23日、れいちゃんの月命日でした。

あれから一カ月が過ぎたんだね。

れいちゃんの存在は、いつもそばに感じています。

いつも、というよりは、れいちゃんとアクセスしようとするといつでも来てくれる、といったような。

本当にれいちゃんはかけがえのない存在です。

全身で感情を表現して、いつだってその魂で僕にぶつかってきてくれていました。

甘えるときは思いっきり甘えて、怒るときは思いっきり怒って。

そのエネルギーは僕の記憶に確かに刻まれています。

決して消えることのない魂のエネルギーの足跡。


じゅうちゃんもれいちゃんのこと忘れていません。

れいちゃんのお気に入りの場所では必ず「れいちゃん!」って呼びますよ。


れいちゃん、かわいいね。






先日、木村弓さんのリサイタルがありました。

僕は仕事があったので行きませんでしたが、CHOCOさんがれいちゃんの慰霊の写真を持って、聴きに行きました。

「いつも何度でも」を改めて聴いて、れいちゃんを送るにふさわしい歌だなって思いました。

ただちょっと疑問に思ったことがありました。

旦那様の中川俊郎氏も共演だったのですが(「いつも~」は木村さん独演)、Youtubeで見る限り、ピアノの音が強すぎて(これはシュタイナーが指摘していたことで、だからこそ、シュタイナーは子供にピアノを弾かせません)、せっかくのライアー(の癒し)が活きてこないんじゃないかなって思っていたのと、ライアーの基本調律(基準音)はA=432Hzなのに対して、ピアノはA=440Hzが基本だと思うので、どちらに合わせているのだろう、Youtubeで見る限りピアノの440Hzは変わっていないような気がする(強い印象、432Hzだとちょっと地味に聴こえます)ので、もしかしてライアーが合わせているのかな?と思っていたので、CHOCOさんに確認してきて、と頼みました。

結論からいうと、驚いたことにどちらでもありませんでした。

A=442Hzで調律しているとのこと。

「ちょっと高い」と木村さんは言ってたそうです。

ライアーを木村弓さんで知った人がほとんどだろうと思いますが、本来ライアーは432Hzで調律するので、ライアーの本来の癒し効果は実はあの曲においては発揮されていなく、あの歌の癒しは木村さんの声とあの神がかりの歌詞にあったんですね。

で、せっかくなので432Hzで聴きたいなと思ったので、オーダシティでピッチ変更して聴いてみました。

うん、やっぱり432HZの方が心がもっと優しくなります。(原曲のライアーがまるでギターに聞こえてくる位に違います)

奇跡的な、神から降りてきたかのようなあの歌詞が、優しいライアーの音色に合わせて、さらに魅力が増しました。

心に染みいるといった感じでしょうか。

れいちゃんも天国で聴いてくれていると思います。


あと、リサイタルは木村さんは良かったけど、ピアノはちょっとリサイタルを台無しにしたと言ってました。

まだ癒し系の音楽なら良かったけど、現代音楽の、しかもアシッドジャズではないけど、過激な音の連続の曲だったそうです。

狭い空間で、グランドピアノをオープンにして、ジャーンジャーンと大音量で(笑)。

やっぱりな、というのが僕個人の感想。

そんなことになるんじゃないかって嫌な予感していたんですよ。

お子様連れも結構いたそうで、もちろんみんな「いつも~」を聴きに、そしてまた、癒されに行っただろうに、なんだか観客が気の毒だったなぁと思いました。

こういうのはプロデューサーがもうちょっと配慮すべき点だと思います。

そうしないと、木村さんの価値が下がってしまいます。

この点が今回のリサイタルの残念な(台無しになってしまった)点だったそうです。



興味ある方はオーダシティで変換して聴いてみてください。

違いに驚きますよ。


『永遠の贈り物-アニマルコミュニケ―ションで伝える動物からの魂のメッセージ』
ローレン・マッコール著
おくだひろこ訳

という本を今日読みました。

そこで驚いたのは、先日書いた、れいちゃんとの会話ですが、あれってまさにこのアニマルコミュニケーションだったんですね。

なぜれいちゃんが旅立ってすぐではなく、数日経過してから夢枕(と思っていましたが、どうもそうではなく、いわば瞑想状態に入っていた--夢うつつ状態だったから出来たのでしょう)に出たのかも、この本に書いてありました。

そして、今でも、というか、いつでも、といった感じなのですが、れいちゃんのことを想うと、というか、言葉がどうも正確なものが見つからないのですが、想うというかなんというか・・・、の状態になると、

ピピーッ!と生前元気良く鳴いていた、あの声が頭の中なのか心の中なのか、で聞こえます。

それは本当にリアリティを持った音なんです。

また、れいちゃんと交わした、僕たちだけのコミュニケーションだったのですが、

トゥッ ティッ! というと、れいちゃんも トゥッ ティッ! と真似して返してくれていて、それはいわば愛情の確認の”言葉”だったんですけど、それさえも、今でも僕が トゥッ ティッ! と言えば、やっぱりリアリティを伴って、トゥッ ティッ!とれいちゃんが返してくれます。

その時だけは、本当にそこに、というか、”近くに”れいちゃんがいるのを感じるんです。

それも本に書いてあって、アニマルコミュニケーション自体、知らなかったことだし、そもそも動物を飼うというのも人生で初めてのことなので、本当に不思議なこともあるものだなぁとつくづく思いました。

そして、この本を読むには、涙なしには読めないのですが、不思議と読み終わる頃には、とても癒されていることに気づきます。

この本を読んでよかったです。

これからもれいちゃんとつながっていることが分かったし、また、れいちゃんのアドバイスとか約束は、れいちゃんがすぐ傍で見張っていると分かって、これは気が抜けないなと、改めて気が引き締まりました。

残されたじゅうちゃんともコミュニケーションできるそうなので、今度はじゅうちゃんとも会話してみたいと思います。

あ、そうです。

今日、れいちゃんにふさわしいとてもかわいいお墓と素敵なフォトフレームが届いたのですが、それをリビングに置いておいたら、じゅうちゃんが近寄って、お墓(陶器)をコンコン、コンコンとつついて、これはボタンインコのオスなら誰でもやる、確認行動なのですが、驚いたのは、その確認作業をしながら、

れいちゃんっ!

と何度も言ったことです。

れいちゃんが天国に行ってから、れいちゃんという言葉を口にしなかったじゅうちゃんが、れいちゃんのお墓を見て、そう言ったので、分かったのかな?とビックリしました。

この本から読み取れたのは、鳥は「あっちの世界」と「こっちの世界」の境界の紙一重のところで生きているということです。

なので、魂的な繊細さが格段に高いのだろうと思います。