いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠に有難うございます。
FORD_MUSTANG_289GT_FASTBACK_1966
DATSUN_FAIRLADY_2000_SR311_LOW_WINDOW_1967
CATERHAM_SEVEN_1973
FIAT_X_1/9_1980
PORSCHE_930_TURBO_1977
VOLKS_WAGEN_TYPE_II_11W_STANDARD_MICRO_BUS_1958
MERCEDES_BENZ_W115_240D_1975
エコノミライ研究所では
クルマの歴史
へのクローズアップに対しても注力していますので、
従来型内燃機関エンジン推進車両
への知識習得と理解を深めることも、大変重要なミッションだと考えています。
そこで
エコノミライ研究所では
兼ねてより、地元岡山県内で約10年も継続中の
ベッキオバンビーノ
の紹介をさせて戴いています。
先回までで、1日目ゴール地点である瀬戸内児島ホテルと
2日目1箇所目のチェックポイントである倉敷美観地区での雰囲気をお届け致しました。
ベッキオバンビーノ2021年春バージョンのコースは、
岡山市のプラザホテル前駐車場をスタート地点に
赤磐市エリアまで東進、そこから津山エリアへ北上して
院庄ICより中国自動車道、落合JCTから米子自動車道を経て蒜山エリアまで行き、
新庄村から国道181号線で新見エリアまで南下し、
180号線にて高梁市エリアを南下して
賀陽ICにて岡山自動車道、岡山JCTから山陽自動車道、
倉敷JCTから山陽自動車道早島支線、早島ICから瀬戸中央自動車道で児島ICを降り
1泊目の宿泊地、瀬戸内児島ホテル前駐車場でゴール
という内容でした。
(公式HPCOURSE&SCHEDULE | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)
「開催趣旨
大会名称のVecchio Bambino (ベッキオ・バンビーノ)とは、
イタリア語で子どもの心を持ち続ける大人・永遠の少年を意味します。
岡山県内各地を舞台とした日本最大規模のクラシックカーラリー。訪れる地域の方との観光交流と賑わいの創出、震災復興支援・交通事故遺児の就学支援を目的としたイベントとして開催9年目の秋を迎えます。全国各地から集った参加者が訪れる岡山県内の各地域の皆さんとの触れ合いの中で双方が心から楽しんでいただける心のこもった観光交流イベントとなり、大人たちがルールを守り力いっぱい遊ぶ姿が子どもたちのお手本となるように努力してまいります。
イベントを通じ、テレビ・新聞・インターネット・自動車雑誌などのメディアを用いた地域観光資源情報発信イベントとして訪れる地域の皆様のお役にたてるよう、また例年通り積極的なチャリティ活動を綿密な計画のもと運営を行っております。」
(公式HP「開催概要」開催概要 | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rallyより)
また、一夜明けた
令和3(2021)年4月4日(日)午前9時にスタートするチェックポイントである
倉敷美観地区の模様も撮影致しました。
大会2日目のコースは
宿泊地瀬戸内児島ホテルのお隣り
鷲羽山ハイランドから
倉敷美観地区まで移動
玉島ハーバーアイランドから旧玉島市街中心地を抜けて
岡山県民には御馴染みの海水浴場である沙美海岸から
「生きている化石」カブトガニで有名な笠岡はカブトガニ博物館まで到達しますと
笠岡市街地を抜けて北上
宿場町として有名な矢掛町へ向かい
完成したばかりの道の駅「山陽道かやげ宿」と
矢掛本陣のある旧道を道中最後のチェックポイントとして
一気にグランドスタート地点である岡山プラザホテルまで戻る
という行程でありました。
先回より
参加車両の1台ごとの個別紹介を続けています。
(公式HPENTRY LIST | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)
ゼッケン番号順で、楊田が撮影に成功していた順番にて、紹介させて戴きます。
紹介する情報は、いつものウィキ検索ですけれども、
このような機会でなければ、読み解くことが有りませんので、
此処に、文書を残すものであります。
また、個別に独自の情報を仕入れることができたときは、出来る限り、付言したいとも思っています。
今回紹介するのは
ゼッケン番号 49 FORD_MUSTANG_289GT_FASTBACK_1966 です。
フォードのイメージリーダー的な車種の一つであります。
NHK特集「自動車」(4回シリーズ)の一節でも紹介されたハナシですが、
’50年代の栄光から暫く遠ざかっていたフォードに、
後のケネディ政権国務長官を務めたロバート・マクナマラが社長を務めていた当時、頭角を現した
