2021春ベッキオバンビーノ参加車両21_FORD_CONSUL_CORTINA_LOTUS | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
ありとあらゆる「ミライ」について考える団体ですが、主に
「E」lectric「V」iecle(電気自動車)を通じて
1、生活の未来
2、文化の未来
3、社会の未来
を探求して行きます。

いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠に有難うございます。

FORD_CONSUL_CORTINA_LOTUS_MK-1_SR.1_1963

 

JAGUAR_E-TYPE_SR2._4.2FHC_1969

 

JAGUAR_E-TYPE_RORDSTER_SR.1_1962

 

PORSCHE_912_1969

 

PORSCHE_356B_ROADSTER_1960

 

LOTUS_SUPER_7_SR.2_COSWORTH_1952

 

 

エコノミライ研究所では

 

クルマの歴史

 

へのクローズアップに対しても注力していますので、

 

従来型内燃機関エンジン推進車両

 

への知識習得と理解を深めることも、大変重要なミッションだと考えています。

 

そこで

 

エコノミライ研究所では

 

兼ねてより、地元岡山県内で約10年も継続中の

 

ベッキオバンビーノ

 

の紹介をさせて戴いています。

 

先回までで、1日目ゴール地点である瀬戸内児島ホテルと

 

2日目1箇所目のチェックポイントである倉敷美観地区での雰囲気をお届け致しました。

 

 

ベッキオバンビーノ2021年春バージョンのコースは、

 

岡山市のプラザホテル前駐車場をスタート地点に

 

赤磐市エリアまで東進、そこから津山エリアへ北上して

 

院庄ICより中国自動車道、落合JCTから米子自動車道を経て蒜山エリアまで行き、

 

新庄村から国道181号線で新見エリアまで南下し、

 

180号線にて高梁市エリアを南下して

 

賀陽ICにて岡山自動車道、岡山JCTから山陽自動車道、

 

倉敷JCTから山陽自動車道早島支線、早島ICから瀬戸中央自動車道で児島ICを降り

 

1泊目の宿泊地、瀬戸内児島ホテル前駐車場でゴール

 

という内容でした。

 

(公式HPCOURSE&SCHEDULE | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)

 

 

「開催趣旨


大会名称のVecchio Bambino (ベッキオ・バンビーノ)とは、
イタリア語で子どもの心を持ち続ける大人・永遠の少年を意味します。

岡山県内各地を舞台とした日本最大規模のクラシックカーラリー。訪れる地域の方との観光交流と賑わいの創出、震災復興支援・交通事故遺児の就学支援を目的としたイベントとして開催9年目の秋を迎えます。全国各地から集った参加者が訪れる岡山県内の各地域の皆さんとの触れ合いの中で双方が心から楽しんでいただける心のこもった観光交流イベントとなり、大人たちがルールを守り力いっぱい遊ぶ姿が子どもたちのお手本となるように努力してまいります。
イベントを通じ、テレビ・新聞・インターネット・自動車雑誌などのメディアを用いた地域観光資源情報発信イベントとして訪れる地域の皆様のお役にたてるよう、また例年通り積極的なチャリティ活動を綿密な計画のもと運営を行っております。」

 

(公式HP「開催概要」開催概要 | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rallyより)

 

また、一夜明けた

 

令和3(2021)年4月4日(日)午前9時にスタートするチェックポイントである

 

倉敷美観地区の模様も撮影致しました。

 

大会2日目のコースは

 

宿泊地瀬戸内児島ホテルのお隣り

 

鷲羽山ハイランドから

 

倉敷美観地区まで移動

 

玉島ハーバーアイランドから旧玉島市街中心地を抜けて

 

岡山県民には御馴染みの海水浴場である沙美海岸から

 

「生きている化石」カブトガニで有名な笠岡はカブトガニ博物館まで到達しますと

 

笠岡市街地を抜けて北上

 

宿場町として有名な矢掛町へ向かい

 

完成したばかりの道の駅「山陽道かやげ宿」と

 

矢掛本陣のある旧道を道中最後のチェックポイントとして

 

一気にグランドスタート地点である岡山プラザホテルまで戻る

 

という行程でありました。

先回より

 

参加車両の1台ごとの個別紹介を続けています。

 

(公式HPENTRY LIST | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)

 

ゼッケン番号順で、楊田が撮影に成功していた順番にて、紹介させて戴きます。

 

紹介する情報は、いつものウィキ検索ですけれども、

 

このような機会でなければ、読み解くことが有りませんので、

 

此処に、文書を残すものであります。

 

また、個別に独自の情報を仕入れることができたときは、出来る限り、付言したいとも思っています。

 

 

