さて、先日、webマガジン『econ-mag』最新27号をアップしました。
各コーナーとても思い入れがあってそれぞれ語りたいことがたくさんあるのですが、今回は、大宮冬洋さんとの往復書簡を通して感じたことを記したいと思います。
10月に大宮さんが『日本男子は、なぜベビーカー女子を助けないのか』というPRESIDENT Onlineの記事で「大炎上」しました。
それはもう、物凄いバッシングが飛び交っていて、私まで怖くなるくらい……。
これはとても放ってはおけない、という思いから、今回の往復書簡でこの問題について真っ向から語り合いました。
ぜひ、お読みいただければと思います。
こちら
今回の大宮さんとのやりとりを通してとても興味深い発見がありました。
大宮さんのブログに、ある方がコメントされていたのですが、現在の日本は「子育てしている世帯は少数派である」ということです。
つまり、ベビーカーは迷惑だとか、飛行機の中で子どもが騒ぐのが迷惑とか、保育園はうるさいとか、子育てにまつわる様々な社会的な問題は、マイノリティ問題だったのです。
そう考えると、とても辻褄が合います。
確かに、今の日本では、公園や児童館などの特殊な場所以外では、ほとんどが「大人仕様」になっています。常識の範疇では、大人は公共の場所では大きな声は出しませんよね。先日乗った新幹線も、終始「しーーーーん」としていました。ガヤガヤ感さえ、全くなし!
そう、大人は突然奇声を発したりしないし、面白いものを見つけたからって急に走り出したりもしないし、やりたいことができなくて泣き出したりもしないし、友だち同士遊んでると興奮しすぎて収集付かなくなることはない。あ、酔っぱらいは除きますが……。
でも↑これら全部、子どもにとっては日常的なことです。
でも、私たちは、多数派である「大人」に向けて作られた社会で生活しているので、これら全てが「仕様」に反する行為であるため、終始ヒヤヒヤしたり促したり謝ったりしながら過ごしています。
私は在日コリアンという民族的マイノリティとして36年間生きてきたので多少わかるのですが、日本では、マイノリティは生きづらいです。
大切にされたことなんてないし、それなのに「特権があるだろ!」とか言って攻撃されたりするし……。
そもそも、子育て世帯がマイノリティ、という状況自体、この先どうなっちゃうんだろうという危機感もありますが、それは置いておくとしても、マイノリティも尊重される社会であってほしいし、もっと言うと、「子育て中の人」「子育て中ではない人」という風に分断して対立し合うのではなく、誰もが誰かの子どもであり、社会全体が子どもを育てるような状況になればいいなぁと願う次第です。