「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。


 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。」


「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに


 迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」



昨年の三月、虫の息になっている父の枕元で聖書のこの箇所を読みました。


そして笑顔で父は天に召されました。



そのように感謝のうちに旅立った父ですから、、


お正月にあたり私の実父が亡くなったことを知らない人が「新年おめでとう!」と


言っても何の躊躇もなく私は


「おめでとー!」と言っています。



それはさておき、どうぞ皆さん今年も宜しくおねがいします。



(ここから後は独り言のようなものです・・)



さて、年末年始、兄は一人暮らしの母のいる実家に数泊してくれました。(毎年して


くれます)


さて、、  父は末っ子で、母と結婚し新所帯でしたので


お墓がまだありませんでした。


そのため、兄と母はこのお正月休みにお墓探しをしてくれました。


兄は横浜に住んでいて、私は東京の西のはずれ・・



なのでそのどちらかの近くの墓地を探しても良かったのですが、、結局、実家の市内の


墓地を探してくれました。



もらったパンフを私にもくれましたので、それで位置を確認していましたら(PCで)、どうやら


駅からバスがあるようです。


そこで思いました。


私はきっとこうするだろう・・。駅から徒歩10分少々の実家あたりまで歩き、そしてその


あたりのバス停から、墓地までのバスに乗るだろう、と。(実家だった所を素通りできない)



両親のいなくなった実家はたぶん、解体するかしら。。


残しておいて惜しいような建物でないですから。


家もなく両親も居ない、懐かしいご近所はどんな風に見えるのだろう、感じるのだろう・・



そんな風に考えていたら、数日前、兄家族と母、私たち夫婦で過ごした楽しい新年の


ひと時は、もしかしたら「最後」のあの懐かしい家での新年になるかもしれないのです。



昨年もまったく予期していなかった出来事がありました。たぶん生涯でそう多くない


ショッキングな事。



来年のことは誰にもわからない。予定通りにはいかない。


そんなことを思いますね。。



今のひと時も、「今」だけのことであり、また明日には過ぎた日々という枠に入ってしまう・・


だからなんだというわけでないが、今をしっかり呼吸?しなくては!とも


思います。



まとまりもない新年初めの記事になりました。


今年も宜しく・・


パー