今回紹介するのは


ゼッケン番号 28 FORD_CONSUL_CORTINA_LOTUS_MK-1_SR.1_1963 です。

 

(出典:ウィキペディア「フォード・コーティナ」(日本語)フォード・コーティナ - Wikipedia

 

 

 

「コーティナ(コルティナ・コルチナとも)(Cortina )は、フォード・モーターの英国法人、イギリス・フォードが1962年から1982年まで生産していた乗用車である。コンベンショナルで手堅い設計を特徴とし、保守的な需要層、並びにカンパニーカーなどの法人向けやタクシー等の営業用として根強く支持され、長年イギリス国内のベストセラーカーの座を確保していた。

なお名称はイタリアの著名なスキーリゾート地で1956年の冬季オリンピック会場になったコルティーナ・ダンペッツォに由来する。」

(出典:ウィキペディア「フォード・コーティナ」(日本語)フォード・コーティナ - Wikipedia



モデルの変遷
デビュー当時の正式名称は「フォード・コンサル・コーティナ」であったが、1964年にマイナーチェンジを受けてからは単に「フォード・コーティナ」と呼ばれるようになった。1982年に第五世代(通称MK5・フォードは「コーティナ80」と称した)がフォード・シエラに世代交代するまでの20年間生産され、各世代とも100万台近くを販売した。

 

なお、1970年登場の第三世代(Mk3)以降は、英独フォード車の一元化政策が採られ、ドイツ・フォードのタウヌスとほぼ共通の設計となり、ドアパネル等はドイツ製となった。」

(出典:ウィキペディア「フォード・コーティナ」(日本語)フォード・コーティナ - Wikipedia

 

Mk1(1962年-1966年)

ブリティッシュ・モーター・コーポレーションが1959年に発売したミニの好評を目の当たりにした英国フォードは、複雑な設計ゆえに生産コストや販売価格がサイズに比べて割高なミニと対抗するには、より大きく、常識的な設計の小型車を低価格で売り出すべきだと考えた。そのために開発されたのが初代の「フォード・コンサル・コーティナ」で、1962年9月に発売された。

サイズ的にはモーリス・オックスフォードやボクスホール・ヴィクターに匹敵し、これらの需要層の取り込みも図っていた。発売されるとすぐにコンサル・コーティナはその割安な価格、特にワゴンモデルの積載能力の高さは評判を呼び、発売3ヶ月で6万台を販売するヒット作となった。

その後も順次バリエーションを拡張し、1963年1月には当初の1,198ccの「スタンダード」・「デラックス」に加え1,498cc57.5馬力の上級版「スーパー」、4月にはそのエンジンを75.5馬力にチューンした「GT」を追加した。また同年にはロータス製DOHC1,558cc106馬力エンジンを搭載したホットモデル、「ロータス・コーティナ」も登場し、ロータスの工場で1966年までの3年間で約2,800台が生産され、モータースポーツでも活躍した。

1964年9月にマイナーチェンジを受け、「フォード・コーティナ」に名称変更された。フロントグリルの意匠やダッシュボードが変わった他、「エアフロー・ベンチレーション」が採用されて、室内気排出用のグリルがCピラーに追加された。この方式は有効で、その後ほとんどの乗用車の設計に採用された。」

(出典:ウィキペディア「フォード・コーティナ」(日本語)フォード・コーティナ - Wikipedia

 

また、今回出走していたモデルは、ロータスによるチューンナップバージョンでありまして、日本では希少車種であることから、ウィキ記事も英語バージョンのみ存在しています。

 

(コンピュータによる自動翻訳ですので、意味不明となる文節が存在しても悪しからずでお願いします。)

 

(出典:ウィキペディア「ロータス・コルティーナ」ロータスコルティーナ - ウィキペディア (wikipedia.org)

 

 

「ロータスコルティナは、ロータスカーズと共同でフォードによって1963年から1970年まで英国で生産された高性能スポーツサルーン、フォードコルティーナロータスの一般的な用語です。

フォード・コルティーナ・マーク1に基づいたオリジナル版は、後に「領事」が名前から落とされた「ロータスが開発したコルティーナ領事」としてフォードによって推進された。

マーク2はフォード・コルティーナ・マークIIをベースに、フォードが「コルティーナ・ロータス」として販売した。

 ロータスは、モデルにタイプ番号指定タイプ28を与えた。

3,306台のマークIと4,093台のマーク2ロータスコルティナスが生産されました。」

(出典:ウィキペディア「ロータス・コルティーナ」ロータスコルティーナ - ウィキペディア (wikipedia.org)

 

