https://youtu.be/WWlA65Z6FZM
東日本大震災 地震発生~津波襲来後まで(まとめ) 1
噂供養という供養の仕方もあるので、毎年3月には、東日本大震災のこと、じっくり振り返り、思い出し、語りたいと考えます。
もし自分が被災者だったらと、想像だけでもしてみると、年月がたってからも、誰かが思い出してくれたら嬉しい気がします。
また、例えば、ずっとずっと遠い未来に津波がきたとしたら、東日本大震災で多くの尊い命が奪われたのだから、そこから得た教訓により未来の人達が救われないと悲しいので、忘れずにいてほしいと犠牲者は思っているはず。
だから、悲しいけれど、3.11の津波の動画をいくつもいくつも見ました。涙がたくさん出て、でも追悼になると信じて。貼り付けた動画はそのうちのひとつ。
4年経って、今思うこと。
改めて何が一番悲しいかというと、避難したのに、津波の規模が想定外で、避難していながら、冷静に行動していながら避難場所までもが津波に飲み込まれたため犠牲になった人ばかりということ。
津波のことをしっかり教育されていて、子供でさえ、避難用の地図を小さい頃から見せられていて、ある町では、一週間前に津波の避難訓練をしたばかりで、多くの市民が訓練通り避難したのにその場所が浸水して犠牲になった。
ある地域では、津波は到達しないはずの安全区域と指定され、地震がきても、家に待機していればいいはずなのに、その家ごと流され犠牲になった。
ある町では、町の中で1番高い建物2つだけを除いて全て津波に飲まれ、指定された避難場所が完全に水に浸かり、住民の殆どが犠牲になった。
ある場所には津波が地震発生からわずか、20分で到達。
また、車で高台まで逃げる際に大地震の影響で道路が遮断され液状化になり、避難が妨げられたりもした。
犠牲者はなんの落ち度もなく、冷静に行動しても、助かりたいために避難場所へ行っても、それでも犠牲になってしまったこと。
これが、想定外と言われる理由だと、4年経った今なお、改めて心が痛む事実だと感じました。
多くの人に助かってほしい思いから、津波の動画を見ると、どうして早く逃げられなかったのかと、単純に疑問に思う人が世界中にいると思います。
その疑問への答えは、
海のことを誰よりも理解した人達が、冷静に行動していたのに、想定外の規模だったため、犠牲になった。
ということが、分かります。そのことが、何より悲しいです。
ある町の被災した若者は、石碑をたてて、未来にメッセージを残したようです。
その石碑には、
ここにも津波がきました。もっと高い所へ逃げてください。
家に戻ろうとしている人がいたら絶対に引き止めてください。
など他にもいくつもの教訓が刻まれています。
いいアイデアだと感動しました。
この教訓が生きるよう、犠牲者の方々が安らかに眠るよう、これからもしっかり語り継いで、思い出して、追悼。
未来の命が救われますように。それが犠牲者、被災者の思いだと感じる4年目でした。