の住人でしたが、
倉敷に帰省する際は、横浜駅から横浜線で新横浜駅より0系新幹線に乗るのではなく、
横須賀線で東京までわざわざ出向き、始発狙い、自由席狙いで座席を獲得する技を、図らずも会得しました。

恐らくは、車窓から、この国道15号線付近の風景も、眺めていたのだろうと思うと、感慨深いものがあります。

 



地図を見ながら、国道15号線とJR線がどのように交差しているのか、
来たから順番に確認してみました。

まずは、云うまでも無く、一番手前、一番東側は、東海道新幹線であります。

 



東海道新幹線の真下を潜(くぐ)りますと
東海道本線
上野東京ライン
京浜東北線
山手線
の順に交差致します。

世代が知れてしまうかもしれませんが、楊田が横須賀線を使っていた時期は、地下を走っていた、という記憶がありません。

現在の横須賀線東京駅ホームは、地下深くに潜った場所にあることは承知していますが、
交通手段の多様化により、支えるべきインフラストラクチャーの多さにも、改めて驚く次第です。

 



日比谷神社前の交差点に差し掛かりました。

東京都市計画道路幹線街路環状第2号線、いわゆる「環二通り」と交差するポイントのようです。

そうかぁ
いずれは勝鬨エリアからトンネルなどを経てここまで繋がるのだそうです。

それもこれも、築地市場が役目を終えて、豊洲市場へと移管したことで、実現しそうなハナシ、とのことです。

この辺りも、未だ新橋エリアのようです。

 



引き続き、国道15号線を南下して行きます。
上野、秋葉原、神田、京橋、日本橋、銀座、そして新橋と
都心の大変有名な場所を一気に駆け抜けてきました。

楊田家Gミーヴ倉敷東京往復ドライブの旅、実質後半戦に突入致しています。