「Mk1
コルティーナロータスの歴史は1961年に始まりました。コリン・チャップマンは、主にコベントリークライマックスユニットが非常に高価だったので、ロータスのために自分のエンジンを構築したいと考えていました。コリン・チャップマンのチャンスは、ハリー・マンディ(コベントリー・クライマックスエンジンの親友でデザイナーでオートカーのテクニカルエディター)にフォード・ケントエンジンのツインカムバージョンを設計するよう依頼した時に起こった。エンジンの開発のほとんどは997ccと1,340ccのボトムエンドで行われましたが、1962年にフォードは1,498 ccエンジンとワークを中心に116E 5ベアリングをリリースしました。コスワース出身のキース・ダックワースは、エンジンのチューニングに重要な役割を果たしました。エンジンの最初の出現は、ジム・クラークが運転するロータス23のニュルブルクリンクで1962年でした。エンジンが生産車(ロータス・エラン)に登場するとすぐに、より大容量のユニット(82.55mmボア)に交換され、1,557ccを与えました。これは、モータースポーツの1.6リットル容量クラスに車を近づけるためのものでした。」

(出典:ウィキペディア「ロータス・コルティーナ」ロータスコルティーナ - ウィキペディア (wikipedia.org)

「エンジンが開発されている間、ウォルター・ヘイズ(フォード)はコリン・チャップマンにグループ2ホモロゲーションのために1,000フォードサルーンにエンジンを合わせるかどうか尋ねました。チャップマンはすぐに受け入れましたが、チェスハント工場では非常に忙しかったに違いないが、エランは打ち上げられようとしている。タイプ28またはロータスコルティーナまたはコルティーナロータス(フォードがそれを呼ぶのが好きだったように)は正式に立ち上げられました。フォードは2ドアコルティーナボディシェルを供給し、ロータスはすべての機械的および化粧品の変更を行いながら、車のすべてのマーケティングと販売の世話をしました。大きな変更点は、1,557 cc (105 kW; 106 PS)エンジンと、エランと同じ近い比率のギアボックスの取り付けに伴いました。リアサスペンションは大幅に変更され、軽量合金パネルはドア、ボンネット、ブーツに使用されました。軽量のケーシングは、ギアボックスと差動に取り付けられました。すべてのロータス工場の車は緑色のストライプで白く塗られました(フォードは赤でレースのためにいくつかを構築しましたが、1人の顧客は緑について迷信的であるためにダークブルーのストライプを持っていました)。車はまた、フロントクォーターバンパーを受け取り、ラウンドロータスバッジは、後部翼とラジエーターグリルの右側に取り付けられました。」
(出典:同上)
「インテリアの変更は、新しいギアレバーの位置、異なる座席、後のスタイルのダッシュボードに対応するように設計されたセンターコンソールに限定され、タコメーター、スピードメーター、油圧、水温、燃料レベルゲージが特徴でした。ウッドリムステアリングホイールを装着。

サスペンションの変更は非常に広範囲でした。車は前部より短い支柱を受け取り、トラックコントロールアームを鍛造し、5.5Jを13スチールホイールリムで受け取りました。リアは、垂直コイルスプリング/ダンパーがリーフスプリングと2つの後続アームをAブラケット(差動ハウジングに接続され、後部アームピボット付近のブラケット)でアクスル位置を整理することで、さらに過激でした。このセットアップをサポートするために、リアシートの後ろと後輪車からブーツのシャーシまでさらにブレースを置きました。硬化ブレースは、スペアホイールを標準のコルティーナのホイールウェルから移動する必要があり、ブーツフロアの左側にボルトで固定されたことを意味しました。バッテリーはまた、右のホイールアーチの後ろのブーツに移動しました。これらの変更の両方は、全体的な重量分布に大きな改善を行いました.コルティーナロータスが得たもう一つの改善は、ブレーキスペシャリストのガーリングによって構築された新しいブレーキシステム(9.5 in(240 mm)フロントディスク)でした。このシステムはコルティーナのGTにも取り付けられましたが、コルティナロータスエンジンベイに取り付けられたサーボはありませんでした。」
(出典:同上)
「当初、エンジンはJによって構築されました。トッテナムのプレストウィッチ、ウォルヴァーハンプトンのヴィリエ。1966年、ロータスはノリッジのヘセルに移り住み、そこで独自のエンジンビル施設を持っていました。コルティーナロータスは8.0で(200 mm)のダイヤフラムスプリングクラッチを使用し、フォードはコイルスプリングクラッチを残りの範囲に取り付けました。ギアボックスの残りの部分はロータスエランと同じでした。これは、超近接ギア比はレーストラックやオープンロードに最適でしたが、クラッチは交通に苦労したため、いくつかの問題につながりました。比率は後に変更されました。

