2021春ベッキオバンビーノ参加車両22_FIAT_GIANNINI_590GT_CORSA | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
ありとあらゆる「ミライ」について考える団体ですが、主に
「E」lectric「V」iecle(電気自動車)を通じて
1、生活の未来
2、文化の未来
3、社会の未来
を探求して行きます。

いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠に有難うございます。

FIAT_GIANNINI_590GT_CORSA_1967

 

FORD_CONSUL_CORTINA_LOTUS_MK-1_SR.1_1963

 

JAGUAR_E-TYPE_SR2._4.2FHC_1969

 

JAGUAR_E-TYPE_RORDSTER_SR.1_1962

 

PORSCHE_912_1969

 

PORSCHE_356B_ROADSTER_1960

 

 

エコノミライ研究所では

 

クルマの歴史

 

へのクローズアップに対しても注力していますので、

 

従来型内燃機関エンジン推進車両

 

への知識習得と理解を深めることも、大変重要なミッションだと考えています。

 

そこで

 

エコノミライ研究所では

 

兼ねてより、地元岡山県内で約10年も継続中の

 

ベッキオバンビーノ

 

の紹介をさせて戴いています。

 

先回までで、1日目ゴール地点である瀬戸内児島ホテルと

 

2日目1箇所目のチェックポイントである倉敷美観地区での雰囲気をお届け致しました。

 

 

ベッキオバンビーノ2021年春バージョンのコースは、

 

岡山市のプラザホテル前駐車場をスタート地点に

 

赤磐市エリアまで東進、そこから津山エリアへ北上して

 

院庄ICより中国自動車道、落合JCTから米子自動車道を経て蒜山エリアまで行き、

 

新庄村から国道181号線で新見エリアまで南下し、

 

180号線にて高梁市エリアを南下して

 

賀陽ICにて岡山自動車道、岡山JCTから山陽自動車道、

 

倉敷JCTから山陽自動車道早島支線、早島ICから瀬戸中央自動車道で児島ICを降り

 

1泊目の宿泊地、瀬戸内児島ホテル前駐車場でゴール

 

という内容でした。

 

(公式HPCOURSE&SCHEDULE | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)

 

 

「開催趣旨


大会名称のVecchio Bambino (ベッキオ・バンビーノ)とは、
イタリア語で子どもの心を持ち続ける大人・永遠の少年を意味します。

岡山県内各地を舞台とした日本最大規模のクラシックカーラリー。訪れる地域の方との観光交流と賑わいの創出、震災復興支援・交通事故遺児の就学支援を目的としたイベントとして開催9年目の秋を迎えます。全国各地から集った参加者が訪れる岡山県内の各地域の皆さんとの触れ合いの中で双方が心から楽しんでいただける心のこもった観光交流イベントとなり、大人たちがルールを守り力いっぱい遊ぶ姿が子どもたちのお手本となるように努力してまいります。
イベントを通じ、テレビ・新聞・インターネット・自動車雑誌などのメディアを用いた地域観光資源情報発信イベントとして訪れる地域の皆様のお役にたてるよう、また例年通り積極的なチャリティ活動を綿密な計画のもと運営を行っております。」

 

(公式HP「開催概要」開催概要 | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rallyより)

 

また、一夜明けた

 

令和3(2021)年4月4日(日)午前9時にスタートするチェックポイントである

 

倉敷美観地区の模様も撮影致しました。

 

大会2日目のコースは

 

宿泊地瀬戸内児島ホテルのお隣り

 

鷲羽山ハイランドから

 

倉敷美観地区まで移動

 

玉島ハーバーアイランドから旧玉島市街中心地を抜けて

 

岡山県民には御馴染みの海水浴場である沙美海岸から

 

「生きている化石」カブトガニで有名な笠岡はカブトガニ博物館まで到達しますと

 

笠岡市街地を抜けて北上

 

宿場町として有名な矢掛町へ向かい

 

完成したばかりの道の駅「山陽道かやげ宿」と

 

矢掛本陣のある旧道を道中最後のチェックポイントとして

 

一気にグランドスタート地点である岡山プラザホテルまで戻る

 

という行程でありました。

先回より

 

参加車両の1台ごとの個別紹介を続けています。

 

