京都におけるLRT(低床路面電車)敷設をめぐる問題についてのセミナーに参加してきたので、ラボんぼネタとして取り上げました。マキシムは口下手で、ラボでは十分伝わらなかったところもかなりあるので、改めてブログにてカッツリ書きました。ガッツリでなくあくまでカッツリwww。




■はじめに

京都市で路面電車を敷設しようという運動がある。しかし、それに対する市民の反応は一枚岩ではない。賛成する人もいれば反対する人もいる。というか、知らない人も多いのではないだろうか。
京都議定書が採択された地でありながら、地球温暖化に対する意識が低いとは何事か。「渋滞が起こるからいやだ」という反対運動があるが、環境よりも利便性をとるのか。そんな単純なことで解決する問題なのだろうか。
同志社大学でこの問題についてセミナーがあったので、それのレポートという形式でラボをしました。

このセミナーでは3つの側面からアプローチされました。LRTを敷設するにあたって、3つの「環境」に影響を与える。それは、
(I) 地球環境
(II) 産業環境
(III) 生活環境
であると。以下よりLRTを電車と置き換えて話していきます。
これほどいろんなものに影響を与えるからこそ、電車を巡る問題は複雑だ。それゆえ、電車は強く愛され、時には強く忌み嫌われる。電車のために生涯を捧げる人もいれば、電車によって生涯を絶つ人もいる。それほど強い感情が、どこから湧いてくるのか。それを探ることは非常に大切だと思ってます。

以下、3つそれぞれについて説明します。


■地球環境
「電車=環境にいい」という図式と「環境にいい=めっちゃいい」という図式が組み合わさって「電車=めっちゃいい」というような意識を持つ人が多いかも知れない。なるほどそれはある一面からみれば本当だ。電車はめっちゃいい、気がする。
しかし、ここにはある問題が存在する。それは、
・環境にいいことは、何よりも優先されるべきなのか
という問題です。
環境にいいことは、何よりも優先されるべきなのだろうか。地球環境問題が叫ばれ始めて結構経って、今では「環境に優しい」みたいなフレーズを目にしない日はない。しかし、環境に優しいというのがなぜいいのか。それは簡単に言ってしまえば、地球環境が非常にまずい状況であるから。
環境によいことは誰も否定できず、また嫌だと思っても水戸黄門の印籠のようにww鵜呑みにしてしまうきらいがある。
環境にいいことは、何よりも優先されるべきなのだろうか、という問いに対しては以下の産業環境や生活環境と錯雑しているので、答えをだすことは難しい。

またマキシムが一人疑っていることだが、汚染排気0で大気汚染には問題ないとしても。電気を沢山食うのならばそれはそれでエネルぎー問題だ。ほんとのところどうなんでしょう?何事も鵜呑みにしてはいけません。


■産業環境
電車は、インフラだ。もしLRTをに京都の主要道路に敷設してしまえば、ただでさえひどい交通渋滞を助長しかねない。正直、京都在住のマキシムの死活問題である。
京都は土地柄、観光客の利用が多い。外部からの観光客のために市民の税金を湯水のごとく使うと考えるか、観光産業の発展のための先行投資として考えるか。その価値観のハザマでのせめぎあいが今後も続くと思われる。


■生活環境
一般にインフラと言うとダムや道路のような無機質な建造物を思い浮かべるが、電車は鉄道研究会が各地にあるなど、かなり愛着の持たれる有機的なインフラである。
それは、自分と家と職場をつなぐ「空間」だからである。空間のデザインには物質的な面と意識の面がある。物質的な面のデザインとは、例えばアートな外見にこだわるとか、座席に柔らかいシートを使うとか、駅にトイレを増やすとか、そういうものである。精神的な面のデザインとは、例えば優先座席付近ではケータイは電源オフとか、ホームで飛び降りて自殺してはいけないとか、そういう意識を高めるための啓発だ。
LRTで新しい京都の空間をつくるというのは、新しい試みである。新風かんのように独自の文化がかもし出されるならば素晴らしい。しかしそのためには、既存の空間を破壊せねばならない。今まで閑静な住宅地であった場所で敷設した場合、繁華街となった闇には騒音や治安の問題がつきまとってくる。まぁ住宅街から急に繁華街になるのは大袈裟な話だが、住民の反発
生活環境としてみたとき、私たちにとってLRTはどのような位置を占めるのか、またどのようであるべきなのか。LRTが敷設決定となっても議論は続くであろう。


■まとめ
「環境がいい」とか「産業が大事だ」とか「心には潤いがないと」とか、どういう価値観を大事にするかは為政者が決めて、それを住民に押し付ける。インフラ整備なんてそんなもんだ。といってしまうのは簡単だ。住民の意見なんて無視して、談合で賄賂をくれるところにつくらせればそれでいい。という時代は終わった。では、住民の意見をちゃんと聞くにはどうすればいいのか。おそらく今回のセミナーの根底はここにある(といっても住民参加者はいなかったけど)。住民はみんな口々に自分勝手なことを言う。それぞれ別の価値観を持っている。意見を言わない人だってたくさんいる。そういう中で、住民の同意をとるのはとてもとても難しいでしょう。

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