リー・アイアコッカ副社長のリーダーシップの下、この世に登場することができたのが
MUSTANG
であります。
アイアコッカ氏は、後に社長にまで上り詰め、会社側と対立して退職した後も、クライスラー社長に就任していたことから、
間接的にはダイムラー・クライスラーや、三菱自動車とも縁のある方だと受け止めています。
日本語ウィキ記事がありますが、紹介は、比較的、簡単です。
(出典:ウィキペディア「フォード・マスタング」(日本語)フォード・マスタング - Wikipedia)
ですが、ムスタング登場の経緯については紹介がなされていますので、英語版記事も織り交ぜて、紹介させて戴きます。
(出典:ウィキペディア「フォード・マスタング」(英語版)フォード・マスタング - ウィキペディア (wikipedia.org))
「フォードマスタングは、フォードによって製造されたアメリカの自動車のシリーズです。
1964年以来の連続生産では、マスタングは現在、最も長く生産されたフォード車のネームプレートです。
現在6代目で、フォード車のネームプレートは5番目に売れ行きが良い。
「ポニーカー」自動車セグメントの名にちなんで名付けられたマスタングは、当初は「ロングフード、ショートデッキ」のプロポーションで区別された、
既存のモデルラインから派生したスポーティなクーペとコンバーチブルの高度にスタイル化されたラインとして開発されました。」
(出典:ウィキペディア「フォード・マスタング」(英語版)フォード・マスタング - ウィキペディア (wikipedia.org))
「開発開始当時副社長であったリー・アイアコッカの指導下で、
第二次世界大戦以降に出生したいわゆるベビーブーマー世代向けに、コンパクトカーであるフォード・ファルコンをベースとしたスペシャルティカー(スポーティカー)の開発がスタートした。
1964年4月17日から開催されたニューヨーク万国博覧会の初日に発表された初代マスタングは、
後発(1968年)の4ドアセダンであるフォード・トリノより低価格ながら、
スポーティーな外観と充分な性能、フルチョイスシステムと呼ばれる多彩なオプション群と巧みな広告戦略によって、
ターゲットだったベビーブーマー以外の心も掴み、1960年代中盤の好景気と相まって、
ベース車を超えフォード・モデルT以来といわれる同社の大ヒットとなった。
初代マスタングの販売戦略とその成功はアイアコッカが
「アメリカの民衆はスポーツカーは好まない。スポーツカーのように見える車を好むのだ」の持論を元に
「ホイールベースを詰め、タイトな後席を持ったファルコン」をコンセプトととし、
さらに「トリノで見たスポーツカーは、みな口が尖っていた」とイタリア車風のフロントエンドを持たせた。
特定のグレードを持たず、安価なベース車に膨大なオプションを組み合わせる販売手法「フルチョイスシステム」も特徴である。」
(出典:ウィキペディア「フォード・マスタング」(日本語)フォード・マスタング - Wikipedia)
「初代から一貫してハイパフォーマンス仕様車が用意されており、フォードのみならずアメリカを代表するスポーツカーとして高い知名度を誇っている。
アメリカ国外においても、最廉価グレードのV型6気筒エンジン搭載の2014年モデルで22,200ドルと比較的低価格で社外品のパーツも潤沢なため、カスタムベースとしての人気も高い。
初代から現行型まで一貫して2ドアに4人もしくは5人乗りのレイアウトで、マッスルカーもしくはポニーカーと呼ばれる2ドアクーペ(ハードトップ)に分類される。
他の代表的なポニーカーとしては、ダッジ・チャレンジャーやシボレー・カマロ、ポンティアック・ファイヤーバードなどがある。
この戦略は同業他社にも多大な影響を与え、日本でもマスタングの「フルチョイスシステム」方式を踏襲したトヨタ・セリカが1970年に発売され、以降各社からスペシャリティカーが発売され一大ブームを巻き起こした。」
(出典:ウィキペディア「フォード・マスタング」(日本語)フォード・マスタング - Wikipedia)
「第二次世界大戦のP-51マスタング戦闘機のファンであったエグゼクティブスタイリストのジョン・ナジャールは、フォードがその名前を示唆したと信じられています。
ナジャールは1961年にフォード・マスタングの最初のプロトタイプ「フォード・マスタングI」を共同設計し、フォードのスタイリストであるフィリップ・T・クラークと共同で製作した。
マスタングIは1962年10月7日にニューヨーク州ワトキンスグレンで開催されたアメリカGPで正式にデビューし、
テストドライバーで現代のF1レースドライバーのダン・ガーニーが2番目の「レース」プロトタイプを使用したデモンストレーションでトラックをラップした。」
(出典:ウィキペディア「フォード・マスタング」(英語版)フォード・マスタング - ウィキペディア (wikipedia.org))