(公式HPENTRY LIST | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)

 

ゼッケン番号順で、楊田が撮影に成功していた順番にて、紹介させて戴きます。

 

紹介する情報は、いつものウィキ検索ですけれども、

 

このような機会でなければ、読み解くことが有りませんので、

 

此処に、文書を残すものであります。

 

また、個別に独自の情報を仕入れることができたときは、出来る限り、付言したいとも思っています。

 

 

今回紹介するのは


ゼッケン番号 32 FIAT_GIANNINI_590GT_CORSA_1967 です。

 

(出典:ウィキペディア「フィアット500」(日本語)フィアット・500 - Wikipedia

 

 

 

 

 

私たちニッポン人にはルパンの愛車として余りにも有名な車種でありますが、

 

伊太利亜の生んだ世界に誇る名車の一つであることを、忘れてはなりません。

 

そこでまず、フィアット500の説明から入り、

 

次に、今回出走しているジャンニーニについて取り上げます。ただし、こちらは、フランス語表記の説明文のみ発見できましたので、コンピュータによる自動変換での意味不明な文節が有っても悪しからずでお願いします。

 

(出典:ウィキペディア「フィアット500ジャンニーニ」フィアット500ジャンニーニ - ウィキペディア、無料の百科事典 (wikipedia.org)

 

 

「2代目 NUOVA 500(1957 - 1977年)
正式名称はFIAT NUOVA 500(新フィアット500)であるが、一般にはイタリア語で500を意味するチンクェチェント(Cinquecento)の呼称で知られている。旧500のトポリーノと区別するため、NUOVA 500(新500)と称される。初代500の直接後継モデルではなく、異なるコンセプトで新規設計された同クラス・別系統車種である。

先行して発売されていた600(1955年発表)のメカニズムが多くの点で流用されており、同様にモノコックボディのリアエンジン・リアドライブ車となった。」

(出典:ウィキペディア「フィアット500」(日本語)フィアット・500 - Wikipedia

「開発経緯
NUOVA 500の登場に先行し、新型車600(セイチェント)が、1955年に製造終了した初代500(以下トポリーノ)の後継車としてジアコーサの手で開発されていた。600はトポリーノとほぼ同等の全長ながら、リアエンジン・リアドライブ方式の採用などでスペース効率を大幅改善し、完全な4人乗り乗用車として設計されていた。

NUOVA 500は基本的に、600をさらに一回り縮小したモデルとして設計された。600と比較してスペース的に窮屈ではあるが4人乗りとしていた。2人乗りだったことで競合車種に顧客を奪われてしまったトポリーノ時代の反省と、スクーターとの大きな差別化を図るという点から重要視され、実現されたものである。

ジアコーサはこれを理解しながらも、さらなる小型車の開発にはあまり気乗りはしていなかった。600こそが小型車としての自身最良の回答であり、それ以下の構成では従来車種に対して走行性能での進化が見込めないと考えていたからである。それでも度重なるフィアット側の説得に折れる形で設計に着手したが、エンジンを空冷直列2気筒とすることには最後まで抵抗し続けた。実際にはコストや開発期間の関係からそれに変わるエンジンの調達は難しく、最終的にはジアコーサもこの条件を飲まざるを得なかった。

大々的なキャンペーンや低廉な価格設定などの効果もあり、蓋を開けると販売が非常に好調であったことから、いつしかエンジン形式の変更の話は立ち消えとなった。そればかりか、その排気量拡大版が126 バンビーノやパンダにまで使われ続ける大変な長寿エンジンとなった。ただしジアコーサは生前日本の自動車趣味誌のインタビューに対し、NUOVA 500が多くの人々に愛されたことに感謝しながらも、「あのエンジンを許したことだけには悔いが残る」と語っている。」

(出典:ウィキペディア「フィアット500」(日本語)フィアット・500 - Wikipedia

「メカニズム・デザイン
600同様の水冷直列4気筒エンジンは最廉価クラス用としては高コストになるため、500には前述のとおり、簡素でコンパクトなパワーユニットとして開発された479cc・15PSの空冷直列2気筒OHVが縦置で搭載されていた。オイルフィルターは遠心分離式。最高速度は軽量なボディと相まって95km/hに達した。マウントにスプリングを利用するなど配慮は見られるが、音が大きく振動が激しいため乗り心地には悪影響を及ぼしており、NUOVA 500シリーズ最大の欠点になっている。