初期の車は非常に人気があり、いくつかの絶賛を獲得しました。ある雑誌は、ロータス7のスズトップバージョンとして車を説明しました。以前はコルティーナGTやミニクーパーに落ち着かなければならなかった多くの愛好家にとって「ザ・カー」であり、オースティン・ヒーリー3000のような「スポーツカー」を太りすぎに慣れていた多くの人々を驚かせました。打ち上げは完璧ではなかったが、車は車を理解していないいくつかのフォードのディーラーのためにあまりにも専門家だった。サービスに不適切な部品が取り付けられているという話がいくつかあります。所有者の最初のバッチによって報告されたいくつかの歯の問題がありました(これらの問題のほとんどは、車がどれだけ速く開発されたかを示しています)、エンジンの一部が電源を落とし、ギア比が近すぎて、最悪の問題はケーシングから離れて来る差動住宅でした。この問題は主に、Aブラケットがリアサスペンションの不可欠な部分であったため、車軸に置かれた高負荷によって引き起こされました。これは、車軸から失われた油がAブラケットの茂みに向かっていたという事実によってさらに悪化しました。これらの問題のいくつかを解決するために、その生産中にMk1ロータスに行われた4つの主要なアップデートがありました。最初の変更は、2ピースのプロップシャフトへのスワップであり、より軽い合金トランスミッションケーシングは、標準的なフォードアイテムのために変更されました。これはまた、コルティーナGTギア比のための超近い比率のギアを交換し、主な違いは、最初、2番目、および逆がはるかに高い比率であった含まれていました。1964年から、軽合金のものではなく標準パネルが使用されました。新車を購入する際には、合金製品と超近距離を指定できます。」
(出典:同上)
「2番目の主な変更は、コルティナロータスはまた、インテリアの更新を含むフォードの新しい換気システムを獲得したので、コルティナの範囲全体が後方四半期に全幅のフロントグリルとエアロフローアウトレットを含むフェイスリフトを持っていた1964年後半に来ました。3番目の、そしておそらく最も重要な変更は、1965年半ばに、コルティーナGTの葉ばねと半径アームのロータスリアサスペンションが変更された時に起こった。これは同様にすべての硬化チューブを置き換えました。最後のアップデートは、リアドラムが自己調整アイテムのために交換され、有名な2000Eギアボックス比が使用された1965年にも来ました。これらは、コルティーナGT比と超近い比率ボックスの間の途中で最初に下がり、逆にしました。これらすべての変更は、車の専門性が低いが、はるかに信頼性が高く、すべての特別な部品はまだ競争だけでなく、一般のメンバーに利用可能でした。

コルティーナロータスは、この時までに印象的な競争の評判を獲得しました。また、1966年後半頃に生産が終了し、Mk2が引き継いだ時にも左手駆動で作られました。」

(出典:ウィキペディア「ロータス・コルティーナ」ロータスコルティーナ - ウィキペディア (wikipedia.org)

 

知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居て、凄い<クルマ>が在るものだ”と驚きます。

 

日々是精進

 

日々是修養

 

といった心境です。

 

 

 

毎年、春と秋に開催する素敵なカーライフイベントの紹介となれば良いな、と思いつつも

 

楽しみながら記事を書き進めたいと思います。

 

次回も、どうぞお楽しみに!

 

 

所長 楊田芳樹

 

前のシリーズ

20210220オール日産大商談会inコンベックス岡山1 2021-06-16 07:00:00

 

前のシリーズ

NISSAN_NEXT_in_CONVEX_OKAYAMA_20210109-11_1外観・全体 2021-01-20 07:00:00

 

 

2021春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達

 

FORD_CONSUL_CORTINA_LOTUS_MK-1_SR.1_1963

 

JAGUAR_E-TYPE_SR2._4.2FHC_1969

 

JAGUAR_E-TYPE_RORDSTER_SR.1_1962

 

PORSCHE_912_1969

 

PORSCHE_356B_ROADSTER_1960

 

LOTUS_SUPER_7_SR.2_COSWORTH_1952

 

LOTUS_SEVEN_SR.1_1957

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1959

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1957

 

AUSTIN_HEALEY_100-4_BN2_1956

 

AUSTIN_HEALEY_100 BN/1_1954

 

MG-A_1958

 

MG-A_1957

 

MG-A_1955

 

MG-TC_1949

 

MERCEDES_BENZ_190SL_1957

 

JAGUAR_XK120_OTS_1951

 

MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET 1950

 

ERMINI GILCO 1100GP    1948

SIMCA8 SPORT BARQUETTE    1938

 

MG PA RACER    1934