「別の見方として、フォード・ディビジョンの市場調査マネージャーであるロバート・J・エガートが最初にマスタングの名前を提案した。
クォーターホースのブリーダーであるエガートは、1960年にJ・フランク・ドビーの著書『マスタング』の妻から誕生日プレゼントを受け取った。
その後、この本のタイトルは、フォードの新しいコンセプトカーに「マスタング」の名前を追加するというアイデアを与えました。
デザイナーはクーガー(初期のスタイリングバックスがクーガーグリルのエンブレムを身に着けているのが見える)またはトリノ(トリノの名前を使った広告キャンペーンが実際に準備されていた)を好み、
ヘンリーフォード2世はT-bird IIを望んでいた。
フォードの潜在的な名前に関する調査の責任者として、エガートはフォーカスグループによってテストされるリストに「マスタング」を追加しました。
「マスタング」は、大差で「スペシャルカーの名称としての適合性」という見出しで一番上に出てきた。
しかし、1951年から1964年にかけて「マスタング」という名前でトラックを製造していたクルップが所有していたため、
ドイツではこの名前は使用できなかった。
フォードは当時クルップから約10,000米ドル(2021年の87,371ドルに相当)でこの名前を購入することを拒否した。
原付メーカーのクレイドラーもこの名前を使用したため、マスタングはドイツでは1978年12月まで「T-5」として販売されていました。」
(出典:ウィキペディア「フォード・マスタング」(英語版)フォード・マスタング - ウィキペディア (wikipedia.org))
「初代前期(1964年 - 1968年)
1959年に発売されたフォード車初の小型車で、大ヒットモデルとなっていたフォード・ファルコンをベースとしたスポーティーカーとして、1964年にコンバーチブル及びハードトップのラインナップで登場した。
バランスの良いスタイリングと性能、広告代理店の巧みなマーケティング戦略で発売当初から高い売れ行きを記録し、アメリカの自動車史に残る大ベストセラーとなった。
標準装備を簡素にして本体価格を抑える(ベーシックモデルで2,368ドル)代わりに、
1機種の直列6気筒エンジン (スリフトパワー170シックス) と2機種のV型8気筒エンジン (チャレンジャー260V8、同289V8) 、
オートマチックトランスミッション、ディスクブレーキやリミテッド・スリップデフ、
ビニールレザーシートの色やホワイトリボンタイヤなど、性能や外観を多彩なオプションでカスタマイズできる「フルチョイスシステム」により、
外観重視の街乗りコンバーチブルからアマチュアレーサー向けの本格的なスポーツカーまで選ぶことが出来るようになったことから、
1車種で幅広い年齢、収入、趣味の層を取り込むことに成功した。」
(出典:ウィキペディア「フォード・マスタング」(日本語)フォード・マスタング - Wikipedia)
「1965年にファストバックが追加。エンジンはスリフトパワーシックスが排気量を増加した200となる。
チャレンジャー260V8がなくなり、3種類の性能を持つ同289V8となった。
1967年モデルはホイールベースこそ不変だがボディ外板を一新して全長・全幅、トレッドともに若干大きくなった。
ハイパフォーマンスモデルはGTパッケージで、サンダーバード390V8が追加。
映画ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFTに緑色に白のストライプバイナルで登場。
1968年モデルでは直列6気筒エンジンが2種類の250シックスとなる。
チャレンジャー302V8が追加。映画ブリットに登場している。マスタングのシンボルマークが車体の左右にもつけられていた。
ベーシックモデルは新車でも低価格で、改造もしやすいためアマチュアレーサーにも人気であり、ショップによるチューニングカーも登場した。」
(出典:ウィキペディア「フォード・マスタング」(日本語)フォード・マスタング - Wikipedia)
知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居て、凄い<クルマ>が在るものだ”と驚きます。
日々是精進
日々是修養
といった心境です。
毎年、春と秋に開催する素敵なカーライフイベントの紹介となれば良いな、と思いつつも
楽しみながら記事を書き進めたいと思います。
次回も、どうぞお楽しみに!
所長 楊田芳樹
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2021春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達
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