車体は全鋼製モノコックとされたが、エンジンの騒音が屋根板のせいで車内にこもってしまうため、対策として屋根をオープンにできるキャンバストップを標準装備した。これにより騒音は車外に発散され、居住性を改善できた。キャンバストップは機能的に必須とされたものである。

サスペンションは600の縮小コピーで、フロントが横置きリーフスプリングをアーム兼用としたシングルウィッシュボーン、リアがダイアゴナルスイングアクスルとコイルスプリングという組み合わせとなる。

2ドアモノコックボディの、丸みのあるユーモラスなフォルムは、設計者のジアコーサ自身が手掛けたものである。元々愛嬌のあった600のデザインをさらに縮小して仕上げたような雰囲気を持っている。ジアコーサが晩年『カーグラフィックTV』のインタビューで述べたところでは、自らクレイモデル(新しいスタイリングを試すために作られる粘土模型)を毎日撫で回すように手作業で削り出していたら、自然に出来てしまったのだという。独特の丸みを帯びた形状は、少しでも軽く仕上げるために使用する鉄板を減らすべく表面積を減らす意図もあったとも語っている。

同時代の日本の軽自動車スバル・360でも見られる傾向であるが、これらの小型車では、ボディの表面積を減らしつつ丸みを持たせることで軽量化と強度を両立させるデザインがしばしば用いられた。薄い鋼板でも丸みを帯びたプレス加工を行うことで、補強や工程の追加なしに必要な剛性を確保したのである。」

(出典:同上)

「運転席
旧世代の自動車ということもあり、現代の車とは使い勝手が異なる部分が多数ある。

キー - オンオフ・パーキング。セルモーターはワイヤー式でレバーを引いて動作させる。シフトノブ後方に設置されている。
ワイパー - オンオフのみ。動力はエンジンのバキュームやスピードメータケーブルではなく、電気モーターにて駆動される。初期型から最終型まで同じ仕様である。電気モーターなので簡単な回路の追加で速度調整や間欠動作が可能である。
ウインカー - 最初期型以外はハンドルのコラムスイッチにて操作する。
ガソリンタンク - 容量は21Lでフロントフード内に設置されており、給油時にはフードを開ける必要がある。フロントフード下はトランクだがガソリンタンクとスペアタイヤで占領されており物を入れるスペースはほとんどない。
燃料計 - 残量5リットルで警告灯が点灯。Lタイプには残量計が付く。
チョークレバー - エンジン始動時に使用する。セルモーターレバーの横にある。
ハンドスロットル - エンジン暖気のための装備。」

(出典:同上)

「年表
発売初期の1957年当時は、スクーターを高価下取りするという荒業の販売施策でスクーターユーザーの乗り換えを促し、それまで2輪車に乗っていたイタリアの大衆を4輪車に乗り換えさせた。

1959年、排気量を499.5ccにまで上げ21.5PSに向上させたスポーツモデルのスポルトが登場している。アバルト500クーペザガートと同じ型式のエンジンが搭載された。また、ボディ剛性が上がった屋根のフルクローズ仕様も生産された。

1959年7月、後部座席上部に鉄板屋根を付けた(前席上部のみがキャンパストップ)テッド・アプリービレが追加され4人乗りがしやすくなった。これまでのフルオープン仕様のトランスフォルマービレではクローズ時に後部座席上部に空間が無く頭が当たっていた。

1959年9月、新しい交通規則に対応するためウィンカーをヘッドライト下に追加(ヘッドライト下にあった空気導入のスリットは廃止された)、反射板が付きテールランプが大型化され、1960年8月まで生産されヌォーヴァ・セカンド・セーリエと分類される。」

(出典:同上)


「1960年9月、スポルトのエンジンを17.5PSにデチューンしたマイナーチェンジ版の500Dが発売。これまで併売されていたフルオープン仕様のトランスフォルマービレが廃止され、前席上部のみがキャンパストップ仕様のテッド・アプリービレのみ生産される。また、水平直列2気筒エンジン搭載で荷室を確保したワゴンタイプのジャルディニエラが追加された。

