昨日、バイト先の飲み会が韓国料理屋であった。
私は辛いものと熱いものが嫌いだけれども、韓国料理は、当然ながら辛いものが多い。
飲み会だし、みんなと一緒で楽しくてついつい辛いものにも手を伸ばした結果、朝からリバースする羽目に。
私がいつもネタにするのは、
I hate HOT food, but I love HOT boys.
(熱いもの・辛いものは嫌いだけれど、HOTな男性は大好き)
ふざけてこんなことを言っております
議題にあげたいのは、韓国料理でもなく、HOTなものでもなく、「非正規から正規へのキャリアパス」の話。
私が働いているお店では、正社員は一人で、あとはアルバイトなのである。
学生アルバイトはまだしも、責任のある仕事をするのもアルバイト。
(こういうことを書いて罰せられないか心配だけれども、まぁ駄目ならそれはその時謝ります。)
これは果たして、どう見るべきなのか。どう評価するべきなのか。
前提条件として、非正規は問題視されるべきなのか。
企業によって、また職種によって違うと思われるので、一概にはこう、とは言えないが
正規と非正規を比べると、収入面を中心に、保険や手当、また労働契約(週何時間働くか、それが保障されているか)など、違いはたくさんある。
ただ、ここで注目すべきなのは、置かれている身分は違えども、仕事内容は同等に近いという点である。
たまたま、正規か非正規か、といった点だけで、違いがつけられるのはおかしい。
根底まで突き詰めると、人間はみな平等であるべきなのである。
平等からのスタートで、あとは個々の能力や努力によって、結果が伴うのが理想的な状態だと思われる。
では、具体的にはどういった点が問題とされるのだろうか。
まず、第一に一度非正規を選んでしまうと、正規への転向は難しいという点。
私の会社には、社員や準社員へのパスを取るようなこともできる制度があるが、
そういったポジションを手に入れることができるのは、極めて稀であり、
多くのひとが、長期間の非正規の状態を受けいれることを求められる。
第二に指摘したいのが、非正規=低能力ではない、ということ。
特にうちのお店では、非正規だけれども、社員さんよりもお店の詳細をわかっていたりする。
能力で差がある結果が、職種の違いにつながるなら、経済学的にも妥当であると思われるが、
能力が同等ならば、収入や待遇などに違いが出るのは、納得ができない。
3つ目として挙げられるのが、10代後半~20代前半の職業意識の低さではないかと思われる。
これは、アンケートをとったわけでもなければ、私の直感的なところに近いものがあるので、
もしかしたらお叱りを受けてしまうかもしれないが、
フリーターというポジションが曖昧なのである。
果たして、夢を追いかけた結果、一時的な職務なのか。
あるいは、働くことに対して、ビジョンを持っていないことが招いた、悲しい結末なのか。
前者なら応援する。
後者ならば、日本の教育制度や政策に問題がある、といった可能性も考えられる。
フリーターは働いているだけ、NEETよりマシだと考える人がいるかもしれないが、
生産性を高める努力をしてこなかったという点では、社会と、本人の罪なのではないか。
この3つをまとめて、私が提案したいのは、「キャリアについて考える機会をつくる教育」である。
無知識のうちに非正規を選ぶのと、自らが選んだ結果が非正規なのでは、意味合いが大きく違ってくる。
日本では、変化してきているとはいえ、新卒主義、年功序列などがまだまだ根強い制度として残っているので、そういった背景も加味して、自分のキャリアを、自分が考えて、自分で選ぶという方向性に導きたい。
堅苦しくなったけれども、私は今のバイト先が本当に好きで好きでしょうがない。
たくさんの素敵な人に囲まれ、大好きなお店で、世界中の人々に幸せを売る仕事なんて、そうそう出会えるわけでもない。
いつかは辞める日が来るのだけれども、その日までは誰よりも一生懸命働きたい。
私は辛いものと熱いものが嫌いだけれども、韓国料理は、当然ながら辛いものが多い。
飲み会だし、みんなと一緒で楽しくてついつい辛いものにも手を伸ばした結果、朝からリバースする羽目に。
私がいつもネタにするのは、
I hate HOT food, but I love HOT boys.
(熱いもの・辛いものは嫌いだけれど、HOTな男性は大好き)
ふざけてこんなことを言っております

議題にあげたいのは、韓国料理でもなく、HOTなものでもなく、「非正規から正規へのキャリアパス」の話。
私が働いているお店では、正社員は一人で、あとはアルバイトなのである。
学生アルバイトはまだしも、責任のある仕事をするのもアルバイト。
(こういうことを書いて罰せられないか心配だけれども、まぁ駄目ならそれはその時謝ります。)
これは果たして、どう見るべきなのか。どう評価するべきなのか。
前提条件として、非正規は問題視されるべきなのか。
企業によって、また職種によって違うと思われるので、一概にはこう、とは言えないが
正規と非正規を比べると、収入面を中心に、保険や手当、また労働契約(週何時間働くか、それが保障されているか)など、違いはたくさんある。
ただ、ここで注目すべきなのは、置かれている身分は違えども、仕事内容は同等に近いという点である。
たまたま、正規か非正規か、といった点だけで、違いがつけられるのはおかしい。
根底まで突き詰めると、人間はみな平等であるべきなのである。
平等からのスタートで、あとは個々の能力や努力によって、結果が伴うのが理想的な状態だと思われる。
では、具体的にはどういった点が問題とされるのだろうか。
まず、第一に一度非正規を選んでしまうと、正規への転向は難しいという点。
私の会社には、社員や準社員へのパスを取るようなこともできる制度があるが、
そういったポジションを手に入れることができるのは、極めて稀であり、
多くのひとが、長期間の非正規の状態を受けいれることを求められる。
第二に指摘したいのが、非正規=低能力ではない、ということ。
特にうちのお店では、非正規だけれども、社員さんよりもお店の詳細をわかっていたりする。
能力で差がある結果が、職種の違いにつながるなら、経済学的にも妥当であると思われるが、
能力が同等ならば、収入や待遇などに違いが出るのは、納得ができない。
3つ目として挙げられるのが、10代後半~20代前半の職業意識の低さではないかと思われる。
これは、アンケートをとったわけでもなければ、私の直感的なところに近いものがあるので、
もしかしたらお叱りを受けてしまうかもしれないが、
フリーターというポジションが曖昧なのである。
果たして、夢を追いかけた結果、一時的な職務なのか。
あるいは、働くことに対して、ビジョンを持っていないことが招いた、悲しい結末なのか。
前者なら応援する。
後者ならば、日本の教育制度や政策に問題がある、といった可能性も考えられる。
フリーターは働いているだけ、NEETよりマシだと考える人がいるかもしれないが、
生産性を高める努力をしてこなかったという点では、社会と、本人の罪なのではないか。
この3つをまとめて、私が提案したいのは、「キャリアについて考える機会をつくる教育」である。
無知識のうちに非正規を選ぶのと、自らが選んだ結果が非正規なのでは、意味合いが大きく違ってくる。
日本では、変化してきているとはいえ、新卒主義、年功序列などがまだまだ根強い制度として残っているので、そういった背景も加味して、自分のキャリアを、自分が考えて、自分で選ぶという方向性に導きたい。
堅苦しくなったけれども、私は今のバイト先が本当に好きで好きでしょうがない。
たくさんの素敵な人に囲まれ、大好きなお店で、世界中の人々に幸せを売る仕事なんて、そうそう出会えるわけでもない。
いつかは辞める日が来るのだけれども、その日までは誰よりも一生懸命働きたい。
