重なるときは重なります。

昨日、二人から相談をされました。

一人は恋愛相談(笑)

もう一人はコンクールに向けての悩み相談。



恋愛相談。

詳しく書くと、長くなるので、ぱっと時間は飛んで、まぁどうしたらいいか分かって、ハッピーオーラ満載になって帰っていきました。



コンクールの相談。

どういうわけか上手く踊れなくなってしまって、どうしたらいいのかと。

結局、人の意見に左右されていたわけです。

既成概念とか。

そんなことより、自分の人生、自分のからだ、自分の感情、自分を使い切れとアドバイス。

そうして細かく動きを修正していったら、とっても素晴らしい動きになりました。

日本人はほとんどがそうなんですが、綺麗に踊ることにウェイトを置きすぎる。

それだから、伝わってこない。

大事なのは、その人自身。

その人の生きてきた軌跡、その人の個性、その人の考え方、その人のからだ、その人の宿命、そういうものが本当は大事。

それを表現するのがアート。

綺麗に踊るだけなら、それはロボットです。

そのためにはどうしたらいいのか?

からだを使い切ること。

脳を使い切ること。

魂を使い切ること。

あるものしかないんだから。

ないものねだりをしても始まらない。

今あるものの力を最大限引き出す。使い切る。

それだけなんです。



スピリチュアルの世界の法則。

「選択Aの法則」と僕が言っている絶対法則があります。

これは一瞬一瞬の選択が未来を形成する、というものです。

選択Aは自分の思い描く理想の未来が得られるであろう行動を選択すること。

選択Bはそれ以外。

これって数学でも証明できますよね。

選択は10点満点とします。

選択Aを10として、選択Bをそれ以外なので平均で5としましょうか。

この選択を10回繰り返します。

さて、結果的に10点満点の選択はどういう組み合わせか。

それは明らかです。

全てが選択Aということ。

一つでも選択Bをした瞬間、10回後の未来は平均10点満点はなくなります。

だけど、人間だから、全部が選択Aなんて出来ないですよね。

それはそれでいいんです。

選択Bを選んでしまった後、その後しっかりと選択Aを続けていけば。

平均10点満点の未来はなくなっても、9点の未来は得られます。

あきらめてしまったら、9点はおろか、1点の未来、怖れていた未来になってしまいます。

これ、コツがあるんですよ。

自分に言い聞かせるんです。

「今やってることは、選択Aかな?」って。

テレビをぼーっと見ている自分に気づいたとき、ふと自分に問いかけるんです。

「これって選択A?」

そうしたら、テレビを消して、勉強するなり、早く寝るなり、明日の支度するなり、何かより良い未来につながる行動が出来るはずです。

そして、未来に対する怖れは消えます。

だって今ある選択Aを積み重ねていけば、選択Aの未来になるんだから。

数学的にさっき証明しましたよね。

だから、「これこれこうなったらどうしよう」とか「もし失敗したらどうしよう」とか「もしフラレたらどうしよう」とか「もし嫌われたらどうしよう」とか「もしお金がなくなったらどうしよう」とか、そんな不安は抱くだけ無駄ということなんです。

今ある選択Aを選んで行く。

これだけなんですね。

だからキリスト教なんかで「求めよ、さらば与えられん」なんて言葉があるのは、別にクレクレタコラになれって意味では全くなくて、実は「道(選択Aを選び続けること)を試行錯誤せよ、そうしたら自ずと理想とする未来は得られるのだ」という意味なんですね。

間違っても神(絶対的な存在、宇宙の法則)は、何もしない人に何かを与えてくれるほど甘くはないですよ。

だって、この現世は学びの場なんですから。

甘やかしていいことなんてないですよね。

自分の子供をかわいいかわいいで、甘やかしていたら、ろくな大人にならない。

結局、子どもが不幸になるわけです。

この子にとって、いずれ必要になるであろうことは厳しく教える(躾)というのが本当の愛情ですよね。

この世も全く同じです。

わざわざ生きづらい現世に生まれてきた、魂の昇華・成長を求めている子(わたしたち)に対して、甘やかしたら何の学びにもならない。

何のために生まれてきたの?となる。

だから、自分の足で自分の人生を歩もうと、道を試行錯誤する人にだけ、救い(メッセージや出会いなど)が与えられるようになってるんですね。

選択Aを志向していく。

これがこの世に生まれた学びであり、また生きるコツというか術というか、なんですね。

長々と…熱いなぁ(笑)



あー、あとこんなアドバイスもしました。

完璧な舞台なんてありえない。

あの森光子さんが、ずっと同じ舞台を毎日毎日、何十年間も続けてきた。

それでも完璧と思った舞台は無いと思うよ。

思ったら、そこで止めるはずだもん、と。

だから、完璧なんて求めなくていい。

自分を出し切った。使い切った。

その感覚が少しでも感じられたら、それでいい、と。

そうしたら次はじゃぁ今度はもうちょっと使い切ろうと思えるはずだと。

だって森光子さんの舞台を毎年毎年観に来ている常連さんはたくさんいるわけで、彼らは完璧な舞台を期待しているわけじゃない。

今日の舞台はあそこが良かった。

こないだはあそこの掛け合いが素晴らしかった。

そんな風に楽しんでいるんだよ、と。

だから舞台は完璧なものを求めるのではなく、自分の中で、自分をどれだけ燃焼できたか、自分をどれだけ使い切れたか、それだけを考えればいい、と。

もちろん、使いきり方は知らないと(教えてもらわないと)難しいのですが、それは教えたので、努力家の彼女なら大丈夫でしょう。

そうすることで、コンクールの控え室で、他の人のウォーミングアップを見ても、それがどんなに上手に綺麗に見えても、全く焦ることはなくなります。

だって、自分を使いきれるかどうかが勝負だから。

コンクールだから、他人との勝負なんですが、そこで他人を意識した時点で負けなんですよ。

自分に集中できた人間が勝つ。

自分を使い切る方法には、そういう精神的安定(自信)という大きなおまけもついてくるんですね。



そして彼女もやることが明確になって迷いがなくなった。

残された時間は僅かだけど、その中でできるだけのことをしてみます、と明るく帰っていきました。



この部屋でこうした小さなハッピーが次々と生まれてくることは、なんだかとても不思議で、また更に大きな宇宙的な力が増してくるように感じます。

そして、彼ら彼女らのハッピーが、僕にもハッピーな気持ちをもたらしてくれます。