1965年、500Fを発売。新しい交通規則に対応するため、これまでの前開きドアを廃止し後ろ開きドアを採用する。これに伴い大幅に手が加えられ、フロントウィンドウの大型化・キャンバストップ開閉レバーを2か所から1か所に変更・キャンバストップ後方の金属屋根部をこれまでは分離可能型から他の部との一体成型に変更・テールランプの大型化・ドライブシャフトのジョイントを強化・クラッチをコイルスプリング式からダイアフラムスプリング式に変更・ボディパネルの変更。こうした変更により、D以前の前期型とF以降の後期型と分けられる。1968年、デラックスモデルでバンパーを補強するフロントバーが特徴の500Lを発売。」

(出典:同上)


「1972年、低価格版の500Rを発売。同年より500F、500Lは生産を終了し、最終型である500Rが発売された。同じ年に後継車種126 バンビーノが発売されたが、500Rは下位モデルとして位置づけられた。500Rは126と同じエンジンである126.000型エンジンを搭載。このエンジンの基本的構造は500F、500Lが搭載していた110F.000型と変わらないものの、排気量は499.5ccから594ccへ拡大され、出力もネット値で18PSから23PSへなったが、コスト削減のためトランスミッションはこれまでと同様にノンシンクロ型を搭載した。内装についても500Fと同様にシンプルになり、リアシートは固定式の取り外せないものとなった。車体構造に変化はないが、唯一フロントエンブレムがFIATと銀色の文字のみになり、トレードマークであったヒゲのようなフロントグリル風インテリアはなくなった。最終的に500Rは30万台以上が生産された。

この他にも数多くのバリエーション(一部にはディーラーが改造した物もあった)が発売された。また、NUOVA 500をベースとしてエンジンやシャシーに改良を施した高性能版が、アバルトから複数種リリースされている。NUOVA 500はイタリアの国民車として人気を博したほか、ヨーロッパ全土にも輸出された。アメリカでも少数が販売されている。」

(出典:同上)

「愛好家の存在と日本での認知
イタリア本国やヨーロッパに留まらず、世界各国に熱心なファンが存在しており、現在でもNUOVA 500をレストアして愛用する者も多く見られ、スバル・サンバーのエンジンを搭載した車両や電気自動車に改造した車両などエンジンスワップの実例も存在している。特にイタリア本国では排気ガス規制と国内産業活性化の推進により旧車の扱いが厳しくなる中、排気量1,000cc未満で25年以上経っている自動車に以下の特典を与える法案が検討されている。内容は、自動車税の免除・車検期間を2年から4年に延長・自動車通行規制区域内への乗り入れ許可となっている。

排気量と経過年数はNUOVA 500に合致するもので、同法案は一部では“フィアット500保護法”とも呼ばれている。与党を含む超党派の支持団体まであり「同車は歴史遺産のひとつだ」とするコメントが寄せられている。

日本では「ルパン三世の愛車」として広く認知されている。当初ルパンはメルセデス・ベンツSSKに乗っていたものの、設定変更や作画の都合から当時の作画監督であった大塚康生の愛車でもあった同車が選定され、初期シリーズ後半以降は頻繁に登場するようになった。特に有名なのは劇場版『カリオストロの城』で登場するクリームイエローの個体で、現行の500では日本国内限定で同色を模した特別仕様車がたびたび登場するなど、『ルパン三世』が本車の認知に影響していることが垣間見える。

2005年日本国際博覧会(愛・地球博)ではイタリア館にホワイトチョコレートでコーティングされたフィアット500が展示され、閉幕後には、当時愛知県知多郡南知多町のリゾート施設である「チッタ・ナポリ」内にあったチンクエチェント博物館に寄贈された。

1977年の生産終了までに通算で約400万台が製造されている。」

(出典:ウィキペディア「フィアット500」(日本語)フィアット・500 - Wikipedia

「フィアット 500 ジャンニーニ

1963年の創設から、小さなローマのメーカージャンニーニはフィアット500(1957)に基づいて開発されたモデルの製造を開始し、小さなフィアットのカスタマイズのための作成者アバルトの主要な競争相手となりました。

最初のモデルはフィアットジャンニーニ500テレビで、テレビはツーリスモ・ヴェローゼを意味します。その後、多くの道路やレースモデルが来ます。

競合他社のアバルトと同様に、ジャンニーニはベースフィアット500のトランスフォーメーションキットをリリースします。

ジャンニーニ590 GTは1964年に発売されました。ジャンニーニにとっては、27馬力エンジンで1963年から595を量産していたアバルトという偉大な対戦相手と競争するという問題でした。トリノでは、アバルトはいくつかのバージョンで595を提供しています:"595SS"、"595SSアセットトーサ"。ローマでは、ジャンニーニはフィアット500から586 cm3のエンジンを増加させ、最初は31馬力を開発しました。

590 GTは、リワークされたシリンダーヘッドを有し、すべてのダクトが拡大し、研磨され、ストロークは70mm、ボアは73mmであり、エンジンシャフトはリワークされ、バランスが取れ、最終的に配分が軽くなります。

オプションのものは、オープンワークホイール、モノグラムとバッジの範囲、スポーツカウンター、短いギアボックス比、さらには前面のディスクブレーキが含まれます。

同年、GIANNINIはエンジンの作業がより精巧な590GTSをこのバージョンに追加しました。同様に、オプションはより広範であり、スポーツの職業の多くを持っています。車は現在、35馬力を開発し、時速130キロに達します。

1973年、590GTはフィアット500Rの基礎を取りました。コンペティションのために、ジャンニーニは1969年に590GTバジェルンガをリリースしました。」

(出典:ウィキペディア「フィアット500ジャンニーニ」フィアット500ジャンニーニ - ウィキペディア、無料の百科事典 (wikipedia.org)

またしても、今更ながらですが、「ジャンニーニ」というプライベートメーカーの存在を知るに至りました。
 
幾多の経営難にも関わらず、何とか、21世紀に至る現在も、健在であることに、頼もしさを覚えます。
 
「ジャンニーニ・オートモビリS.p.A.は、アッティリオとドメニコ・ジャンニーニ兄弟によって1920年に設立されたイタリアの自動車メーカーです。その本部とワークショップはローマのNo.57デッレ・イドロオレ・デッラ・マリアーナ通りにあります。
 
(中略)

現在、ジャンニーニ社はメーカーのフィアットと密接に協力し、主にアフターサポートを扱っています。」
(出典:ウィキペディア「ジャンニーニ・オートモビリ」ジャンニーニ・オートモビリ - ウィキペディア、無料の百科事典 (wikipedia.org)
 

 

 

知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居て、凄い<クルマ>が在るものだ”と驚きます。

 

日々是精進

 

日々是修養

 

といった心境です。

 

 

 

毎年、春と秋に開催する素敵なカーライフイベントの紹介となれば良いな、と思いつつも

 

楽しみながら記事を書き進めたいと思います。

 

次回も、どうぞお楽しみに!

 

 

所長 楊田芳樹

 

前のシリーズ

20210220オール日産大商談会inコンベックス岡山1 2021-06-16 07:00:00

 

前のシリーズ

NISSAN_NEXT_in_CONVEX_OKAYAMA_20210109-11_1外観・全体 2021-01-20 07:00:00

 

 

2021春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達

 

FIAT_GIANNINI_590GT_CORSA_1967

 

FORD_CONSUL_CORTINA_LOTUS_MK-1_SR.1_1963

 

JAGUAR_E-TYPE_SR2._4.2FHC_1969

 

JAGUAR_E-TYPE_RORDSTER_SR.1_1962

 

PORSCHE_912_1969

 

PORSCHE_356B_ROADSTER_1960

 

LOTUS_SUPER_7_SR.2_COSWORTH_1952

 

LOTUS_SEVEN_SR.1_1957

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1959

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1957

 

AUSTIN_HEALEY_100-4_BN2_1956

 

AUSTIN_HEALEY_100 BN/1_1954

 

MG-A_1958

 

MG-A_1957

 

MG-A_1955

 

MG-TC_1949

 

MERCEDES_BENZ_190SL_1957

 

JAGUAR_XK120_OTS_1951

 

MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET 1950

 

ERMINI GILCO 1100GP    1948

SIMCA8 SPORT BARQUETTE    1938

 

MG PA RACER    1934